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故人情報  作者: 振木岳人
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05 藤巻博昭と江森美央



 長野市の北部に広がる巨大な群集団地は、善光寺や長野県庁を囲む長野市中心部で働く者たちのベッドタウンとするべく、昭和後半から造成に造成を重ねた新興住宅地である。

 それまでは新潟県の上越市へと繋がる北国街道を挟んでひたすら田んぼとリンゴ畑が広がる「ド」が付く田舎であり、そのあぜ道がどんどんとアスファルト道路に変わり、田畑が家屋に変わり、今では県道クラスの広い道路が東西南北を十文字に貫き、道路沿いには全国規模の郊外型店舗がずらりと並ぶ、全国の何処ででも見れる味気の無い光景に囲まれた土地へと変わったのだ。


 そして、郊外型店舗と店舗の隙間にぽつんと建っているこじんまりとした喫茶店が『コーヒータイム』。ーー星城女子大学の江森美央がバイトに通い、へそ曲がりの不倫探偵、藤巻博昭が常連として通い詰める店である。


 週も半ばの水曜日、時間は帰宅ラッシュと買い物客で道路が混み合う夕飯時。

 今日も美央はバイトに入り、藤巻は帰宅するかのような気楽さで来店して早速鉄板メニューを注文した。


 今の時代では当たり前とも言える「ふわとろ」と言う概念が大嫌いなのか、あんなもの火力をケチった鼻水みたいな食べ物だとゴネる藤巻のためだけに、卵に徹底的に火を入れたマスター特製「歯応えのあるオムライス・昭和風」を満足そうに平らげた藤巻は、これまた藤巻のためだけに淹れたマンデリンを使ったアイスコーヒーで喉を鳴らして、初夏の熱気に炙られた身体をクールダウンさせていた。


 何気無い普段通りの光景であったのだが、藤巻がウイスキーの水割りを頼みながらマスターと美央に向かって「軽自動車が日本をダメにした」と急に言い出したのには訳がある。

 コーヒータイムの駐車場に一台の軽乗用車が停まり、一人の主婦が車から降りて来る。お客さんだ珍しいねと店内で会話しているのを知ってか知らずか、そのまま隣のスーパーへ買い物に行ってしまったのである。

 確かにスーパーの駐車場は満車に近く、入る車と出る車がしきりに交差してごった返しており、かたやコーヒータイムの駐車場はマスターの計自動車と美央のスクーター、そして藤巻が大事にでもなく乗り続ける小汚くて古いワーゲンゴルフが停まっているだけ。


 ーースーパーの駐車場が混んでるからってさあ……ーー


 マスターと美央が呆れたため息をつく中で、突如藤巻が風呂敷を広げる。へそ曲がりで独特且つ毒々の感性を持つ藤巻節が始まったのだ。


「あれはおばちゃんが悪い訳じゃない、軽自動車が悪いんだ。軽自動車が日本をダメにしたんだよ」

「軽自動車が!? 」


 マスターは藤巻と波長が合うのか、はたまた常連の戯れ言だからと右から左に受け流しているのかは不明だが、静かにグラスを磨いている。一方の美央はまた藤巻が始めたぞと、期待感で瞳を爛々と輝かせ始めた。


「美央ちゃん、低価格で税率も低い小さなオートマチック車が昭和後半に誕生した。庶民にとって嬉しい軽自動車を、何故俺は日本をダメにした原因なのだと暴論を説くと思う? 」

「う〜ん……デフレ経済を加速させたって事ですかね? 」

「あはは、その後にバブル期があるからデフレは当てはまらないね。それに経済的理由じゃないんだなあ」


 じゃあ何なのよと、絞り出した答えを速攻で否定された美央は頬をぷうと膨らますが、藤巻がどんなひねくれた答えを提示して来るのか興味津々であるのに変わりはない。


「車に乗ってはいけない人々が、どんどん公道に出て来てしまった。これが原因だね」


 むむむ……何のこっちゃと、両の眉毛が「八」の字に変化した美央を見て、さあ始めるぞと悪戯っぽい笑みを口元に浮かべながら、藤巻は自慢げにへそ曲がり理論を展開し始めた。


 ーー昭和中期の高度経済成長から軽自動車が世に出るまでは、まだ車ってのは高価であり、所有者のステータスシンボルの一つでもあったんだ。だから常に車はピカピカにして大事に扱う風潮があった。

 だけど低価格低税率の軽オートマチック車が世に出ると、【車に乗ってはいけない人々】が、公道に溢れて行った。これが何を意味するかと言えば、公道の意味を知らず、車の構造を知らず、自分の財産と人の財産の区別が出来ない、身勝手な老若男女が道路に溢れ出した。これらを「世相を象徴」する言葉だと受け取って欲しい。


「象徴する……言葉ですか? 」

「そ、百パーセント軽自動車の責任でもなく、社会の変化も起因している話だからね」

「あれぇ? それなら軽自動車が悪い訳じゃないですか。何か私上手いこと騙されてますか? 」

「あはは、騙してないよ。ただ、社会情勢の変化についてのキーワードだとだと思えば、あながち与太話にも聞こえないだろ? 」


 ーー美央ちゃんもスクーター乗ってるから、そこら辺の道路事情は分かると思うが、長野のドライバーのマナーと運転技術最悪だろ? 煽り運転なんて当たり前、車間距離なんかクソ喰らえ、急ブレーキ急ハンドル急ウィンカー、交差点のコンビニ駐車場はショートカット通路などなど……これらは老いも若きも当たり前のように平気でやってるんだ。マニュアル車が絶滅寸前となって、アクセルとブレーキだけのオモチャみたいな楽ちん自動車でだぜ?

 人間の質が先端技術に追い付く上方修正じゃなくて、人間の低い質に先端技術側が合わせに降りて来た下方修正なのさ。そしてそんな地獄絵図の交通戦争のために、国や県や市は電車やバスの路線や本数を減らして交通インフラ破壊しながら、ひたすら予算を積んで道路整備する。この国ダメだなあとなる訳さーー


「俺の説に感じるところはあるかい? 」

「暴論とは言わないですけど……藤巻さん、お題が難しいですぅ! 」


 癇癪を起こすまでには至らないが知恵熱が頭を加熱させるのか、ムキー! と顔をくしゃくしゃにして感情で抗議する美央。しかし美央はこの問答を嫌っている訳ではない。

 むしろ捻くれ者でへそ曲がりの藤巻の理論が、どこかしら的を得ているような気がする内容に対して、自分なりの知識を反芻して自分なりの理論に置き換える作業を気に入っていたのである。

 それが顕著に現れ始めたのは、今年の春先に起きたあの『スティグマータ事件』において、美央と奈津子の命を藤巻が助けた時期。つまり、以前はヘッポコ探偵と影で呼んでいた人物に、事件以降はいささかの尊敬の念を抱いていたのだ。


 不気味だったあのスティグマータ事件を解決したのは一切霊感を持たない藤巻博昭である。


 命の灯火が消えかけた美央と奈津子のために、謎の影の目撃ポイントと移動方向から、出現ポイントは学生寮の西側に広がる雑木林で囲まれた私有地である事を突き止め、そして彼自身も遭遇した心霊現象の本質を見極めた結果、その私有地の中に【呪物】があると想定し、土地所有者の許可を貰って徹底的に呪物を捜索したのである。


「ばあさんと二人で、ふきっ玉( ふきのとう )採りに入ったら偶然見つけのさ。けしからん事するなあと思ったけど、見れば結構な年月が経ってるような代物でね。気味が悪くてその場で投げ捨てちまった」


 呪物、すなわち呪いのワラ人形はこうして悠久の眠りから目が覚めたのであろう。突如として周囲の人々にその怒りをぶつけ始めたのである。

 そして藤巻はその怨念の根源を執念で探し出し、全国的にも有名なあの善光寺へ持ち込んで、お焚き上げ……供養して美央たちを救ったのだ。


 ーースティグマータ事件とは、死の恐怖に怯えていた江森美央と木内奈津子が、探偵藤巻博昭に対する認識をガラリと変えたキッカケであったのだーー


「あっ、ちょっと待ってください」


 へそ曲がり理論から雑談へと移行しつつあった会話を、美央はぷつりと切って制服のポケットからスマートフォンを取り出す。

 本来アルバイト中の美央は公私をしっかりと分けており、サイレント設定にした後は終業まで一切触らないのだが、吉野真里の身に起きた恐怖体験が未解決の今、彼女から連絡がある可能性を考慮してバイブ機能をオンにしていたのである。


 着信は案の定、吉野真里から。

 美央は店内にはマスターと藤巻しかいないのだが、一応マナーに配慮した形で厨房の奥へと潜み、もしもし江森ですと通話を始めた。


 おととい、月曜日の夕方に、藤巻は吉野真里と新たな可能性を模索した。

 少女の霊が出現するあの部屋は事故物件ではなかった事から、吉野真里がその部屋に何かを持ち込んだ可能性を探り、そして少女の霊が現れた方向をもって、その日の内に問題は簡単に解決した。


 ーー七月に入って最初の休日、近所のリサイクルショップでインテリア関係の品物を購入した。少女の霊が出現した方向には、背の低い小さなテーブルがあるーー


 藤巻はそれを聞いて、そのテーブルこそが因縁の根源かも知れないと、供養するように勧めたのである。


 月曜日は夜も更けて来た手前、とりあえずは今日も美央の家に泊まるよう説得してその日は終わり、明けた昨日の火曜朝、美央と吉野真里が大学へ通う途中で真里のアパートに藤巻も合流。

 部屋から運び出した小さなテーブルを藤巻が受け取って善光寺へ持ち込み、供養して奉納した。


 そして今日。

 大学では一日中真里と顔を合わせるチャンスが無く、美央もそして奈津子も結果がどうだったのかヤキモキしている中、この時間になってやっと、吉野真里から連絡が飛び込んで来たのである。


 厨房の奥で通話を続ける美央、声はボソボソで藤巻やマスターの耳には内容までは届かないのだが、藤巻はどこ吹く風の表情。

 ピスタチオを口に放り込んで、独特の青臭いバターの風味とぽりぽりと口の中で弾ける食感を楽しみながら、大海を漂う流氷の景色をそのままグラスに凝縮させたかの様なウイスキーの水割りで喉を潤し、『戦争のはらわた』のジェームス・コバーンと、『ヒート』のアル・パチーノ、どちらがシブくてカッコいいオヤジかと、マスターと激論を交わしていた。


「藤巻さん、藤巻さん」


 映画『戦争のはらわた』ーーラスト近くの敵陣突破シーンにおいて、味方の裏切りで仲間たちがバタバタと倒れて行く中、シブく決めていたジェームス・コバーンが泣きそうな声で「やめろ! 」と吠えるシーンが……と、藤巻もマスターも惚れ惚れと回想している空気を美央がぶった斬る。


「うん? どうした美央ちゃん」

「あのね、吉野先生……ダメだったって」

「ダメって、出たのか? 」

「うん、昨日の夜見ちゃったって。……先生これから店に来る」


 藤巻完全敗北。

 心霊体験と言う全くジャンルの違う相談を持ち込んだ美央も、藤巻を責める愚かさを知っており、逆に藤巻に気を使っているのか、ヘッタクソな作り笑いを浮かべながらいそいそと洗い物に精を出し始めた。


 ああ……と

 ため息らしいため息も出て来ない藤巻。

 グラスの底に残る最後の一口をぐいっとあおり、背中をくるんと丸めながらマスターにグラスを差し出した。


「……おかわりいただけるであろうか……」


  おかわりいただけるであろうか

  ……それではもう一杯


 急にトーンダウンした藤巻の声で、某心霊番組のナレーションを思い出した美央。

 釣られて笑いそうになるも、グフッと肺を鳴らしつつ、鼻をちょっとだけプクっと膨らませながらも必死に思い出し笑いを我慢していた。





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