第3話
酒宴も佳境に差し掛かってきた。酒のせいなのか、視界が少しぼんやりとかすんだ。先輩達は一体何杯飲んだか、私にはもはや皆目見当もつかない。限界まで膨らんだ胃袋に鞭を打つように私は料理を口に運び、合いの手を入れるように笑っていた。
音楽の話、後輩の腕前、さらには高校野球の話。あのピッチャーが良かった。常葉学院が負けるとはびっくりとか、もう少し打った方が盛り上がったのに。など、サワーを含みながら語る口は気づかぬうちに艶と熱を帯びていった。ひとしきり喋りきって力が抜け、私はサワーをグッと飲み干した。
「それにしても瞳美ちゃんはやっぱりいいおっさんの味が出てるよなぁ、若いのに。」
「そうですか。」
「あぁ、今の喋り口なんか立派におっさんだぜ。それに、普段から物怖じしないしな。こんなむさいおっさんが3人もそろってペット鳴らしていたら、普通は声かけられないぜ。それを簡単に乗り越えてきたもんなぁ。」
あまり冒険したと言う意識はないのだが、実際にはそれだけのことをしていたと言うことに少なからず私は驚いた。
「なんたって、瞳美ちゃんは賢いもんなぁ。他の子とは違った賢さがあるしな。」
それは自覚していた。最近自信をつけてきたことの一つだった。ただ、学校の成績に現れる賢さとは違うので、はっきりとはわかりにくいし、説明も難しい。普通の人よりいろんなことをよく覚えていたりはすると、家族にもよく言われるから、記憶力には少し自信がある。勝手がわかれば自己流にいろいろ自由にアレンジできる。パッとわかるものとそうでないものとある。音楽もまた後者だった。それでも、そのことに気づいてくれる人はなかなかいなくて、ちょっと嬉しくなった。
ただ、私だってやっぱり女性だ。周辺の女の子のように小奇麗にしていたほうがいいのか、と思った日も指では数えられないほどあった。口紅や目移りしそうなほどきれいな服に心奪われた日だってないわけではない。ただ、自分には似合わないと思っていた。自分の似合う服がなかなかわからなくて、地味にしていただけだった。だから、自分に自信が少しだけもてるようになったからといって、常に自信を持っていられるわけでは決してない。
「本当は、もう少し女の子らしくいたほうがいいのかもしれないけど…。」
私はちょっとうつむいた。
「いいって、いいって。別にほかのこと一緒にならなきゃならない理由なんてないからさ。もっと自信もっていいと思うよ。話変わるけど、眉の辺りとかもっと上達すれば、もっといい女になるよ。やっぱり年に一回はこういうおっさんの話を聞かないとな。」
さすが、50年生きてきた男性の意見はいつだって新鮮だ。こういう若さが私にとって、彼らの魅力であり、現役の高校生達が常に憧れ続けられる秘訣のように感じた。豪快な笑い声に辺りがぼんやりと、しかし明るくかすんだ。飲み交わす酒はほろ苦く、笑い交わす先輩達にちょっとだけ、いつもと違う、深みのある味を酒に覚えた。
空になった皿とジョッキが並ぶテーブル。打ち上げもそろそろお開きになり、夜、外に出た。腕時計に目を向ければ既に夜中の0時20分。こんな真夜中まで外をうろついたことは初めてだった。そうだと言うのに、車はまだ数台ごとに走り抜けていた。
「じゃあな、お疲れ!」
「また定演出ろよ!」
私は手を振りながら先輩達と別れた。真夜中の空気はひんやりと冷たいが、春らしくふんわりと柔らかい。営業を終えた駅の切符売り場にはシャッターが下ろされ、電車の電光案内板も消えていた。昼間とはひときわ雰囲気の違う、真夜中の街。
酒に酔った心地よさに酔いながら、私は駅前でタクシーを拾った。1人で乗るのは高いので、あまり乗りたくはなかったのだが、今は真夜中その上若い女1人。さすがにこの状態で無防備に街を歩く勇気はなかった。その上電車も今はない。ただでさえ静かな住宅街は一際静まり返っていた。
タクシーは速い速度で人気の失せた街の中をすり抜けていく。真夜中だと言うのに、頭は不思議と冴えていた。
年に一回はこういうオッサンの話を聞かないとな。
不意に木藤先輩の言葉が脳裏をよぎる。私は真夜中の街中に咲く夜桜をタクシーの窓から眺めた。ライトに照らされた桜色が足早に目の前を通り過ぎていった。