三話 来るはずのない敵
それから少しして。
俺は順調に大広間まで足を進め、そこで多くのスライムを倒していった。
このダンジョンには知能が働くゴブリンが数体いるが、今日は何故かどこからも姿を現さない。
知能を全く持たず、目の前にやってきた者を無作為に飲み込んでいくスライムしか現れることはなかった。
それは、俺にとって好都合である。
パーティを組んでいない俺にとっては、ゴブリンといえども相当の強敵になりうるからだ。
「こいつで……四体目!」
もう手馴れたもので、スライムがこちらに気付く前にはもう近付き、斬り付け、即座に弾丸を撃ち込む。
もはや作業となっていた。
だが、そろそろ銃の弾が無くなってきていた。
弾が無くなってしまっては生命核を壊すことができない。
――そろそろ潮時か。
思い、身を翻したその時。
強烈な地響きが俺の身体を襲った。
立っていることすらままならない。下手したら、このダンジョンごと崩れて潰れる可能性だってある。
俺は急いで体勢を立て直し、走る準備をした――
が、
「え?」
頭上に出来上がった、巨大な陰り。
それは段々と大きくなり、大きな落下音とともにその正体を俺の目の前に現す。
「おいおい……ウソだろ……」
俺の目の前に現れたのは、全長十メートルはあるとてつもなく巨大な牛頭の人型モンスター、ミノタウロスだった。
右手に血塗られた戦斧を持ち、口元からは牙を二本むき出しにしている。
その双眸は赤黒く輝き、それが獰猛に見開かれれば、たちまち俺のことを敵と認識したと伝えてくる。
「何で! 何でこんなところにミノタウロスなんてのが居やがるんだっ……!」
ミノタウロスは本来中級以上のダンジョン最深部にしか出現しないはずで、こんな初級中の初級ダンジョンに現れるようなモンスターじゃない。
それなのに、どうして――
だが俺が逡巡している間にも、ミノタウロスは敵と認識した俺を撲殺しようと動いてくる。
「くそがっ……!」
規格外の腕力で振り回される斧を、俺は転がりながら何とか躱した。
ミノタウロスとの距離を一旦離す。
――どうする? 逃げるか?
――いや、出口はミノタウロスの奥にしかない。逃げても、もしかしたら追いつかれるかもしれない。
――なら、戦うしかない?
――いや、戦って勝てる相手じゃない。本来こいつは、パーティを組んで倒すことを想定された奴だ。
――どうする? どうする……?
足が震える。手が震える。
俺自身、何かを殺すことに抵抗があるわけじゃない。むしろその辺の覚悟は常に出来ている。
だが……今の俺は、あまりにも非力すぎる。
「――っ!」
ミノタウロスは斧を横薙ぎにした。
俺は再び後ろに回避行動を取るが、先の思考が俺の行動を遮り、完全な回避まではいたらなかった。
「ぐぁ……!」
ミノタウロスの斧は俺の左腕を掠めていった。
肉が抉れ、負傷部分から血が溢れ出る。
――本来魔法が使える者が大半の勇者ならば、この程度の傷はすぐに治せる。
だがソロの上に魔法が使えない俺にとっては、これが致命傷になりかねない。
「こんなところで、俺は死ぬのか――?」
ふと俺の口から、そんな言葉が漏れ出た。
今まで無理せず、自分が使える全てものを駆使して貧相ながらも生きてきた。
――なのに。なのにこんなイレギュラーなどうしようもない事態で俺は死ぬのか?
自分の目的だって、未だ達成できていないというのに。
スレイト・グラファースとして、まだ何も残していないのに。
――負けたくない。俺の心の中をその言葉が支配する。
身体を巡る血のように、俺の全身にその言葉が行き渡る。
負けたくない。そのためには、どうすればいい?
相手を動けなくさせる……? 相手を仕留める…………? いや、
相手を、殺す………………?
「殺す……」
次に俺の口から漏れ出たのは、そんな言葉だった。
「殺す……、殺す、殺す、殺す、殺す」
"明確な殺意"を持って、ミノタウロスを睨む。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
瞬間、俺の身体は勝手に動いていた。
勝手に腰の拳銃に手を回し、流れるように勝手にホルスターから引き抜く。
弾は既に残り三発。
地面を踏みしめ、勢いよく飛び出る。
ミノタウロスの背後に回り込むように、大きく右に旋回。
それを追いかけるように、ミノタウロスも大きく左へと向く。
「殺す」
その瞬間、俺は迷わず、拳銃の引き金を引いた。
銃にしては軽めの発砲音とともに、一発の弾丸が弧を描く。
その弾丸は――ミノタウロスの斧を持つ手首に直撃した。
弾は、残り二発。
直後、軽い悲鳴を上げたミノタウロスは斧を手から離した。
「殺す、殺す」
俺はその一瞬の隙を見逃さない。
素早く動いて丸腰のミノタウロスの懐に入る。
――だが、ミノタウロスというモンスターは単純な腕力でも桁違いの強さを誇る。
ミノタウロスは攻撃を受けた右手首をかばうように、左手を俺の首へと伸ばした。
俺はその攻撃を身を低くして避けつつ、今度はその左手首に、剣を突き刺した。
明らかに苦悶の声を上げるミノタウロス。
肉を抉られる痛みは、全ての血が流れる生き物に共通して走る痛みだ。
「殺す、殺す、殺す」
俺は突き刺した剣をそのままにし、身体を半回転させる。
そして、ミノタウロスの懐から脱出すると、再び振り向き、
「殺す…………」
右手に、拳銃を構える。
狙うのは――俺を狂観する、二つの赤い瞳。
一発、そして一発と、引き金を引き絞る。
銃口の先から放たれた二つの弾丸が、吸い込まれるようにして二つの瞳に向かう。
――そして。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアア」
その両目を、弾丸が打ち抜いた。
洞窟内に反響する、ミノタウロスの雄叫び。
空気を震わし、痛みに呻きもがくミノタウロス。
俺はその姿をただ冷たく眺めながら……
「殺す」
突き刺していた剣を引き抜き、ミノタウロスの息の根を止めた。
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「おいおい、見たかよ? あのガキ」
ある一人の少女の横に、非常にチャラチャラとした長身の男が近付いて来てそう言った。
灰色の毛皮のコートを着て、右耳に二つピアスをしている。
「まさか私たちが出るまでもなく、たった一人の少年がミノタウロスを倒してしまうとは。いやはや、面白いものを見れましたよ」
「ホントですよね~。あ、でも私はもっとダンディーな男の人のほうが好みかなー」
次いで、メガネを掛けた白衣の男性と魔女が被るような大きな三角帽を被った小柄な少女も近付いて来てそう言った。
「……ハン。どうしたよ、戦姫」
長身の男が、まるでその名が戒めの名だと分かっているように、強調して言った。
男の首に掛けられた銀色のプレートも、まるで少女を嘲笑うかのように光る。
そんな男に対し、少女は首だけを振り向かせて眉一つ動かさずに、
「……その呼称は非常に不愉快です。一個人の人格を否定するような発言は、組織の秩序を乱しかねます。撤回を要求します」
まるで機械が発するような、感情の起伏など一切ない、冷たく塗り固められた話し方。
言葉の選び方もどこか堅苦しく、それが余計に機械じゃないかと錯覚させる。
「へいへい……おー怖い怖い」
長身の男は反省した素振りも見せず、手を軽く挙げるだけだった。
しかし少女はそれ以上の追求を男にすることはなかった。
「……目標の生体反応の消滅は確認しました。これ以上の駐在は任務に支障を来します。帰還を提案します」
「あれー? あの子に声掛けなくていーの? 多分あの子、見た感じじゃソロだと思うけど……」
三角帽の少女が首を捻りながら、機械のような少女に声を掛けた。
「……対象の少年の確保は任務に入っていません。独断による行動は認められていませんが…………」
「……何か、気になることでもあるのですか?」
少女はその無表情な中に、一抹の不安を見せた。
それを見た白衣の男性が促すと、少女は一拍置いて、
「――ひとつ問題提起をするならば、対象の少年のランクは最低のカパーランクである、ということです」
「なっ……!?」
その一言に、全員が驚愕した。
ミノタウロスをたった一人で倒したランクカパー。
そんな存在が知れ渡れば、たちまち少年の名は広まることだろう。
「でも……ここからじゃ見えないよ?」
「戦闘中、僅かですが少年の胸元辺りにカパーのプレートが確認できました」
「おいおい冗談だろ? ミノタウロスなんて、最低でもブロンズが三人は必要なモンスターだぞ? そんな奴をカパーが一人で倒せるわけ……」
本来ミノタウロスは中級以降のダンジョン……細かく言えば、ラビリンスから本格的な出現を始める。
今回このリンガーヴェル洞窟に出現したミノタウロスは、中級ラビリンスに属するハイアットラル迷宮で出現するタイプのミノタウロスだった。
「――ですが、間違いありません。対象の少年は、カパーランクです」
少女は、ただ淡々とそう告げた。
嫌に機械音のような発声が、その言葉に重みを感じさせる。
長身の男と三角帽の少女は、それ以上口を開けなかった。
「…………それにしても、"ダンジョンとラビリンスの成長"ですか……。話に聞くだけでしたが、こうして初級ダンジョンにミノタウロスが出現したところを見ると、いよいよもって危機感が沸いてきますね」
話の停滞を危惧したのか、白衣の男性がメガネを指で持ち上げながらそう言った。
「あ、ああ……このままじゃ、ルインズも成長してるかもしれねぇ」
「もう~、そんなことになったらシルバーの私たちだけじゃ手に負えないですよー?」
それぞれが逡巡した。
ダンジョンとラビリンスの成長……。
それが今、ギルドの上位層で問題視されていることだった。
長身の男の言う通りルインズも例外ではない可能性が考えられるだろうし、三角帽の少女の心配も尤もだ。
でも、今は。
「……とりあえず今は街に戻りましょう。話し合いは上層部の方に報告をしてからでも遅くはありませんよ」
白衣の男性の言葉に、それぞれリンガーヴェル洞窟を後にした。