零話 プロローグ
息抜き程度にちらほら書いていきます。
よろしくお願いします。
「はぁっ……はぁっ……!」
暗く、深い森。
空は既に闇が支配しており、森の木々の間から時々見える月が、まるで俺を嘲笑っているかのように感じる。
「くそっ……! くそがぁっ……!」
もう何時間走り続けただろう。
足がもつれ、もはや感覚すらも無くなってきている。
この森は、小さい頃からよく屋敷の執事たちに近づいてはならないと言われていた。
俺はその理由がいまいち分からなかった。
でも、今なら分かる。
迷宮なんて言葉、言うのもおこがましいほどに、この森の景観は全て同じに見えた。
屋敷の者が皆、口を揃えて「死の森」と呼ぶ意味も、今の俺には痛いほど分かる。
でも、この道しか無かったんだ。
「ぐっ……!?」
感覚が無くなった足に、銀の矢が深く突き刺さった。
左足だ。左足の太ももに、銀で作られた矢が刺さっている。
俺はそのまま地面に倒れ込み、仰向けになる。
「ぐ……あっ……はぁっ……」
息が苦しい。
酸素が薄い? いや、そんなことはない。
俺の肺が、呼吸をすることすらままならなくなっているだけだ。
俺の身体が、酸素を欲しがっていないだけだ。
俺は……死を望んでいるのか?
「ケケ……魔王の息子とやらも、落ちぶれたものだぜぇ……!」
暗闇の奥から、聴き慣れた男の声がした。
でもその声は、今の俺には耳障りでしかない。
「テメェ……俺が魔法を使えていれば、どうなるか分かって……っ!?」
ビュッと、鋭く風を切る音。
次いで、ザクッと、肉を抉る音。
「現状を考えろ、落ちこぼれが」
「がぁっ……!?」
俺の右足には、銀の矢が刺さっていた。
左足に刺さった矢とほぼ同じ位置に刺さった矢が、俺の足を抉る。
「魔力も無ぇ、お得意の剣も持たねぇで、よくそんな口が利けるなぁ?」
一歩、そしてまた一歩と、足音が近付いてくる。
明確な殺意を持った男の気配が、俺の眼前まで迫る。
しかし暗がりで、男の顔はよく見えない。
気のせいか、意識が朦朧としているせいなのか、ただでさえよく見えない男の顔がさらにぼやける。
「ククク……クカカカカカッ! いい気味だぜぇ、"元"魔王の息子さんよぉ! えぇ!?」
「ちっ……!」
「……あん?」
男は顔を歪ませると、背中に取り付けた矢筒から一本抜き出し、俺の右肩付近を串刺しにした。
「うぐっ……」
「おいてめぇ、今舌打ちしたろ? どういう状況か分かってんのかよガキが!」
感情の昂ぶりを抑えきれなくなった男は、再び一本、矢筒から矢を引き抜き、俺の左肩へと押し込んだ。
「まだ……まだ足りねぇのかよっ! 早く死ねぇ! 俺様の手を煩わせるんじゃねぇ! お前の首を持ち帰って、今度こそ俺様が次期魔王候補に成り上がるんだ!」
一本、そしてまた一本と、俺の身体に次々と矢が刺し込まれていく。
あぁ……次でもう何本目だろう。
遠のく意識が、俺を痛みという呪縛から解放させようとする。
「ゲヘヘ……こ、これくらいやれば……死んだだろ……!」
しばらくして、男は動かなくなった俺を見下ろしながら、滑稽な笑い声を上げた。
意識はまだあるが、もう身体のどこも動かせそうな気がしない。
魔力は抜き取られ、得意の剣術を披露するための剣も持ち合わせていない。
男は、腰に携えた剣を鞘から引き抜く。
「ケケ……後は、こいつの首を刈り取る、だけ……!」
男は、腕の震えを抑えるように、剣を持つ両手に力を込めた。
……構えが甘い。脇も締まっていないし、腰だって引けている。
そして何より、"相手を殺す"という明確な覚悟がもう保てていない。
(そんなん、じゃ……俺は、殺せない、ぜ……?)
これは俺の完全な強がりだった。
昨日までいた俺の味方はもう誰一人としていない。
全員が、敵だ。
この世に生きる全ての生き物が、俺の敵だ。
でも今の俺じゃ、目の前にいるこの滑稽な姿の男ですらも殺せない。
俺は、こいつに殺されるだろう。
首を刈り取られ、屋敷に持っていかれるだろう。
そしてこいつは、俺を殺した功績によって、時期魔王候補のやり玉に挙げられることだろう。
できることならば、こんな奴に魔王候補なんてやらせたくない。
こいつじゃ、覚悟が足りなさすぎる。
「へへ――死ねぇっ!!!」
男は半ば狂気地味た表情で、剣を力いっぱい振り下ろした。
くく……こんな力任せに剣を振るう奴に、俺の十八年間は幕を閉じさせられるのかと思うと、俺の方が滑稽で仕方ない。
でもこれは、俺の弱さが招いた出来事。
そう、俺が弱かったがために、全ての者は俺から遠ざかり、軽蔑し、敵意を向け、そして今のこいつのように、殺意を向けてきた。
もし生まれ変われるなら、今よりもっと強く、強く、強く――
その時だった。
「――腰をもっと据えろ。でなければ、首の骨に剣がつっかえて、うまく斬れないぞ」
「え……」
鈍く、身体の内側を殴りつけるような、重くて低い音が俺に耳に届いた。
でもそれは俺の身体が発した音では無くて……。
「ぐぎゃ……っ」
今まで俺の眼前まで迫り、その安っぽい殺意を向けながら、狂気に満ちた顔で剣を振るおうとした男が、近くの木にもたれて気を失っている。
男が叩きつけられた衝撃からなのか、木の幹は多少傾いているようにも見える。
一体、何が――
「おいダルト、ちょっとばかしやりすぎなんじゃねぇの? これだって、あの魔王の手下だろ? それに、剣と矢も持ってる。矢なんて、銀製だ。そうそう簡単に手に入るもんじゃないし、つまり魔族の中でも相当上の奴だろ」
「な~に怯えてんのよ、クリス。ダルトがそんなことで尻込みするわけないでしょうよ」
「そ、そうですよっ。ダルトさんは、強いんですからっ……」
「ちょっと君たち! あんまり大きな音を出すな! 追っ手が来ていたらどうする! もうポーションを買うお金もあんまり無いんだぞ!」
ぞろぞろと、森の奥から姿を見せる、見たことのない人物たち。
それぞれ、腰や背中に武器を携えている。
でも、その中でただ一人。
身体のどこにも武器が見当たらない人物がいた。
ただ動きやすそうな軽装に、手にはガントレットを嵌めただけの人物。
大柄で、少しのことじゃ動じないような、自信に満ち溢れたその背中。
「――よう、大変だったな。チビスケ」
その声を聞いた瞬間。
俺の意識は途絶えた。