第36話 イーサン
5/31 補足説明の追加
「行きます!」
シオンは陣形から一人飛び出すと、モンスターの群れに飛び込む。
同時に走り出したジェットはその群れの外側にいる一匹だけにトーントをかけた。
ジェットがトーントしている敵にサツキとルリは集中する。
その間、シオンは何をしているかというと、他のモンスター全てを相手に立ち回っていた。
九階層のモンスター、バイラタークはクワガタとカブトムシを合わせたような昆虫型のモンスターである。
黒光りする固い甲殻に包まれた、その体長は一メートル以上あり、その体長の半分を占める四本の角が作り出す大きなハサミは鋭く、そしてよく斬れる。
一匹につき四本の角を持つのだから、そのバイラタークが地上、あるいは空中から複数襲ってきたら、それはもはや槍の雨である。
だが、シオンはそのことごとくを苦も無くひらりと回避する。
と、次の瞬間、バイラタークたちは一斉に身悶えはじめた。
シオンは回避と同時にバイラターク全ての甲殻の隙間に斬撃を入れていたのだ。
攻撃、スピード、共にケタが違いすぎた。
シオンが生き残ったバイラタークにとどめを差す頃、ようやくジェットたちも一匹のバイラタークを処理し終わっていた。バイラタークは強い。その処理速度は、これでも同階層の冒険者と比較してずば抜けて速いスピードである。
現在、ジェットたちの他に八階層以上に到達しているのはイーサンのパーティだけなのだが。
「ご苦労様、シオン」
「はい、ご主人様」
「到達してまだ二日だが、九階層ももう攻略してしまったな。次の十階層はとうとう、はじまりの迷宮の最下層だが、俺たちならば全く問題ないだろう」
「ええ、そうね。別に急ぐ旅でもないのだけれど、早いに越したことはないわ。明日からは最下層を探索して、近いうちに次の試練の迷宮へと向かいましょう」
「とうとうこの街ともお別れですねー。ちょっとワクワクするです」
ジェットたちはこのところ、こんな風に戦っている。はっきり言ってズルだ。それもそのはず、シオン一人で余裕なのだから仕方のないことであろう。
とはいえ、階層を進み、新しいモンスターと遭遇すれば、シオンに手加減させ、一応は普通に戦ってみる。ジェットたちはこの迷宮が敵の弱点を探る方法や戦い方の訓練の場でもあるのだと、既に気づいていた。
ならばその訓練を受けずに進むことは後々のためにならない、と考えるのは自然なことだろう。
だが、一度攻略法を見つけたモンスターに、馬鹿正直に正攻法などとっているのは時間の無駄であった。
金銭効率。経験値優先。何が悪かろう。
ジェットたちの最強の戦法はシオンによる無双なのだから、誰に憚られることなどない。迷宮をなめてかかることこそ一番やってはいけないことなのだから。
六階層の巨大アリ――に似たよくわからない巨大昆虫型モンスター――ギャランツは、二階層のドラットよりも個体の強さが高く、そして数が多い。
ボスのギャランツクイーンは飛び回りながら次々と兵隊アリを産み出し続けた。
七階層のファイアベルロンは、三階層のベルロンに火属性を加えたトカゲであった。
ボスのファイアベロルベロンは炎のブレスを吐く盾職泣かせ。
八階層の蜘蛛型モンスター、ダンツラーの巣は一度捕まると中々抜け出せない。
ボスのダンツラークイーンは糸を射出してくる上に麻痺毒をもっているので危険だ。
少々ダイジェストのような紹介になってしまったが、事実、起きていた出来事はダイジェストそのものであった。
ジェットたちはほとんど苦戦することなく、そしてほとんど駆け抜けるように攻略した。各階層の攻略に三日とかかっていないのだ。
普通の冒険者が一フロアの攻略に何週間もかかることを考慮すればその異常な速さが理解できるだろう。普通の冒険者の場合、まずモンスターの分析戦闘。必要な装備の選定。装備の購入資金の算出。資金の貯蓄。戦闘のトライアンドエラー。そしてフロアの攻略……といった流れになるからだ。
対してジェットたちの場合は全く異なる。
最初にモンスターの分析。そして解析が終了すればシオンの出番。走り抜けるように攻略し、もし金や経験値が足りなければ乱獲する。
立ちはだかるモンスターたちをすり抜けざまに斬り捨てていく姿は、まさに無双であった。
「我がパーティは明日、はじまりの迷宮を完全攻略し、次なる試練の迷宮へと旅立つ!」
うおおおおおお
その言葉にギルド内の交流酒場は大盛り上がりをみせた。
夕方、攻略を終えた冒険者たちが集まるこの酒場も、今日は一層客数が多い。
そんな中、手に酒を取り、演説するのはイーサン=アグリータ。この街の現在のトップ攻略組のリーダーである。
「我らは既に十階層を攻略し、ボス部屋を発見している! あとはボスを攻略するのみだ!」
うおおおおおお
再びの歓声。
「この街に来て攻略を始めて二年と少し。時間はかかってしまったが後悔はしていない。俺にはそこまで飛び抜けた才能はない。だが、慎重であるからこそここまで来れたと思っている。――慎重さこそが重要であると後輩諸君には覚えておいてもらいたい」
先輩からの箴言に、後輩たちは口々に応え、その言葉を胸に刻んだ。
「さて、皆とは明日で一旦の別れとなるだろう。……ボスの強さにあっさり敗走しなければ、だがな!」
ジョークを交えたイーサンの言葉に、笑いが起こる。
「否、負けて帰ってくるつもりはない! もう充分に時間をかけ、充分に調べたのだ。そろそろ次へと進む時だ! 諸君とはまた次の街で会えること願っている。……今日は我らのおごりだ。皆、楽しんでくれ!」
うおおおおおお
酒場は今日一番の歓声に包まれた。
冒険者たちは皆、久々のイベントにはしゃいでいるようだ。
そんなイーサンが様子を見守っていたジェットたちの元へとやってくる。年の頃はまだ十八か九といったところだろう。精悍な顔つきで、くすんではいるものの丁寧に刈り込んだ金の髪は、その身なりも相まって清潔感を漂わせる。中々に鍛えられてはいるようだが、一八〇センチ以上あるジェットと並ぶとかなり小柄に見えた。
「我はギアマール公国アグリータ侯爵家が四男、イーサン。御機嫌よう」
極度に略式ではあるが、貴族としての挨拶に、ジェットとサツキは身を引き締めた。
「私はアルバシア王国ライオード侯爵家が三男、ジェイスリード。お会いできて光栄です」
「私はアルバシア王国シドゥーク公爵家が次女、サツキと申します。御機嫌よう」
ジェットとサツキもそれに倣って同様に挨拶した。
するとイーサンは、もう形式は守ったとばかりに態度を軟化させて言ってくる。
「やあ、存在は知っていたが、中々挨拶ができなくて済まなかったな。決して避けていたわけではないんだ、許してくれよ、ジェイスリード」
「いえ、こちらこそ。ご先輩方には、本来ならこちらからご挨拶に行かねばならないものを……」
「いや、気にしないでくれ。お互い貴族の子と分かっていれば、堅苦しい挨拶は億劫にもなるというものだ。こうして酒の席で軽く片付けられてよかったよ。……と言ってももうお互い攻略は終盤になってしまったがね」
それを聞いてジェットも安堵する。
「……おっと、女性を袖にして申しわけない。しかも本来なら公爵令嬢に対しての失礼、お許しを」
「どうかお気になさらず。大公を君主とされるギアマール公国の侯爵家とあれば、アルバシア王国の公爵家と同格の地位とみなすのが道理でございましょう。それにそもそも、冒険者になったからには身分は関係ありません。他の方々と同じく、気安く接して頂ければ幸いです」
サツキも、常に男性恐怖症が発生しない距離こそ保っていたが、イーサンの感じのよさに自然に敬意を払う。
「よかった。――それにしても君たちの快進撃の噂はよく耳にしたよ。正直、才能の違いに嫉妬を覚えたがね。……まあ、私には私の目的があり、それを達成するためにかけてよい時間は、充分に余裕をもってクリアできている。焦る必要はないと自分に言い聞かせているよ」
「素晴らしい考えです。あなたならきっと達成されるでしょう」
「ありがとう。――それじゃあ、今日は君たちも楽しんでくれよ」
「はい」
イーサンは中々に好感の持てる人物であったと言っていいだろう。
シオンはイーサンと会話もしなかったし、ただ突っ立っているだけであった。
だが、運命の歯車はシオンたちとイーサンをすぐに再会させることになる。
それ自体は決して問題ではない。
彼自身にも特に問題はない。……彼とて、それは想定外のことであったし、そんなことを想定出来なかったからと言って彼を責められる者がいようはずもない。
そう、問題があったのは――。




