小さな羽ばたき
ガタンガタンと時折跳ねる馬車の中で、俺はそわそわと居住まいを何度も正す。
「はぁ・・・ロゼ。もう少し落ち着いたらどうだ?」
「は、はい。ごめんなさい姉さん」
姉さんに注意されてなんとか落ち着こうと思うが、馬車が跳ねるのに合わせて再び姉さんの腕が俺を振り落とされまいと俺を強く抱く。
(・・・こんな状況で落ち着けっていうほうが無茶だ!!)
思わず講義の声を上げそうになったが心の中に止めた。
伝えてじゃあ一人で座ってろなんて言われたら最悪だ。
これから4年、師の元で住み込みで修行するのに姉分の補充は欠かせない。
気づかれないように姉の匂いを胸いっぱいに吸い込み、束の間の幸せを噛み締めた。
それから馬車を乗り継ぐこと5回。日数にして4日。
伯爵領北側に位置する目的の人物がいる小さな街に到着した。
街並みは木造なものが多く、更に雪が降るのだろうか、屋根の傾斜がかなり付いているのが特徴的であった。
やはり山間部に近いのか心なしか温度が地元より低い気もする。
珍しい街並みにキョロキョロとせわしなく視線を動かしていると、姉さんが微笑ましいものを見るように俺を見下ろす。
姉さんの身長はかなり高い。
俺が160cmに未だ届かないというのもあるが、姉さんの身長は175cm以上はあるのだ。
こちらの世界の男性の平均身長である172cmより高い。
「どうしたんですか?」
無愛想な姉さんには珍しい穏やかな笑みに俺は顔を上に向けて首をかしげる。
「いや、ロゼもこうしてみると子供なんだなと思ってな。あまり我儘も言わないし、剣をやっている時以外はまるで人形のようだからなんだか微笑ましくてな」
クスリと笑いを、身を細める姉さん。
不意打ちは卑怯だ。
おそらく俺の顔は真っ赤になっているだろう。
本当にこの笑顔だけは守りたい。
そう思った。
俺はそんな気持ちを口に出そうとしてーー・・・
「あらあらん?フィリアちゃんじゃないのぉ!はやかったわねん!」
後ろからかけられた声に全身が泡立った。
振り向くのも恐ろしいプレッシャーを放った存在が後ろにいる。
俺の心境を知らずか姉は気さくな声音で後ろの人物に声をかける。
「やぁ。アレン・・・やはりお前は相変わらずだな」
姉が眉尻を下げながら苦笑を浮かべる。
なんで姉はこんなに平然と受け答え出来るんだ・・・。
早く逃げないと。
俺は姉の袖を引き、目で訴える。
すると、なんということだろう。
姉は俺の背を押し怪物の目の前に俺を押しやったのだ。
「あらん?随分可愛い子ね、この子がそうなの?」
くねくねと身を捩りながら近づく怪物。
しかしそうとは。どういうことか。
俺の困惑をよそに会話はどんどん進んで行く。
「あぁ、紹介しよう。この子はロゼリアス。私の弟だ。で、この人は『天見のアレン』お前の師匠になる人だ」
地獄とはこういうことか。
目の前の師匠として紹介された人物はピンクのフリルがついたエプロン姿の2m近い筋骨隆々の男がウィンクをしながら投げキッスをしていた。
ーーーーーーーー
放心状態の俺はなんとか挨拶をかわし、そのままアレンさんのお宅にお邪魔する事になった。
家は割と普通ーーというか猟師でもやっているのかというような実用的な内装だった。
着いてすぐに、アレンさんは裏庭に俺を連れて行く。
直ぐに稽古でも始めるのかと思ったがそういう雰囲気でもなかった。
「さてと、ロゼちゃん、だったかしら?あなたを弟子として迎え入れる前にこれからある試験を受けてもらうわ」
先ほどまでと打って変わり真剣みを帯びた表情を浮かべるアレンさん。
その顔は一流の武芸者としての表情を宿しており、一切隙がない。
ピンクのエプロンで色々と台無しだが。
「ロゼでいいです。試験・・・ですか」
流石に簡単に弟子になれるとは思っていない。
これからどんな試験を受けさせるのか唾を飲んだ。
アレンさんのツンデレね。という言葉は聞こえなかった事にした。
「えぇ。そんなに身構えなくてもいいわよ、試験は簡単。私の加護である『先見』を発動して私の攻撃を一度良ければそれで合格。ちなみに攻撃は上段からの振り下ろし。速度は何時もの1割も出さないから安心してちょうだい?」
『先見』、名前から察するに恐らく未来を透視するような加護だろうか。
それをかけてもらい、決まり切った攻撃を避ける。
しかもその攻撃も加減されたもの。
俺は意図が読めなかったがどちらにしろ受けなければならないのは確かだ。
俺は考えるのをやめて頷く。
「ふふ、じゃあかけたらすぐ行くから、いいわね?」
アレンさんは訓練用の木刀を担いで俺へと近づいてくる。
どうやら『先見』を掛けるには相手に触れないと駄目らしく俺の肩に手を添える。
アレンさんは俺、姉さんに目配せをして手に魔力を集め始めた。
「じゃあいくわよ、壊れないでね?」
物騒な掛け声と共に加護が発動する。
その瞬間濃密な死が頭の中を埋め尽くした。
避けられず木刀が頭を砕き、体が裂かれた。
木刀で防ぐが木刀ごと体を割られた。
木刀で逸らそうとして体を割られる。
後ろに下がって・・・
一瞬で何十回も殺される。
脳が思考を放棄し、目の前に迫る木刀に対して体が動かなくなった。
これは現実かはたまた妄想か、なんでこんな目に合っているのかすらわからない。
狂いそうだった。いや狂ったのかもしれない。
時間の感覚がなくなり、意識を手放しそうになる。
心が壊れたからか、それともまだ先見の中なのかふと思考がゆっくりになる。
ゆったりとした思考の中で俺は姉さんのがっかりした顔を観た。
なんでそんな顔をしているのか、誰がさせた?
俺だ。この程度の攻撃避けられない俺に失望しているのだ。
ざわりと心が騒めく。
俺の誓いはそんなものだったのか?
俺の想いはこの程度だったのか?
俺の初恋はこの程度で折れていいものなのか?
そんなわけない。
そんな未来否定してやる。
瞬間俺の体がブレ、木刀が合わさったとはおもえない甲高い音が鳴る。
手に残るしびれとアレンさんの驚いたような顔を見るにどうやら上手くいったらしい。
そこまで考えた俺は、ずるりと飲み込まれるように倒れ意識を失った。
ーーーーー
「・・・凄いわね」
アレンは地面に落ちた木片を拾い上げる。
アレンとて十分に手加減した一撃であった。
それでも、並の腕では到底防ぐ事は出来るはずもない一撃であった筈だ。
それを防ぐ。それも子供がだ。
アレンは才能の恐ろしさと言うものを身に染みるほど知っていたが今日ほど恐ろしく思ったことはなかった。
「ふむ。アレンと打ち合って相打ち、か」
フィリアも予想外の結果に驚いたのか、嘆息しながらも気絶しているロゼを持ち上げる。
「・・・フィリアちゃんあの太刀筋追えた?」
自分で困惑しているのか心なしか声が震えるアレン。
当てるつもりはだった。
でなければ『先見』は寸止めする未来を見せてしまうからだ。
フィリアに止めてもらう手筈だったのだ。
だが姉の胸で抱えられている少年はそれに打ち合ったのだ。
いや、打ち合ったのかすらも気付かなかった。
最初からあったかのように、気付けば武器が手の中で砕けていたのだ。
手を抜いていたことを考慮してもアレンがその初動すら見切れないというのはあり得なかった。
「いや、私でも無理だった。恐らく剣を未来に送った。というよりはその行動を省略したと言ったほうがいいのか?ともあれつくづく面白い子だよこの子は」
深刻そうなアレンとは他所に面白そうに笑うフィリア。
アレンは思わずフィリアの顔を見上げる。
そこには自身の知る幻流の遣い手である『氷剣姫』の姿はなく、出来の良い弟を自慢するような表情と、何処か違う可憐な表情を浮かべるフィリアの姿があった。
「あらあら、フィリアちゃんもそんな顔をするのねぇ〜・・・」
戦場に立てば赤い氷柱を幾つも拵えるような存在が浮かべる思わぬ表情にアレンは思わず呟く。
「ふふふ、まぁ何せ私の弟は将来『剣神』なって私を嫁にすると啖呵を切ったのだ、無理もないだろう?」
『剣神』と『嫁』の単語にアレンは目を見開き、一瞬の間を置いて大きな笑い声をあげた。
そこには普段とは違う屈強と言う名が相応しい剣士がいた。
「ガハハ!嫁のために剣神を目指すか、世の剣客達が聞いたら鼻で笑うだろうな」
「アレン、興奮するのはいいが、地が出ているぞ」
「あら、端ないところ見せちゃったわね、そうね。でも面白い子だわぁん」
フィリアに諌められたアレンは先ほどまでの戦士としての顔を引っ込ませて通常時に戻る。
そんな様子に苦笑いを浮かべながら、腕の中で眠る愛弟の髪を撫でる。
「それで、試験は?」
「勿論合格も合格。久々に腕が鳴るわぁ〜ん」
「ふふふ、あまり無茶をさせないでくれよ何せ未来の旦那様らしいからな」
面白そうな視線を向けられながらロゼが預かり知らぬところで試験結果が告げられた。




