第1話
「荷物はこれで全部かな」
春を目前に控えたとある学生寮の1室で、大粒の汗を額に浮かべながらそう呟く。
その男は、新堂渡、18歳。
現在、渡が春から通う大学の学生寮にて、引越しの作業中だ。
その大学は、フルーリア大学。''この世界''最高峰の大学である。
この世界と言うのは、現実世界ーー地球の存在する世界ーーとは異なった世界。その名を、【アールシルト】と言う。
アールシルトは、魔法や魔術、モンスターの存在する、人に言わせればベタな異世界であり、その世界の研究者の働きかけによって、近年こちらの現実世界と交流が始まった世界なのだ。
ともかく、そんな世界で新堂渡は新生活を始める。
「ふぅ...ひとまず一段落、だな」
8畳ほどのリビングに、シングルベッドと小さなテレビ。ウォークインクローゼットには、真新しいスーツがアイロンがけを済ませた状態で入れてある。また、ベッドの横には小型の冷蔵庫が設置され、すでにペットボトル天然水が冷やされている。
本来ならば相応の家賃がかかるこの学生寮だが、異世界留学生の補助金としてなかなかの金額が支給されている渡は、何の苦も無くこれを払うことが出来る。
「少し暇だし、とりあえずは近所を見て回るとするか」
「やっぱり、まずはここからか」
最初に足を運んだのは、学生寮の最寄りであるフルーリア大学。とは行っても、まだ入学前である渡が入ることは出来ず、警備責任者が立っている門の手前からキャンパス内を眺めるだけだが。
そのキャンパスは広大で、中央には、東京の高層ビルもかくやという巨大な石造りの時計台がそびえ立っている。
「ここが、俺が通う大学なんだな...」
休日であるのに、熱心な学生は自主的に活動を行っているのか、それなりに活気づいている様子に、渡は密かに心を躍らせた。
続いて、フルーリア大学正門前にある下り坂に沿って出来た、通称【正門前市場】。
学生相手が目的の店ばかりなので、それほど高価なものを扱う店は多くないが、それでも学生の一人暮らしに必要な物は大抵ここで揃えられる。
「こっちの方も賑やかでいいな」
休日であるだけに、遊びに来ている学生も多いのか、大学生らしき人々があちこちで見られる。
そんな中を進んでいるうち、とあるさびれた看板が渡の目に留まった。
「...ん?あれは...【ミミの魔道具店】.........魔道具?」
少し迷って、やはり気になるのか、見てくれは古い民家のようなその店の扉を、おそるおそるといった様子で開く。
「こんにちはー...」
扉を開けた瞬間、若干漂うカビ臭さに、思わず顔を顰める。足を踏み入れると、それなりの広さの店内に、ところ狭しと置かれた木製の棚。棚の上に並べられているのは、何に使うのかも分からない妙な器具や、どこか禍々しさを感じる宝石などで、悪趣味としか言い様のない感覚を覚えた渡は、早々に踵を返し、店を後にしようとする。
「なんだい、折角来たのに商品を手に取りもしないのかい」
突然、声を掛けられ思わず振り返るが、誰もいない。さすがに恐ろしくなって、急いで扉を開けようとするが、
「....開かない?」
何故か、入ってきた時にはすんなりと開いた扉が、釘で打ち付けて固定されたかのようにびくともしない。
「滅多に来ない客なんだ、話くらい聞いて言ったらどうだい」
再び掛けられたその声に、渡はゆっくりと後ろを向く。
そこには、その尊大な口調からは想像も出来ない少女が、こちらを向いて立っていた。
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フル―リア大学のとある一室。
机に置かれたモニター越しに、初老の男が疑問を口にする。
「本当にあの若者たちでよかったのか?」
問いかけられた机に向かう男は、落ち着いた様子で答える。
「ああ、問題はないさ。いや、むしろ素晴らしい。今までに様々な分野の天才たちを育成してきたが、それにしてもあれほどの質の者はいない。しかも、それが一人ではないのだから、とんでもない僥倖としか言いようがあるまい。」
「まあ、あなたがそう言うのなら間違いはないのだろう。そこらへんはそちらの方がよっぽど詳しいだろうしな。だが、くれぐれも気取られぬよう注意してくれ。少なくとも時がくるまでは、な。」
その後、数回言葉を交わし、男たちは通信を切断する。
「やはり、このような機会を逃す手はないな。」
部屋で一人、男...フル―リア大学学長はつぶやく。
「何としてでもアレをこちらに引き入れなくては...。」