第1話
「ちぃーっす!」
現役高校生の吹奏楽部員はもちろん、3つ、4つ下の後輩達まで。定期演奏会に来た高校時代の恩師、小山俊太郎先生の構える一眼レフカメラの前ではしゃいだような、満面の笑顔でVサイン。母校である地元の高校の定期演奏会に顔を出すようになって、これが2回目の演奏会だった。四月に入って最初の土曜日の夜、満開のソメイヨシノが街灯にライトアップされ、普段と違う景色を演出していた。観客席にいるときはまだうすら寒かったのに、いざステージに立つと、スポットライトも功を奏してか、いつの間にか汗が噴出し、衣装のブラウスが汚れていた。
今回演奏したのはファリャの『三角帽子〜終演の踊り〜』など、吹奏楽の大曲が多く、演奏するだけでも相当なエネルギーを要するラインナップ。吹ききった瞬間はひとっ走りした後のように息が上がっていた。
観客からは割れんばかりの拍手が起こっていた。例年より観客はやや少なめだったが、納得できる演奏ができ、私としては満足だった。
私の一つ下の後輩達も何人か参加していて、トランペットの後輩達が再会に花を咲かせていた。当時部長だった後輩の栗生尚史君も来ていて、再会に私も花を咲かせた。私は何かとよくしてくれた一つ上の先輩とも久しぶりに会った。後は恩師の先生くらいかな?成り行きで受付嬢を務め、健在振りをそれとなくアピールした。
「平成19年度はこちらですよ。」
と、今年で定年退職し、私の高校時代も世話になった体育科の中里紀代子先生に名簿を示した。妙に高いテンションで。
今回長年顧問を務めた元担任の筒村綾乃先生が転勤となるため、実質これが彼女の前で披露できる最後の演奏会だった。現役の部員に頼まれて書くことになった色紙を目の前にすると、5年前の青春の日々が鮮明に蘇る。
みんなはもう社会に出て2年目、あるいは新社会人だろう。私は大学院生として地道に今通っている大学の教員を目指している。日本と言う枠の中でやろうと思ったらそりゃいろいろ上手く行かないから、イギリスなど海外の研究機関と連携をとっていくことも計画している。こんな夢を描けるようになってつくづく、英語をやっておいてよかった。と、思った。大学の教員になったら、自主ゼミなどの形で何か将来の学生さんと一緒に研究プロジェクトをやりたい。そんな夢など、あの頃には見ることもなかった。そんな、暗く、ほろ苦い、ごく普通だった私の青春。
「瞳美ちゃん、お疲れ!」
クラリネット片手に帰っていくOGで私が現役1年の時の部長だった富山文音先輩。明るい笑顔は今も変わっていない。
私もあの頃のままでいられているだろうか。そう聞かれると、やっぱりそうはいかない。あの頃と今とでは立場も違うし、あれからいろいろな経験も重ね、それらのひとつひとつが走馬灯のように蘇る。泣いて、笑って、悩んで、ありふれながらも貴重なドラマだったが、鬱病のような状態になりかけたこともあった。一歩間違えればどんどん闇の中に引き込まれていきそうなあの地獄のような感覚、演奏会に顔を出すようになったのは、そんな心境を超えてからのことだった。
慣れ親しんだホールを後にしようと、階段に足を下ろした途端、
「おう、帰るのか?」
と、木藤先輩が声をかけてきた。木藤悟先輩。私の倍以上の年齢を重ねた、ジャズトランペット奏者。定期演奏会に顔を出しては豪快なハイトーンを披露し、現役高校生の度肝を抜いていく。後輩もまたジャズトランペット奏者を目指しているらしく、その影響力は計り知れない。いわばわが高校吹奏楽部伝統屈指のドンだ。そんな先輩の一言に、足を滑らせそうになりながらも、
「いえ、どうしようかなって。」
と、答えてみた。
「そうか!じゃあ行こうぜ、あれ!」
「あれってまさか…。」
「そうそれ!瞳美ちゃんいないと盛り上がらないぜ!」
と、豪快に私の肩を叩きながら笑う。いつになっても変わらないな。私は小さく苦笑した。前は同期の戸村祐一君と後輩の白石順一君と6人、居酒屋で飲んでたな。今回はどうやらその2人が抜けて私を含めた4人だけらしい。
若手は私だけかよ…。
心の中で小さくぼやいた。