婚約者④
しばらく気まずい沈黙が落ちた。この空気の中、声を出すのは大変勇気がいる。それでもずっと黙っているのも苦痛だった。
「ノエルは王太子様の側近をしていると昔、聞いたことがあるのだけど、どういった部署で働いているの?」
「質問の意味がいまいち掴み取れない。何を聞いているんだ?」
「近衛騎士をしていると聞いたこともあったから、側近というのは近衛とは別物なのかと思ってしまって。伝わった?」
少し口下手だから、伝わっている自信がない。
わたしは窓際もいいところの、まともに経費も下りない部署に所属しているだけあって、王宮の職業に詳しくない。
近衛と側近は同じものなのか。それとも別物なのか、そこからわからない。
ついでに、側近は文官もいた気がするが、どういう役割を担っているのだろう。
「近衛騎士と側近の違いがわからないのか」
「そう」
「騎士には三種類あってだな」
そこから、騎士について大まかに教えてくれた。
白い隊服を着ている騎士は主に王族の警護をしているらしく、側近候補。いわゆる近衛と呼ばれる人達。
次に赤い隊服を着ているのは、王宮を守っている王宮自体の警護を担う人達。
最後に、黒い隊服を着ている人達。その人達は諜報活動に近いことを行っているから、滅多にお目にかかれないようだ。
「役職が遠いように思うだろうけど、全部王命や次期王の命で動く部隊だから、騎士と一括りにされている」
「でも、門兵とか赤い隊服を着てないけど、あれは違うの?」
確かに王宮内で赤い服を着ている部隊を見たことはある。だが、圧倒的に紺や茶色の服を着ている人の方が多い。
「護衛対象になる王族は数人だが王宮は広すぎて、一つの小隊に任せるには荷が勝ちすぎる。詳しくは他部隊だから知らないが、一般の騎士や一部兵士と共に王宮警護についているはずだ」
「変わってるね」
「そうだろうか? 私には小さいとはいえ薬草園をふたりで回そうとする植物園の方が変わっているように思える」
職場のことなど話した記憶がない。
どこから得た情報なのだろう。王宮ではファミリーネームは名乗らないなど情報規制されているが、それでも上司殿や一部の同僚はわたしの素性を知っているし、誰かが漏らしたのだろうか。
知られて困るようなことではないが、少し変な気分になる。
「他の部署のことは知らないからなんとも言えないけど、あれは予算が落ちないからああなってるの。だから、この顔合わせの日までほとんど休みが取れなくって、何とわたしの休日、先月は三日しかなかったよ」
さすがにそんな事情は知らなかったのだろう。ノエルは驚いたように目を瞬かせた。
「なるほど、先ほどの話は誇張ではないということだな。たしかにその状態で一人でも人が抜けるのは痛手だろう」
「嘘を言ったつもりはないんだけどね」
「すまない。疑ったつもりはないんだが、あまりにこちらと事情が違ったものだから」
「別に責めてるわけじゃないよ。ああ、そういえばさっき堅苦しくしなくていいと言ってくれたから、こんな話し方しているけど、嫌だったら言ってね」
話題を変えさせてもらおう。
花形部署に末端部署のことを話すのは恥ずかしい。
「親しみやすくて、いいのではないか? 距離を置かれるよりずっといい関係が築ける」
他意はないのだろうが、勘違い女が増えそうな言葉をさらりと言ってくれる。
変な勘違いをしそうになるからやめてほしい。
いや、でも、ここは勘違いをして距離を縮めた方がいいのかもしれない。
わたしは全然人の顔を覚えられないし。
せめて会う口実をつけるとか、頻繁に手紙でやり取りするとかしないとまずいんじゃ……。
相手の趣味嗜好を理解した方が婚約者を早く認識できる気がするし。婚約者がわからない、とか絶対に恥をかく。
「ならもっと距離を縮めるために、手紙交換でもしない?」
「手紙? それなら会って話せばすむだろう。せっかく同じ王宮で働いているのだから会う機会はあるはずだ」
「それでも、月に数回だよね。手紙ならポストにいれれば毎日だって出せるし、互いの近況を知れる」
「まあ、マリオンがしたいなら。私は寮に住んでいるから、寮母に預けてくれればいい」
少し強引だけど、何とか了承してくれた。
面倒臭い女だと思われただろうか。
また無表情に戻ってしまっているから表情を読むことはできない。
不思議そうな声色だから、少し困惑しているというところか。
嫌われていないなら、それでいい。
そういえば、ここに来る前は嫌われてでも婚約破棄してもらおうと思っていたのに…………。
自分の変わり身の早さに笑ってしまう。
「どうした?」
彼は真顔で聞いてきた。
いきなり目の前で女が吹き出したのだから、不審な目を向けるのは正常な反応だ。
「なんでもない。ただダメ元だったから……、なんでも言ってみるものだね。ありがとう、手紙はりきって書くから」
「どういたしまして、楽しみに待っているよ」
にこりと彼が少し頬を持ち上げるような笑みを浮かべた。
細まる氷色の瞳。緩やかな弧を描く唇。初めて見たはずの笑みはとても綺麗で、何故か見覚えがあるような気がした。
今日、無事に職場復帰した。
約二ヶ月間、上司殿に穴埋めさせてしまった。
「今日までありがとうございました。誠に嬉しいことながら、仕事を続けられそうです。本日からまたよろしくお願いしますね」
いつもより半刻早く職場に着き、植物園の執務室を覗くと、既に上司殿は居た。
誰よりも早く出勤して、誰よりも遅く帰る。未だに、何時に来ているのかわからない。
「よろしく頼む。流石に手が回らなくなってきたからな。あ、あと直属の部下を探してきてやったからしっかり仕込めよ」
そういえば出て行く前、引き継ぎの人間を見つけると言っていた。仕事を辞めなくて良くなったから、私の下に直接つくことになったのか。
「はい。初めての後輩、全力で可愛がってあげます」
「おい、そんなことしたら婚約者が拗ねるだろ。やめろよ」
からかうような上司殿に首を傾げてしまう。
「仕事場に戻ってきたのに、婚約破棄されてないと思ってます?」
「されたのか?」
「されてませんね。でも、普通はそう思うのではないですか?」
婚約者改めノエルはとってもとってもいい人だった。
顔合わせの最後、侯爵様と怒れる夫人に、わたしの失態を執り成してくれた。
もちろん、わたし自身、二人に平謝りしたが。
ちなみに、その時も仕事を辞めるように言う夫人から庇ってくれて、わたしの中でノエルの好感度はうなぎ登りだった。
何はともあれ無事、婚約を続けてもらうことを許してもらえた。
「普通か。普通なら子爵家の令嬢が仕事しようと思うこともないはずだし、似た者同士がくっついた結果だろう」
上司殿はそう呟いた。
人事を握る一部の人は職員の出自を知っている。上司殿もその一人だ。だから、わたしが子爵の娘だということも知っている。
わたしもわざわざ隠すつもりもないので、誰に聞かれても問題ないが。いや、問題なかったが。
「王宮でファミリーネーム名乗らない理由知ってますよね。いくらなんでも上司殿がバラしちゃダメでしょう」
執務室の部屋の扉から、見知らぬ少年が顔を覗かせていた。多分、これからわたしに着く部下。
いくらなんでも、初対面の部下に貴族の出身だと知られてしまったことは、とても面倒だと思った。