#4 わざわざ祝うようなことでもないと思うよ
「……ただいまー」
扉を開け、然して大きくもない声で言うと、途端にリビングのほうからドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
そして、すぐにユズが玄関に姿を現す。
「ちょっと! 今までどこに行って……」
どうやら怒っているらしかったが、その言葉は途中で中断された。
ユズの視点が、ぼくから、ぼくに支えられながらも気を失っている少女へと移り。
暫しの沈黙のあと、ユズはポツンと一言だけを発する。
「えっと……誰、ですか」
§
「なるほど……そういうことですか」
ぼくたちはリビングへと移動し、外を歩いていたら少女が倒れたことを話した。
正面にはユズが座り、ぼくの隣には少女が座っている。ちなみに、少女はリビングの椅子に座らせるや否や目を覚ました。
不思議そうな顔をしているものの、大人しくぼくとユズを見つめている。
「ユズ、ご飯作ってたよね? せっかくだから、この子にも食べさせてあげようよ」
「あ、はい、そうですね。同居してるくせにライムさんが全然手伝ってくれなかったので、わたし一人で作りました」
「……怒ってる?」
「いえ、全然、まったく、これっぽっちも怒ってなんかいません。ライムさんがどうしようもない人だってことは、とぉぉぉぉぉっくに知ってましたから」
「……めちゃくちゃ怒ってるじゃん」
確かに途中で出かけたのは悪いと思ってるけど、そこまで言われるようなことかな。
少しむくれながらも、ユズは台所へ行き、皿を持ってくる。
その皿には、大きな肉とサラダのようなものが乗っていた。
「これ、何の料理?」
「龍肉のステーキと、コビルサラダです」
「こ、コビル、サラダ……?」
「元気が出るって言われる草のことです。こうしてサラダとして食べるのが一般的なんですよ」
このステーキが、龍の肉で。このサラダが、元気が出る草か。
異世界の料理も、なかなかバラエティに富んでいるらしい。
ぼくはあまり好き嫌いとかないし、目の前の料理も凄く美味しそうに見えた。
でも、龍の肉って凄いな。高そうなんだけど、一般家庭の食卓に並ぶようなものなのか。
と、ユズが持ってきた料理を目にして、ぼくの隣に座っている少女の瞳が瞬時に輝き出す。
そして、部屋中に腹の音が鳴り響いた。
「食べますか?」
「……いい、の?」
「はい。お口に合うかは分かりませんけど」
ユズの言葉を聞いて、少女はステーキの肉をゆっくり口に運んでいく。
飲み込んだ直後、さっきまで浮かない顔をしていた少女の口元が綻ぶ。
それからは、遠慮など一切感じさせない勢いで、ガツガツと肉を貪り始めた。
「凄い食べっぷりですね」
「お腹が空いてたからだろうね。ユズの料理が美味しかったわけじゃなくて」
「……ライムさんは食べなくていいです」
「ごめん、冗談だって!」
「くれぐれも言葉には気をつけてくださいね」
「ごめんなさい気をつけます」
と、そんなやり取りをしている間に少女は早くも食べ終えたらしく、再びぼくとユズを不思議そうに見つめていた。
量はそんなに少なくはなかったのに、完食するのが実に早い。
少女の空腹は、ぼくが思っていた以上だったのだろう。空腹は最高のソースとも言うし。
「……仲、いいね……」
「そ、そんなことないですよ。わたしが、ライムさんの世話を焼いてあげてるんですっ」
「ユズって、時々偉そうだよね」
「う、うっさいです! そんなことより、ライムさんも早く食べてください」
言って、ユズは少女が食べたのと同じ料理をぼくに差し出す。
もちろん美味しそうではあるけど、龍の肉やコビルという名の草は食べたことがないため少し緊張してしまう。
「龍の肉なんて、普通に一般家庭で出るものなの?」
「そんなわけありませんよ。龍にも色々あって値段も様々ですけど、基本的には高級食材なんです」
「だったら、何でそんな高級食材を今出したの?」
「えっ? そ、それは、その……お祝いっていうか……」
「お祝い?」
「ほ、ほら、今日からライムさんは、この世界の住人になるわけじゃないですか。しかもわたしと一緒に暮らすわけですし、初日なので、そういうお祝いとかしたほうがいいかなって……その……」
「ユズ……」
恥ずかしそうに若干しどろもどろになって告げたユズの言葉に、ぼくは少しだけ感動してしまった。
まさか、ぼくのためにこんな豪勢な夕飯にしてくれたとは。
正直、普通に嬉しかった――けど。
「……でも、わざわざ祝うようなことでもないと思うよ」
「こ、細かいことはいいんですっ!」
何はともあれ、ぼくは龍肉のステーキを食す。
硬すぎず柔らかすぎず、適度な食感を以てぼくの口腔を通っていく。
グルメレポーターでも何でもないぼくには陳腐な感想しか出てこないが、めちゃくちゃ美味しい。
あまりの美味っぷりに、異世界に来て初の食事を堪能していると。
隣の少女は、ボソリと呟く。
「……あり、がとう……」
「え? ああ、いや、これくらいいいですよ。そんなにお礼を言うほどでもありませんし」
「そうそう。全然大したことないから気にしないでよ」
「何もしてない人が言わないでくださいっ!」
ちょっとした冗談のつもりだったのに、怒鳴られてしまった。
ユズって、ぼくにはちょっと厳しくないですかね。気のせいかな。
少女はそれでも尚、翳りのある表情で俯いている。
そして、今にも消えてしまいそうなほど儚い声で。
「……ううん、こんなに優しくしてもらったこと、ないから……」
そう、言った。
ぼくたちは、ただ外で倒れた少女を連れて帰り、お腹を空かせていたから食べさせただけ。
少女の口ぶりは、ちょっと大袈裟のような気がした。
「どういうことですか? そもそも、あなたは一体……?」
訝り、ユズは少女に問う。
ユズの反応を見る限り、猫耳や尻尾の生えた少女自体は、この世界では珍しくないのかもしれない。
だが、ボロボロの衣服を着ている理由、疲労困憊している理由、空腹状態で夜に歩いていた理由……合点のいかないことが多すぎて、不審がるのも無理はないだろう。
すると、少女は答えた。
己の名前と、自らの身の程を。
「……私、ミント・カーチス。こことは違う別の国で、奴隷をしているの……」




