第52話 湖の妖精の涙
「ファイズ様あああっ」
シオンはファイズの家へ駆けこむなり、ファイズに駆けよった。
「ど、どうした!? なんだ一体……」
シオンは自らの着物の胸元をぐいっと開き、胸の谷間をさらけ出す。意外にもシオンの胸はうっすらと谷間が出来る程度には大きい。
「お、おい!」
シオンのいきなりの行為にファイズはとっさに目をそらす。
シオンはそんなファイズには構わずに、首から胸の谷間に下げていたネックレスを取り出した。
それはレッテンの冒険者ギルドのマスター、カスパルから渡された≪湖の妖精の涙≫であった。
「これっ、これを付けてみてくださいっ!」
シオンはそのネックレスをファイズへと渡そうとする。
ファイズはようやく何か事情があるのだろうと察し、小さな飴玉くらいのサイズの涙型をした薄水色の宝石のついたネックレスを受け取った。
「それは≪湖の妖精の涙≫といって、魔力を込めると装備者のHPを回復する効果があるアイテムなんです。レッテンのギルドマスターに貰ったものなんですけど、二時間にたったの一ポイントの回復速度なんていうしょぼいアイテムなのに、マスターは激レアアイテムだぞー、なんて言うから不思議だったんです。でも、もしかしたら……最大HP低下にも効果があるのでは、と思いましてっ!」
「な、なんだって!?」
それを聞いてファイズは驚愕する。
腕や脚などの部位欠損は最大HP低下のバッドステータスであるとジェットが解説していた。最大HPが低下してしまえば普通の回復魔法ではそれ以上回復できない。
だが、二次職『医者』などの特別な魔法ならば回復が可能であるのは事実である。それならば『医者』などいなくとも、バッドステータスを超越して回復する手段があればいいという理屈になる。
シオンはこの≪湖の妖精の涙≫こそがその回復手段なのではないかと睨んだのだ。
――というかそうじゃなきゃコレのどこが激レアマジックアイテムだ、いつか役に立つ時が来る、だっ!
ファイズは義手ではない生身の右手で宝石を受け取った。
「MPを込めてみてください。それで発動するはずです」
「わかった。やってみよう」
そういってファイズがMPを注ぎ込むと宝石は淡い光を放ちだす。
すると、ファイズは失った左手と右足の断端がほのかに熱を帯びるように感じた。
「こ、これは……!」
「効果がありそうですか?」
「ああ、なんとなく癒されているような気がする。しばらく様子を見てみたい……改めて、このアイテムを俺に貸してくれないか?」
「はい、そのつもりです。それで……もし腕が治ったらお願いしたいことがあるんですが――」
上目づかいでもじもじとシオンがねだる。
「もちろんだ。もし腕と脚が完治したら、俺に出来ることなら何でもしよう」
それから一週間後、ファイズの腕と脚は見事に再生されていた。
「シオン、お前には本当に感謝してもしきれないよ」
「こちらこそ、助けていただいたご恩をお返し出来て良かったです。調子はどうですか?」
「ああ、まだ筋肉が少なくて細いし、無かった時間がそれなりに長かったためバランスに違和感は残るが……、リハビリをすればすぐにカンを取り戻せるだろう」
「それはよかったです。――あの、それで……」
「ああ、約束は守るさ。何が望みなんだい?」
「あっ、ありがとうございます! それでは、あの、私の剣を直していただけないでしょうか」
その言葉にファイズは驚きを隠せなかった。シオンは奴隷なのだ。もっと自身に関わる願いをされると思っていたのだ。
「何、そんなことでいいのか?」
「はいっ! お願いできますでしょうか」
「……わかった。――だが、そんなこと、とは言ったがその願いをかなえるのは相当に難しい。あの剣は鍛造品……折れたものは基本的に元には戻らないと考えてくれ。俺に出来るのはもう一度使えるようにすることくらいだ。……それでよければ引き受けよう」
シオンは少し考えてから質問した。
「元に戻らないって、どうなるんですか?」
「以前と同じように使えて、折れた部分もほぼわからなくしてやることはできる。だが刀身の中身は別物と言っても過言ではなくなる。……具体的にどうやるか、説明しよう。その説明を聞いてその上でどうするか、もう一度考えなさい」
「はい。わかりました」
それからさらに二日後。
腕のリハビリと剣の修理のための準備を終え、ファイズの工房には二年ぶりに本格的に火が入れられた。
ファイズは作業着に着替え、剣帯の腰部分にあるスロットにC.C.Cをはめ込む。鍛冶は力仕事だ。よって、出来るならば戦士などにクラスチェンジして力のクラスボーナスを発動させるのが一般的である。もちろんファイズの職業、つまりジョブは鍛冶師であり、同時にその恩恵も受けている。
カチリとはめ込んだ瞬間、ボッと一瞬まばゆい輝きを放つクリスタル。
「ん? 今一瞬光った気がしたが……。久しぶりなので張り切っているのかな」
などと軽く冗談を言うファイズ。
彼はいつになく自分が高ぶっていることに気づいていた。
それはそうだろう。
彼にとって二年ぶりの本格的な鍛冶である。しかし、手は槌をしっかりと握れるし、脚は踏ん張り身体をガチリと支えてくれる。二年前と遜色ない仕事ができるという確信があった。
それどころかむしろ自分の腕は、より洗練されているような気さえしている。自然と気持ちが高ぶろうというものだった。
本来ならば失った腕と脚が治ったとしても、すぐに鍛冶仕事などできはしない。長いリハビリが必要だろう。
それは彼が腕と脚を失ってからも鍛錬を続けていたからこそなのだ。
ファイズは腐らなかった。彼はシオンと出会わなくともいずれ以前の技術を取り戻していただろう。これは、その時期が少し早まっただけなのだ。




