第37話 最下層
「≪ファイアーボール≫」
シオンとルリの二人は何度目かのファイアーボールを九階層ボスへと放った。
一見ボスはほとんどダメージを受けている様子はない。
普通の冒険者ならファイアーボールは通用しない、とすぐに割り切って他の手段を探すところだろう。
だが、シオンはルリへファイアーボールだけを撃つことを指示していた。
「よし、そろそろもういいよルリちゃん。準備は整ったっ」
「おー、です」
「≪スプラッシュウォーター≫!」
シオンが放った水流はボスの背中に命中する。
じゅわああああん
熱せられた甲殻にぶつかり、水が一瞬にして蒸発する。
バキリッ
そして何かが爆ぜる音が響き渡った――。
シオンとルリは九階層ボス、三メートルを超えるクワガタ――のようなモンスター――アトラスラタークの固い甲殻をファイアーボールで熱しまくった後、スプラッシュウォーターで急激に冷やした。
アトラスラタークの甲殻は半ば岩石化しており、武器では中々ダメージを与えることはできないのだが、熱膨張を利用することによってバキバキに割ることに成功したのだ。
熱せられた岩は膨張し、そこに水をかけられるとそこだけが冷やされ、部分的に収縮する。そして膨張した部分との境目が断裂し、割れることになるというわけだ。
普通の冒険者はこのような科学的な知識を持っていないことが多い。冒険者が学校に通うことはまず無いのだ。ゆえにこのような攻略法に気づけない場合が多い。……いや、そもそも中世から近代までの文明がごっちゃになったこの世界の、現時点での学校教育でこの知識を扱うかどうかは不明だが……。
「これでとうとうボクたちも最下層に到達しましたね」
「ああ、というかそれよりシオン、さっきは一体なにが起こったんだ? なぜ奴の甲殻が割れたんだ? 水流魔法にそれほどの威力があったとは思えないが……」
「ああ、あれはですね……」
シオンはその質問に対して先ほどの現象の説明をする。
「な、なるほど……。シオンにはいつも驚かされるな」
「そういうことだったのね。……シオンは転移者だもの、私のおばあさまのように、異世界の素晴らしい知識があるのよね。おばあさまは生活を良くする知識に秀でてらっしゃったけれど、シオンは戦闘に役立つ知識が豊富なのね」
「しー君の知識はすごいのです!」
「えへへー、ありがとうございますっ」
現在、パーティの指揮はサツキが取っている。ジェットは常に最前列にいるため後ろの様子はわからない。よって中衛でパーティを見渡せ、素質もあるサツキが適任であった。進むかそれとも留まるか、休むかそれとも退くか。メンバーのコンディション等――HP、MP、スタミナ、体調、そして時間など――を完璧に把握しているサツキがそれを決定するのは理に適っている。
対して、戦闘指揮はシオンが担っていた。
これは今回の様子を見ても分かる通り、シオンの立案する作戦がこの世界の常識を超越しており、どうしてもこの世界の常識に縛られてしまうジェットやサツキよりも効果的だったからだ。
知性が二倍へと急激に高くなったことに加えて、元の世界の知識、そしてこの世界の知識が混ぜ合わさり、シオンの中で爆発的な化学反応を起こしていたのだ。
もともとゲーム好きだったシオンは、敵の弱点などを把握することには長けていたというのもあった。
十階層、つまりこのはじまりの迷宮最下層である。
この最下層は部屋が大きめに取られており、数が少ない。探索自体は容易いだろう。
問題はそこに蔓延る、ガルドンバイソンという牛型モンスターだ。
その攻撃方法は突進が主であり、前後左右から突っ込んでくる。
それは一見、一階層のボアを彷彿とさせるが、その脅威は段違いだ。
どうにか突進を受け止めたり躱したとしても、近接距離に入ると角を振り回し、後ろ脚で蹴りを繰り出しまくり、暴れまわる。
そして一部屋あたりの敵の数も多い。
ここにきて純粋なパワー型モンスターというのも嫌らしい構成に違いない。
厄介極まりない相手であった。
「ルリちゃんは相手の突進に合わせて正面から大出力で≪ストーンバレット≫を! ご主人様はルリちゃんを守ってください」
「なるほど、わかった!」
「あいですー」
シオンは逆方向から突進してくるガルドンバイソンに複合弓で大威力の矢を放ちながら、ジェットとルリに指示をだす。
どちらも、相手が向かってくるエネルギーと、こちらから飛ばす遠距離攻撃を合わせて相乗効果を狙う作戦だ。
こんなものは誰でも考えつく作戦だろう、と思われるかもしれないが、そう簡単な話ではない。
まず、単純に無知な冒険者たちは運動エネルギーなど知らない可能性が少なからずある。
いや、確かに、知らなくとも日常を過ごしていれば、身体のどこかをぶつけるときなどに感覚的に理解しているものもいるだろう。
だが、そこには『心理的に』思いつけない理由もあるのだ。
普通の冒険者パーティは敵の攻撃を盾職が受け止め、その後に後衛職も含めて一斉攻撃をかけるという王道な戦術に特化している。それは幅広い局面で有効だからこそこれだけ普及した戦術なのであり、一つの戦術を何度も繰り返し練習し、磨き続けることで練度も上げることができた。
しかしそれは、それ以外の戦術を捨てる結果となってしまうことがあった。普段から戦術にバリエーションを持たせていないと、咄嗟には思いつけないのだ。特化戦術の功罪と言えるだろう。
もう一つ、『現実的に』シオンの作戦を選択できない理由もある。
ガルドンバイソンの突進は強力だ。普通の弓や石つぶてなどではびくともしない。
ただのストーンバレットなどものともせずに突進してくるだろう。
複数の魔術師によるストーンバレットを重ねがけすればなんとかなるかもしれない。だが、そこまでの人数の魔術師を擁するパーティもそうありはしない。そして、初撃を防いだところで次は詠唱も間に合わないだろう。
対してルリは威力調整によって、比較にならない大きさの石を作り出し、高速で打ち出すことができる。
これにはさすがのバイソンも高ダメージを受け、突進のエネルギーも相殺されて止まるだろう。……もちろん相応の『呪力』――魔術師の固有力――を消費するが。
これは、『無詠唱』、『威力調整』、『強力な弓』があって初めて成り立つ作戦なのだ。
「しー君、ルリはだいじょーぶです!」
「わかった。ご主人様は左のバイソンを受け止めてください。お姉さまと一緒に一体お任せしますっ」
「ああ、任せろ!」
「了解よ!」
ルリは正面からの突進ははね返せる。逆からの突進はシオンが弓で止めた。次に対処するべきは左右からの突進であった。
シオンは狩人の固有力である『火力』を消費して、大威力の矢≪ブレイクアロー≫を撃ち、さっき止めたバイソンにとどめをさす。
そしてすかさず腰のC.C.Cに手をかざす。
クリスタルの中の狩人の光が消え、新たな光が灯る。
「クラスチェンジ、『魔術師』!」
魔術師にクラスチェンジしたシオンは、陣形を大きく囲むようにサンドウェーブとスプラッシュウォーターで泥の円形領域を作り出した。今はまだ離れて静観している他のバイソンが突進してきても、これで足を滑らせて転倒するだろう。
ガァァン
これはジェットがバイソンの突進を受け止めた音だ。
そこへサツキが攻撃を加えている。
バイソンは角と蹴りで暴れだすが、サツキの槍はその間合いの外からの攻撃を可能にする。
槍という武器は基本的に開けた場所では剣よりも強い。長いということには計り知れない利点があるのだ。
シオンは二人を心配する必要性を全く感じずに、右から来るバイソンへとストーンバレットを放った。
「ふう。まともに戦えばこんな感じか。中々強敵だが、突進を止めることができる我々ならば全く問題ないな」
「そうね。じゃあ、シオンを解禁することにして、さっさと探索していきましょう」
「「了解ですっ」」
二人は頷いた。
そしてシオンによる無双が始まったのであった。
そうして一行がいくつかの部屋を抜けたところで、それは起こった。
遠くから、破壊音と悲鳴とも呼べる叫び声が聞こえてきたのである。




