#6 泥棒猫
ぼくの頭上に降り注ぐ、大量の血の雨が。
頭から肩にかけて、ぼくの体を赤黒く汚す。
確かな恐怖心を抱きながらも、おずおずとゆっくり背後を振り向く。
すると、あまりの畏怖で目を見開くこととなってしまった。
それも当然だろう。
背後でぼくに銃を突きつけていたはずの男の首が傾き――ごろん、と地面に落下したのだから。
そして少し遅れて体も倒れ、男は全く動かなくなった。
「こ、殺し、たの……?」
「ごめんね、本当は君にこんなところを見せたくはなかったんだけど……どうやら無抵抗の女の子を人質に取ったり奴隷にしようなんて企むような下衆だったみたいだから。少し、許せなくてね」
ぼくの背後、首と胴体が分離した男の遺体を挟むようにして立っているネルソン王子が、そう答えた。
正直ぼくはネルソン王子のことを、爽やかイケメンな優男だと思っていた。
だが、まさか人質に取られたりして許せなかったとはいえ、ここまで残酷な殺人をしてしまうだなんて。
でも、ネルソン王子は決してただ残虐な行いをしたわけじゃない。
あくまで、ぼくやミントを守るためにしてくれたことだ。
ならば、感謝こそすれ恐れたりするのは間違いだろう。
そう自分に言い聞かせ、震える体を必死に抑える。
違う、この人は違う。悪人じゃない。だから、大丈夫だ――と。
「……ありがとう。助けてくれて」
「ううん、大丈夫だった? そこの君も」
いつもと変わらない爽やかな笑みを浮かべ、未だに地面に倒れているミントへ手を差し伸べる。
ミントは暫く動揺したり戸惑ったりしていたものの、やがてネルソン王子の手を取って立ち上がった。
ふと、さっきまで離れたところの石壁の上にいたはずのシナモン王女が、こちらへ向かって歩み寄ってきていることに気づく。
それはぼくだけじゃなく、ミントやネルソン王子もそうだったようで。
シナモン王女が近くまで到達したとき、ネルソン王子は口を開く。
「そう言えば、シナモン。さっき、ライムさんごと射とうとしていたように見えたんだけど気のせいかな?」
「なっ! い、いや、そんなわけないじゃない! あたしは、ちゃんと後ろの男だけを狙ったわよ!? もちろん、ライムに当たらないようにしながら!」
見ているだけで気の毒に思えてしまうほどの冷や汗をだらだらと流しつつ、シナモン王女は必死に否定した。
余程兄に嫌われたくないのか、もしくはそれだけ兄が怒ると怖いのか。
きっと、両方だろう。
それにしても、先ほどネルソン王子はぼくのことを交際相手と呼んだ。
確かに、お見合いの件をしなくて済むように、恋人のフリをしてほしいと頼まれはしたが……。
でもそれはつまり、ぼくたちは本当に付き合っているわけではない。
だから、わざわざ交際相手などと言う必要はなかった気もする。
まあ、シナモン王女がいたからか、仮にとはいえ一応まだ恋人同士ということになっているからかもしれないけども。
「君たちは、これからどうするんだ? 何故か、君たちを狙っているように見えたけど」
ネルソン王子に問われ、どう答えるべきか迷ってしまう。
本当のことを言ってしまって、いいものかどうか……。
もし、この二人が奴隷が逃げ出したことに対して悪く思ったら。この国の王族なんだし、国が定めた規定に従うことを強く推奨していたら。
その場合は、今ここでネルソン王子やシナモン王女が敵になってしまう可能性が高いだろう。
いや……さすがにそれは、二人を信用しなさすぎか。
ぼくたちのことを守ってくれたわけだし、まだ出会ってから間もないとはいえ、いい人であることに変わりはない。
今日の一日だけでも、それは充分と伝わってきた。
だから――できるだけ醜い嘘は、つきたくない。
そう思って、ぼくは全てを話した。
ミント・カーチスが、実は〈バトリオット〉出身だということ。
奴隷である身分に耐えきれず、この国まで逃げてきたこと。
そして、奴らはそんな奴隷を連れ戻しに来たことを。
「そ、そんなことが……」
ぼくの言葉を耳にし、シナモン王女は悲哀に彩られた声音を漏らす。
それから、ネルソン王子も悲壮感のある表情で口を開く。
「……そうか。まずは話してくれてありがとう。君たちの事情は、よく分かったよ」
「ぼくたちのこと、責めないの? ミントを助けるためとは言っても、国のルールに逆らったわけだし」
「責める? 何を言ってるんだ?」
ぼくの懸念に、ネルソン王子は本気で訳が分からないといった様子で首を傾げた。
更に、ぼくの頭にポンと手を乗せて言う。
「確かに、ルールっていうのは守らないといけないものだ。破るためじゃなく、守るために定めるものだからね。だけど、そのルールを作った人だって、僕たちと何ら変わらない人間なんだよ。絶対に正しいなんて保証は、どこにもない」
そしてぼくの頭から手を離し、柔らかくも爽やかな笑みを浮かべて続きを述べた。
「だから、君が……いや。君たちが、そのルールは間違っていると思うなら。そして、自分たちの行動が決して過ちなどではないと胸を張って言えるなら。僕も、君たちを手伝うよ」
胸の奥が、温かくなるのを感じた。
瞳の奥が、じわりと滲むのを覚えた。
ただ単に、嬉しかった。どうせ分かってもらえないんだろうなって、諦めにも似た感情を抱いていただけに、尚更。
それこそ、涙が出てしまいそうなくらい。
やっぱり、話してよかったと思わざるを得ない。
ネルソン王子とシナモン王女……この二人が手伝ってくれるということほど、心強いものは他にそうそうないだろう。
何せ、この国の王子様と王女様なんだから。
「あ、あたしは別に手伝うだなんて言ってないわよ!? でも、まあ……このまま見捨てるのも、それはそれで恨まれそうだし、寝覚めが悪いし……」
「あはは。ごめんね、シナモンは素直じゃないからさ」
「ちょっ、お兄様っ!」
シナモン王女が赤面して叫んだ――直後。
ざっと十人ほどの見知らぬ男性が、一斉にこの場に駆けてきた。
もしかしなくても、ミントを連れ戻しに来た奴らの仲間だろう。
何でさっきから、運悪くぼくたちがいるところにすぐ追いついてきてしまうのか。
作戦を相談したり、ちょっとの談笑すら落ち落ちできない。実に困ったものである。
「君たちは、早く行ったほうがいい。ここは、僕たちが足止めしておくから」
「そういうこと。早くしなさいよ、泥棒猫」
ネルソン王子は剣を構え、シナモン王女は弓で狙いを定める。
ぼくは別に泥棒猫なんかじゃないんだけど……今は指摘している暇もない。
そして、のんびりしている時間すら、今のぼくたちには惜しかった。
だから――ただ、ありがとうとだけ告げて。
ぼくは背を向け、ミントの手を引いて船へと急いだ。




