転生トラック 勇者まさおの帰還
ある転生者の物語。前作『悪役令嬢 カトリーヌの場合』と少しだけ繋がっています。
もう、半年以上前の話になる。
僕の職場から程近い交差点で交通事故が起きた。
月のない深夜に、人とトラックの衝突事故だった。
無論、トラックは僅かに凹み、人は死んだ。
見通しの良い二車線の県道にしては、あまりに悲惨な事故だった。
が、その詳細を知るや否や、人々の同情は運転手にのみ注がれ、現場にたむけられた献花は瞬く間に撤去された。
何せ、高齢ニートが走行中のトラックに身を投げ出すという、実に迷惑で痛ましい事故だったのだから。
交番勤務に就いたばかりの僕は、幸か不幸か、その事故の一部始終を目撃し、事後処理にも立ち会った。
被害者・金藤正雄は、中学二年の夏頃から人間関係に行き詰まり、頭痛腹痛を言い訳にしては学校を休み、マンガとゲームに溺れる日々の中で高校受験の機会を逃し、そのままインターネットの世界に浸り続けて、ぶくぶくと醜く肥え太った三十近い独身無職だ。
滅多に外出することはなかったが、時折、彼の自宅から見て交差点より向こうにあるコンビニへ、俯きがちにのっそりと向かう姿が目撃されていた。
一方の加害者である運転手・荒川遼一は、家庭の経済事情から高校進学すらも断念し、今の仕事を選んだ。若くして妻に先立たれ、五歳と二歳の子供たちを育てながら、優良ドライバーとして何度も表彰されている。事故当時、法定スピードを若干超えてはいたものの、信号は運転手側が青だった。
これほどの対比があるだろうか?
辞書のように分厚い罪状軽減の嘆願書を、町内会長の愛孫から手渡されて苦笑いする僕の上司の写真が、地方新聞の一面を飾ったこともある。
運転手の次に同情を集めたのは、たまたまその場に居合わせて、実の兄が轢き潰されていく様をはっきりと目に焼き付けてしまった中学生の妹だが、正雄の身内ということもあり、世間の反応は芳しくなかった。
本当にイヤな事故だった。二度と見たくない。
ふと、上司が僕の正面に座り「荒川遼一の件なんだが」と、デスクワーク中の僕を見据えた。
その穏やかな眼は、一見とても優しい紳士と思わせる。
ただし、この不自然なくらいに柔和な顔は、上司の普段の顔ではない。
むしろ今の彼は怒っている。怒髪天というヤツだ。
何故?
僕は努めて平静を装う。
「すみません。昨日、荒川さんがここに来たことを黙っていました。申し訳ありませんでした」
「大袈裟だな。記録はとってあるじゃないか。ちゃんと読ませてもらったよ。やっぱり君の調書は良く出来てる。高校の成績良かったんだろう? 大学行ってキャリアになったら良かったんだよ。苦労するぞ。俺たちは」
上司も僕も軽く笑い合う。
僕自身もそんな夢を見たことはある。勉強は好きだったが、僕のクソ親どもは金を出す気はさらさらなかったのだから仕方がない。金があったらあるだけパチンコと競馬と酒に消えてしまう。出世するより、あんなクソ家族からすぐにでも離れたかった。
今はそれなりに幸せだ。それなりに。
「そう言っていただけるうちが華です。より精進したいと――」
上司は僕の麗句を遮り、唐突な言葉を発した。
「死んだのは、聞いたか?」
一瞬の沈黙の後、僕は尋ねた。
「……荒川さんが、ですか?」
話の流れから見て、それしかないだろう。しかし、
「何故です?」
「わからん。さっぱりわからん変死体になっていたので、検死に回されたそうだ」
「死因が不明ということですか」
「なんというかなぁ……。どうしたらそういう死に方をするのか皆目わからんのだよ」
なんでも、全身傷だらけで立ったまま死んでいたらしい。
石のように。
比喩ではなく、肉体の全てが石化し、骨も内臓も区別できないほどに『石像』と化していたそうだ。それでは監察医もお手上げだろう。
「……それで、自分に何を確認したいんでしょうか?」
聞かれて困ることは何も無い。
荒川は交通刑務所を出た足で、自作の醤油と味噌を手土産に僕のところへやってきた。
運転手の仕事はもう無理だが、支援団体のツテで再就職は決まっているという話や、寂しい思いをさせた子供たちを連れて今流行りの何かへ行ってみたいが、どんな処が良いか? というような世間話をしただけだ。
「あまり死んだ人間を悪く言いたくないんだがね」と前置きをした上で、上司は言う。
「交通刑務所での荒川は『あいつの為に手を合わせるのはもうゴメンだ』と良くボヤいていたと言うんだよ」
「人間ですからね。正直で結構じゃないですか」
「そうか」と言うと、上司はしばし沈黙した。
けして僕から目を逸らさずに。
そして、深いため息の後、こう言った。
「荒川は『あれはやっぱり犯罪だと思う。ひょっとして前からグルだったんじゃないか』とも良く言っていたそうだ」
「どういう意味です?」
「わからんよ。君にはわかるんじゃないかと思ったんだがな」
僕は少し考えた。
「おそらく、それは被害者の妹さんのことですね。荒川さんの誤解です」
「妹? ああ、正雄の妹か。まだ中学生だったな」
あの日、事故の目撃者は僕と彼女と当事者の荒川だけだった。時刻の問題もあっただろう。奇跡的に、それしか目撃者がいなかった。
「彼女から良く相談を受けていたんです」
「初耳だぞ」
相談……といっても、僕一人の時を狙ってピンポンダッシュのように「おまわりさーん! ウチの兄貴がキモイから逮捕して!」などと笑いながら言い捨てていくだけだ。さすがに記録には残せない。
上司にそう言うと、「そうか」と頷いて、お茶を入れ始めた。
「あ。自分がやりますよ」
「遠慮はいらんよ。俺のいれる茶は旨いぞ。家でカアチャンに鍛えられてるからな」
「ありがとうございます。有難くいただきます」
互いに緑茶を軽く一口啜ると、上司は眉間にしわを寄せつつ目を細めた。
「何年前だったかな。アレは」
「アレ、ですか」
「ほら、中高生の間で流行っただろう?」
「何がです?」
上司は一瞬、「俺に言わせるのかよ」という顔をした。
「異世界だよ。ファンタジーってやつか」
上司は少し恥ずかしそうに下を見る。確かに定年間近のいかつい男には、どうにも素直に発しづらい単語だ。
「そういうのは流行るというより、どの世代にも常に一定のファンがいるみたいですよ」
「君は?」
「自分はそういうのは……ちょっと」
「俺もそうだよ。だがな、監察医が言うんだよ。ファンタジーだったら説明がつく。ってな」
僕は半笑いで聞き返す。
「……つまり、荒川さんは『メデューサに睨まれた』とでもいうんですか?」
「変かね?」
「変でしょう。流石におかしいですよ。そもそも、『石像みたいな死体』じゃなくて、石像そのものなんじゃないんですか? 酷いイタズラだ。本人はどこかで『ドッキリ成功!』って笑っているかもしれないじゃないですか」
自分で言いながら、下手を打ったと思う。
なんてバカげた説だ。あの真面目で善良な荒川が死体と見紛うほどに精巧な己の石像をつくる理由なんてあるか? そんな金も時間も能力もないだろうし、何より無意味だ。
しかも、『石像』だろう? そんなものを警察が死体と断定出来た理由は?
……あるのか?
あるのだとしても僕は何も聞かされていない。
死んだという話さえ、たった今聞いたのだから。
ふと、不安を覚える。
まさか、僕にだけ情報が来ていない?
上司は更に僕を追い詰める。
「本当に、あれは正雄の本だったのかな」
僕は微笑み即答する。
「はい。事故当時、彼が握り締めていたんですから」
「でも、そう言ったのは妹だろう? 普段、仲が悪かったっていう」
荒川に世間の同情が集まった最大の理由は、その本のタイトルと内容にあった。
『転生トラック 異世界に転生した元ニートの俺がチートtueeee!!!で世界最強伝説をつくる! もちろんハーレムもつくるYO!!!!♪ 3 』
妹の証言によれば、正雄はその本を握り締め、雄叫びを上げながらトラックの前に躍り出た。
本の内容を信じ込んでいたのか、単に現実が嫌になっただけなのか、どちらにせよ迷惑な話だ。と人々は噂した。
僕はその一部始終を見ていた。
彼女は化け物同然の兄がネットスラングをブツブツと呟きながら我が物顔でのし歩く家が嫌だった。その有様を事実上容認する両親も嫌だった。家にいるのが苦痛でならず、気晴らしにコンビニまで散歩するのが日課だった。あの夜もそうだった。
だが、あの日は少し違っていた。
コンビニを目指す彼女に向かって、肉の塊が走り寄る。正雄だ。
普段、屋外では置物のように静かなはずの肉塊が、何かを叫びながら彼女に抱きつこうとした。そう見えた。
だから彼女は咄嗟に正雄を道路に突き飛ばした。
そこにたまたま荒川のトラックが走ってきた。
正雄は避けきれずに轢かれた。
真実はそれだけだ。
「刑法254条」と上司が呟く。
「遺失物がどうかしましたか?」と僕はとぼける。
なんていやらしい上司だ。
全てお見通しなのだろう。初めから。
上司は問う。
「ウチには確か、あの本と全く同じ拾得物があったよな? 今、どうなってる?」
僕は出来る限りの笑顔で答える。
「持ち主が現れたので返却しました」
もう終わりだ。誤魔化しようがない。
そう。僕だ。
交番に届けられた落とし物『転生トラック 異世界に転生した元ニートの俺がチートtueeee!!!で世界最強伝説をつくる! もちろんハーレムもつくるYO!!!!♪ 3 』を、僕が瀕死の正雄の手に握らせた。
いけないか?
兄を殺したという巨大な十字架を背負いかけた女子中学生を救うために。
愛する子供たちの為に真面目に働くトラック運転手の名誉を守るために。
いけないか?
たったそれだけのことだ。
何がいけないんだ!!!
「実はな」と上司は言う。
「俺は少し嘘をついた。交通刑務所での荒川は品行方正、優等生そのものだった。毎日きっちり被害者の冥福を祈っていたそうだよ」
「じゃあ、さっきの話はでっち上げですか」
「いいや。セリフそのものは本当だ。大勢の人間が聞いてる。何故だと思う?」
荒川は遺体で発見されたわけではなかったのだ。
全身傷だらけの状態で、自ら病院に駆け込んできたそうだ。
本人が言うには『中世風のコスプレをした変な外人の集団』から散々な暴行を受けたのだという。
「そして、その変な外人のリーダー格が『顔は良いのにネットスラングでボソボソ喋る気持ち悪い奴』だったそうだ」
はじめのうちは、ただの打撲切り傷と思っていたものが、時間が経つにつれ、足先からじわじわと石化が進み、現代医療ではどうすることもできなかった。
ついにそれが首元にまで達した時、荒川は真実を全て暴露した。
僕は率直な感想を述べる。
「なんですかその話。エイプリルフールは五か月後ですよ」
上司は外を見つめて「そうだな」と頷いた。
「俺も信じたくはないがね、彼らは君にちょっと仕返しをしたら、荒川にかけた石化の魔法とやらを解いたうえで、『向こう』に帰ってくれるそうだ」
僕は外の景色に目を疑う。
冗談のような美形のコスプレ集団が立っていた。
その中の一人が大きく振りかぶり、何かを僕に投げつける。
名札の付いた赤黒く汚れた布切れだ。
それは、正雄の妹の名が記されたセーラー服のごく一部だった。
僕は乾いた声を絞り出す。
「彼女に何をした?」
僕の問いに、髪も目も銀色に輝く幼女がぼやく。
「わらわは悪くないぞ? この世界の輩に魔法耐性がなさすぎるのじゃ。軽く風魔法で撫ぜただけで、ピクリとも動かなくなってしもうたわ」
彼らの背後を、サイレンを鳴らした救急車が三台横切る。
全て正雄の家で停止して救命隊員が雪崩のように駆け込んでいく。
「まさか、家族まで!?」
「仕方あるまい。我が主に謝りもせず反撃してくるからじゃ。我が主を手にかけたというから、どれ程の猛者かと思えば……あんなに弱いとは思わなんだわ」
「ふざけるな!! 彼女はまだ中学生だぞ!! 貴様ら一体どういうつもりだ!?」
上司の制止を振り切り、僕は連中のリーダーと思しき男に銃口を向けた。
「ばか、やめろ! あいつらは常識なんか全く通じないんだぞ!!」
銃口が火を噴くや否や、僕は激しい痛みに襲われる。
ピンクの髪に猫耳をつけた少女が笑う。
「おばかさんニャ♪ ご主人サマが受けたダメージをそのまんま……いいや、ちょっと倍にして、お返ししたニャ♪」
水色の髪をかき上げながら、全身スケスケのドレスのみを纏う巨乳の女がニヤリと頷く。
「ほんとですわね。何もしなければ、お命まではとりませんでしたものを」
健康的な褐色の裸体に豪奢な宝石だけを巻き付けた赤毛の女は、無言で僕に向かって唾を吐いた。
他にメイド風の女や騎士風の女もいたが、無駄に露出度が高い。痴女の群れだ。
美形だが悉く狂った衣装の集団の中で、ただ一人の男――『転生勇者まさお』は、下品に笑いながら空間に巨大な魔方陣を描き始める。
「さあ、ボクちゃんの可愛い嫁たちよ! くだらない復讐はこれにて終了! さっさと我が城へ帰って、ムフフ……ですぞ! ぶひひひひひヒヒヒィ!!!」
◇◇◇◇
そこまで思い出したところで、僕は母の不安げな視線に気づく。
僕の目の前には、生まれたばかりの愛らしい妹。
そうだ。
僕は妹を見た途端、自分の前世を全て思い出したのだ。
「どうしたのです? アレックス」
この母は顔も声も美しい。そして何より心が美しい。上品で優しい人だ。
僕はガラス窓に映る自分の姿を改めて眺める。
僕も母のように金色の髪が良かったのに。
メイデレ家の男子は必ず藤色の髪になるらしい。巷ではピンクや水色や緑色の髪も普通に見かける。ここはそんな世界だ。
もし神がいるというのなら心から感謝したい。
僕はなんと恵まれた境遇に生まれ変わったのだろう。
権力を持ち、それでいて清廉潔白と名高い父。父に添う聖母のように美しい母。
僕自身の顔も、いささか人形じみてはいるが、整っているのだから文句はない。
「お母さま。私は今、妹を見て覚悟したのです。メイデレ家の嫡男として日々精進したい所存です」
「まあ、この子ったら。急に大人になったわね」
そうだ。僕は学問がしたい。自身を高めたい。
そして、この世界で、この世界の常識の範疇で、やがては僕の思う『正義』の世界を実現しよう。
※『王立秘密警察』創設者にして初代長官を務めたアレックス・メイデレ侯爵は、某ネット上で『世界に誇るべき伝説の哲学的クソゲー』とまで評された乙女ゲーム『乙女の祈り~キラキラ学園ラブラブ☆ピースMAXぱぅわぁー! きゅんきゅん~』の典型的な咬ませ犬キャラに転生させられたという残酷な真実を全く理解出来ぬまま、数々の苦難を見事に乗り越え、波乱に満ちた偉大な生涯を終えた。
勇者ってすごいな。と思います。