大妖精と神
「こっちだよ」
ミュミュが指差した方向に、慌ててモモが、通せんぼをするように両手を延ばし、首を横に振った。
「こっちは、コワい系のところに逆戻りだよ」
「ええっ?」
「おい、ミュミュ、しっかりしてくれよ。お前が道案内役を買って出たんだろ?」
「だって、ミュミュがいた時と、なんかちょっと違うんだもん!」
「ホントかよ? そんなことあんのかよ?」
「ホントだもん!」
疑わしい顔で見るカイルに、ミュミュは膨れっ面になって抗議した。
「モモちゃんって言ったわね。どういうことなのかしら?」
クレアが困惑した表情で、ミュミュと並んで浮かぶ妖精の少女を見た。
モモが、素早く瞬きをしてから答えた。
「ホントなんだよ、おにいちゃんたち、妖精の国では時々場所が変わるんだよ。なんか、特に、今は魔族たちの動きが活発になってきているから、コワい系の妖精族が、危険そうなところを守るために、場所が移動することがあってね」
「まあ、そんなことが……!」
クレアは驚いて、カイルと顔を見合わせた。
「コワい系の妖精族っていうことは、さっき、ドワーフさんの『水壁』から間違って出てしまったドラゴンのいたところね? ケインもそこにいるのよね? お互い近くにいるなら安心だわ!」
「ああ、だけどね、おねえちゃん、コワい系のところはね、意外と広いから、すぐ近くに『ミュミュの付いた戦士』がいるとは限らないよ」
「そういうものなの?」
目を丸くしているクレアの横で、カイルが感心したようにモモを見た。
「お嬢ちゃんの方が、ミュミュよりも頼り甲斐があるなぁ!」
えへへと喜ぶモモの近くで、ミュミュが膨れっ面でカイルをにらんだ。
カイル、クレア、ミュミュ、モモが奥へ入っていくと、鮮やかな緑色の葉の中でも、濃い深緑色の世界へ踏み込んだかと思うような、周囲の葉が濃い緑へと変わっていった。
「ここだよ。ここに、虹色アオムシがいるよ!」
「やっと着いたのか!」
モモが振り返ると、カイルも一歩進んだ。
深緑色の葉はどれもヒトの顔ほども大きく、茎も太い。
折れ曲がった幹や枝から、ぷっくりと丸い、だが、周りをギザギザと囲まれた葉が生えているその上に、青一色の、拳ほどの玉を五、六個連ねたほどの生き物が、数ある小さな足を踏ん張り、じっとしている。
「あれが、もしかして、虹色の糸を出すという、虹色アオムシか!?」
カイルがモモを振り返った。
「そうだよ」
モモとミュミュが、大きく頷く。
「やったー! クレア、とうとう見付けたぜ! これで、皆の髪が切られなくて済むぜ!」
「ええ!」
はしゃいでいるカイルがクレアを見ると、クレアも嬉しそうに笑っていた。
「それで、これ、どうやって持って帰ればいいんだ?」
「その葉に乗っかっていれば、おとなしくしてるよ」
「葉がないとダメなのか?」
「直に触ると、アオムシの神経が溶け出して、ベトベトしてくるよ」
「そ。それでね、縮んじゃうの」
「ええー……」
ミュミュとモモの答えに、カイルはげっそりした顔になり、クレアも困った顔でカイルを見る。
少し考えてから、カイルが顔を上げた。
「……わかったぜ。アオムシを葉に包んだまま、俺が、そうっと運ぶよ」
「それがいいね!」
「うん! それがいい!」
モモとミュミュが笑った。
カイルは、いろいろなアオムシを見回して、大きいものを選ぶと、ミュミュとモモに指差してみせた。
二人が、それくらいでいいだろうと頷くと、葉の下に手を添え、もう片方の手で、葉を根元から摘んだ。
アオムシが、何か様子が変わったことに気が付いたらしく、もぞもぞっと動くが、葉から降りるようなことはなかった。
「うわー、この身体の節々に二本ずつ生えた足が動くのが、葉を通して手に伝わってくるぜ」
カイルが困ったように笑う。
「俺の友達で、自然の生物とか植物に興味持ってるヤツがいてさ、そいつなら、喜んで研究しようとするところだろうな」
「まあ、そんなお友達が?」
クレアが感心したように微笑んだ。
「虹色アオムシさん、どうか不安がらないでください。草モグラのおじいさんのところに、一緒に来て欲しいの。あなたの糸を少し分けて欲しいだけなの。それだけだから、安心して、一緒に来ていただけますか?」
普段はムシが苦手なクレアだったが、少し屈んで、アオムシの目線とそろえてから、やさしい声で語りかけた。
「モグラの赤ちゃんが生まれたんだよ!」
「そうだよ、ちょっとだけ、草モグラのおじいちゃんに、糸を分けてあげて!」
モモとミュミュも、クレアと同じ高さに飛んでいくと、甲高い、人間の幼女のような声で、口々に頼み込んだ。
アオムシは、じっとしていた。
丸い頭部の両端には、黒く丸い二つの目があり、まるで、そのつぶらな目で見つめているようであった。
「よし、じゃあ、モグラのじいさんのとこに戻るぜ!」
カイルは、丁重に葉に乗ったアオムシを、あまり振動を起こさないように、すり足で歩き始めた。
その隣をクレアが、反対の隣にはミュミュとモモが浮かびながら、進んで行く。
道中、クレアが代わると言うが、カイルは彼女にアオムシを預けることはなかった。
「言い出したのは、俺だからな。これは、俺の、やるべきことなんだ。だから、クレアは、責任なんか感じなくていいんだぜ」
無邪気な、いたずらっ子のような笑顔のカイルを、少しだけ尊敬の眼差しで見て、頼もしそうに笑うクレアだった。
ミュミュの頼んだ、人間の娘のような姿のニンフ三人は、マリスの手を引き、神殿へと連れていった。
「はやく、はやく~!」
「こっち、こっち!」
「ちょっと、待ってよ……」
楽しそうに、軽やかに歩くニンフたちに、マリスは、徐々に付いて行くことに苦痛を感じるようになっていった。
「やっぱり、ヴァルやミュミュが言ったみたいに、……かなり疲労していたんだわ」
マリスの息は上がっていた。戦いの最中ですら、ここまで息が切れるような経験はない。
「ちょっと……、待って……」
マリスは背を屈めて膝に手を付き、呼吸を整えようとした。
「あらあら、あなた、そうとうヤバそうね」
ニンフの一人がマリスの顔をのぞきこみ、心配とは感じられない、傍観的な言い方をした。
「なんで、もっと早く、こっちに来なかったのよ」
「一刻も早く、来なければならなかった事態にまでなっていたのに、そんなことにも気付かなかったの?」
ニンフたちの甲高い声が、今のマリスには堪えた。
「……悪いけど、静かにしてくれる?」
息を切らしながら、マリスは、やっとのことで言った。
娘たちは、彼女の周りを、なんだかんだ言いながら、飛び跳ねるような軽やかさで、歩き回っていた。
対するマリスは、身体が重く、これほどまでに言うことをきかない経験などはなかった。
ケインが、早く大妖精のところへ行くよう勧めたのは、感謝すべきだったと実感していた。
「ほら、もうすぐそこよ!」
「ウフフフフ!」
「ほらほら、頑張って!」
ニンフたちは、再び彼女を引っ張る。
青く澄んだ小さな湖のすぐ側に、神殿はあった。
人間界の大理石に似た、白く輝く階段と柱、その先にも白く輝いて見える床が、そして、更に奥には、横になった太い樹木が見え、枝と細い蔓が何本か天井へと伸びている。
その樹木に腰掛けている、人間の女性に似た者が、ピンク色の長い、床まで伸びた髪と、白い衣をまとい、にこやかに微笑んだ。
彼女の姿を見た途端、マリスの身体に異変が起こった。
突然、金色に輝いたと思うと、金色の何かが飛び出したのだった。
「……サ、サンダガー!?」
そう叫んだ途端、マリスの意識は急激に遠のき、倒れた。
階段の手前で俯せている彼女を、薄い衣を羽織った、一見生身の人間のような獣神は、何も映していないつり上がった目で、ただ見下ろしているだけであった。
それから、彼は、神殿の中の美しい女性を見た。
「神殿の中では男子禁制なのを、よくご存知のようですね」
よく通る、美しい声が、彼の耳をくすぐる。
「フェアリア女王か。お初にお目にかかる」
「あら、お初ではなかったでしょう?」
妖精女王フェアリアは、くすくすと笑った。
「お初に——とは意外ですね。時々、こっそりと、この世界の生き物に化けて、遊びに来ていたのではなくて?」
「そんなこともあったな」
サンダガーは肩をすくめ、ふっと笑った。
「さて、この娘だが、俺が保護してやってるんでね、回復なら、俺様の口移しで生命力を与えてやれば、即座に復活させる事が出来る」
サンダガーは、マリスの身体を上向きにして抱えた。
「お待ちなさい。それは、本当に回復と言えるのでしょうか?」
「なんだと?」
フェアリアの言葉に、サンダガーの目が鋭く光った。
「あなたが、その娘の加護を装い、何を企んでいるのかは、うすうす勘付いています」
「加護を装うだと? そいつぁ、聞き捨てならねぇな」
語尾を鋭く言ったサンダガーの目が、次の瞬間、見開かれた。
「あなたの企みなんて、お見通しよ」
その声は、フェアリアのものではなかった。
神殿のさらに奥から現れたのは、東洋系の美女であった。
浅黒い肌に、フェアリア女王のように、床に流れるほどの長い黒髪、切れ長の瞳、東洋系の装飾品に、布を巻き付けた衣装——それは、ラン・ファに似た雰囲気の女性だった。
彼女を目にした途端、サンダガーは、マリスを抱いたまま、一歩下がった。
「……てめえ……! ジャスティ二アスか!?」
「私だけじゃないわ、『妹』も来ているわ」
「なっ、なんだと!?」
驚くサンダガーに構わず、さらに奥から現れたのは、輝く銀髪を後ろで編み込んだ、白い衣装の、聖女という形容が似合う女性だった。
「ひっ! ルナ・ティア!」
サンダガーは、思わずマリスを手放した。
と同時に、フェアリアが手をふわりと上げる動作をすると、まるで、風がマリスを掬い上げたように、彼女の身体がその場に浮かんだので、身体を階段に打ち付ける事はなかった。
「まあ、サンダガー、久しぶりね。わたくしの元を去ってからというもの」
ルナ・ティアと呼ばれた、長い銀髪を編み込んだ女神は、慈悲深い、美しい微笑みで、彼を見た。
「ルナ・ティアは、月の女神であると同時に、狩りの女神でもある。忘れたわけではあるまい?」
東洋人の姿を借りた者は、腕を組み、階段下に立ちすくむ獣神を見下ろし、微笑む。
獣神を含めた『獣』という存在は、ルナ・ティアの意思には逆らえない。
警戒心をあらわにしたサンダガーに、月と狩りの女神は、母のような笑みを向ける。
「まだ遊んでいるというの? いい加減、わたくしの元に、戻ってきたらどうなの?」
「じょ、冗談じゃねぇ! 誰が、てめぇのイヌになんか!」
「まあ、残念だわ。別にいいけど。だったら、ここにいる間だけは、わたくしのものよ」
「やっ、やめろっ!」
逃げ腰になったサンダガーの首と手首には、いつの間にか、鎖の付いた銀色の環が、はめられていた。鎖は途中で途切れて見えるが、端は、ルナ・ティアの腕輪とつながっていた。
「てめぇっ、いつの間に!? よ、よくも……!」
ルナ・ティアは、高らかに笑った。
「これで、あなたは、ここでは、好き勝手は出来ないわ。もちろん、お兄様たちの重要なお話も、聞かせてあげない。あなたは、わたくしと、久しぶりに遊んで待っているのです。お兄様の用事が済むまでね」
「あいつか? あのドラゴンを味方に付ける、あの青年との密談か」
「あなたの知りたがっている魔石のことは、教えるわけにはいかないのよ」
ルナ・ティアの微笑みは、どことなく、彼を嘲笑しているようだった。
「ここまで来て、お預けってのか! へんっ! そんなの、誰が大人しく聞くかよ!」
「それ以上暴れようというのなら、イヌに変えて差し上げましょうか!」
ルナ・ティアの瞳が輝くと、サンダガーは怯えた顔で、さらに後退った。
「畜生……! 男子禁制なのに、お前のアニキがそっちにいるのは、おかしいじゃねぇか!」
「それは、私が、好きな時に、どちらの性別にもなれるからよ」
東洋美女が笑った。
「そして、フェアリアとは、昔から親しくしている。知らないわけではあるまい?」
憎々し気に、サンダガーは東洋美女――ジャスティ二アスをにらみつけた。
「……てめえら兄妹、……覚えてろよ!」
マリスは、うっすらと目を開けた。
「あれ、あたし……」
「まだ動いてはだめよ」
柔らかな声が、降り注ぐ。
目の前が、大輪の花のようなピンク色に見えたと思うと、白く、整った美しい女の顔が、覗き込むのがわかった。
「……あなたは……」
はっきりとしない意識の中で、マリスは問いかけていた。
「ここは、神殿の中。わたくしは、妖精女王フェアリア。今は、あなたの精神と身体を回復中です。もう少しすれば、ニンフたちにあなたの世話を任せられるわ。まだお休みなさい」
マリスの髪を撫でながら、フェアリアの微笑みと、母性的な声を心地よく感じながら、マリスは再び深い意識の中に入りかけた。
そして、ほとんど無意識のうちに、呟いていた。
「……ケインは……」
「あなたのお仲間は、まだここへは、誰ひとりとして来てはいないわ」
意識の底で聞き取っていたか、否か、マリスの瞼は完全に閉じられた。