初恋の相手は
前世の記憶を思い出したのは5歳の頃だった。
前世では地球という世界に住んでおり、なんの取り柄もない半引き篭もり状態の学生であった。
趣味と呼べるものも特になく、前世の最後もタバコを切らしたため、近くのコンビニへ買いに行ったところを車に轢かれるという何とも普通・・・いや普通か?
まぁそれはさておき、とにかく特徴のないのが特徴の人物だった。
前世の記憶が蘇った当初こそ混乱はしたものの、今世でも引き篭もりだった俺は愛煙家の業である手持ち無沙汰感以外では特に弊害もなくそれから今まで誰にも前世の記憶を取り戻した事を気付かれずに過ごしてきた。
今年で8歳。
日本ではまだ子供扱いされる年であろうが、この世界では違う。
魔物が跋扈し、『加護』が存在するこの世界では成人は15歳だ。
この頃から子供達は己の将来を見据え、弟子入りしたり体を鍛えたり、勉強をし始めたりし、2年後には学校やギルドに本格的に弟子入りし始めるのだ。
辺境とはいえ、伯爵家の次男として生まれた俺も例外ではない。
生まれてこの方。いや生前を含めると29年ほど本気で打ち込むというものをしたことがない俺は憂鬱で仕方なかった。
彼女と出会うまでは。
ーーーーーーー
「結婚してください」
右手を突き出し深々と頭を下げる俺。
周りは俺の奇行に唖然とし、求婚された女性は目を白黒させながら俺の両親に助けを求める様に視線を向ける。
「えぇっと、ロゼ?」
普段なら凛とした声なのだがやけに困惑を孕んだ様子で俺の今世の母ーーアリス・マキュエルが俺へ声をかけた。
「何ですか母様。邪魔しないでください」
はっきりと自分の意思をここまで伝えたのは前世を含めて初めてかもしれない。
しかしもはや止められないのだ。
俺はこの目の前の人に一目惚れしてしまった。
絹を太陽に透かしたような柔らかな色を放つ金髪に、大空を写した水晶のような青い瞳。何処か無愛想に思えるような表情にスラッとした背筋。
俺は見た瞬間から彼女に惹かれてしまったのだ。
いかに親とはいえ邪魔するなら容赦はしない。
俺の初めて見せる明確な意思に母親が隣でたじろいたのを感じる。
「ロゼ・・・。ロゼリアス。顔をあげなさい」
今度は父様ーーゴレアス・マキュエルが何時もの響くような低い声で俺に声をかける。
今世の父様は怖い。辺境の伯爵を勤めているためか、貴族というよりは傭兵というような体格で容貌も盗賊といっても通じるほど強面だ。
「申し訳ありません父様。お返事を聞くまで僕は頭をあげるわけにはいきません」
普段ならいちにもなく父様の指示に従っていただろうが、今回ばかりは引けないのだ。
俺はこの人の為に転生し、この人のために生きる星の下に生まれたに違いない。
これは予感でも、気の迷いでもなんでもない。確信なのだ。
俺はこの人の為なら魔王にでも勇者にでもなれるだろう。
俺の決意が伝わったのか父様が深く溜息をつく。
「フィリア。一先ずよく帰った。普段はこんな奴ではないというか・・・この子がここまで意思を伝えてくるのは初めてで戸惑っているんだが、挨拶してやってくれ」
無骨な父様の声が女性にかけ得られる。
フィリア。恐らくこの女性の名前だろう。
俺は名前を心の中で反芻しながら女性の言葉を待つ。
「初めまして、ロゼリアス。求婚の事は一先ず置いておいて先に自己紹介するとしよう」
俺の倍の高さはあるであろうフィリアが屈んでくる気配と共に甘い香りが微かに漂う。
その匂いと凛とした声に脳内麻薬が大量に分泌されるのを感じる。
「はい、お初にお目にかかります。僕はマキュエル家次男、ロゼリアス・マキュエルと申します」
うまく喋れているだろうか。
夢のようにふわふわと押し寄せる幸福感を必死に押し込めながら平静になろうと理性をフル動員させる。
俺の言葉にフィリアさんは無表情な顔を僅かに微笑みを滲ませ俺を見据えた。
心臓がさらに跳ね、全身の血が一気に沸騰するように泡立つ。
(あぁ。これが幸せか・・・!)
前世を含め恋らしい恋をしたこともなく、それ以前に女性にこんな至近距離で微笑まれた事がなかった俺は心の中で歓喜の声をあげた。
これからこの人と結ばれて、デートをして、子供を作って・・・。
桃色の妄想が頭を駆け巡る。
夢心地の中にいる俺はその時失念していた。
「あぁ、知っている」
前世ではこんな言葉があるという事を。
「私の名はフィリア・マキュエル」
初恋はーー絶対に実らない。
「初めまして。私は君の姉だ、弟君」