3.
「た……田中、くん?」
どう見ても、田中くんだった。すっと通った高い鼻筋、バランスよく配置されている目鼻、少し明るい髪色の流行りのヘアスタイル。老若男女問わずに見とれてしまうだろう、美しい顔立ち。それが今、私を見ていた。
普段だったら、思わず私も見とれていただろう。だけど、今は違う。
「あっ、あ……」
意味のない声が私の口から漏れる。田中くんはジッと観察するように、私の方を見つめていた。その顔は、普段みんなに笑いかけている優しげな顔ではなく、まったくの無表情だった。それがとても不気味だった。
これは、もしかして危ないのではないだろうか。なんとなく、そんな気がする。
なるべく視界に入れないようにしても、田中くんの姿はここからじゃ全身丸見えなのだ。そのせいで、田中くんの蠢くタコ足の下半身が目に入る。本物のタコと違うのは、彼のタコ足はメタリックな銀色に光るタコ足だった。
とりあえず何事も無かったかのように、私は屋上の扉を閉めようとした。だけどその前に、ガッと扉の隙間から鈍色に光るタコ足が滑りこんできた。
「ぎゃっ!」
咄嗟に後退ると、後ろへとバランスを崩してしまう。しまったと思ったが、遅かった。
傾いていく体を止めることもできず、景色がスローモーションのように動いていく。あぁ、私はあの変な物を見たせいで、死んじゃうのか――せめてお母さんの夕飯を食べてから死にたかった、と思った瞬間だった。
「うわっ」
ぐにっと私の胴体に、銀色のタコの足が絡みついてきた。見た目よりも硬い感触だったが、そんなことを悠長に思う暇もなく、私の体はタコ足に絡め取られたまま、屋上へと引きずり出されてしまった。そのせいで、私はどんどん田中くんに近づいていく。
田中くんはやっぱり無表情のまま、下半身から一本のタコ足を私に絡み付かせたまま、自分の方へと引き寄せていった。
そうしてついに、目の前に田中くんの無駄に美しい顔と、私の顔が向き合った。
「君は――二組の佐藤さん、だっけ?」
なぜ私の名前を知っているのか、いやそれよりもこの胴体に絡みつくタコ足もどきを離して欲しいとか、色々思うところはあったのだけど、それ以上に私は田中くんの背後にある物体を見て言葉を失っていた。
「ん? なに。あぁ、これか」
私の視線に気付いた田中くんが、別のタコ足を自分の背後に横たわっている物体へと絡めた。そのままそれを持ち上げると、私の方へと近づけてきた。
「コレね、俺の邪魔をしようとしたからさ、ちょっと黙ってもらったんだ」
いやいや、黙るというより、完全に死人に口なし状態じゃん、とは言えなかった。
なぜなら田中くんがようやく見せた、いつもの蕩けるような笑顔で指し示したのは、よくテレビで見るような、子供のような細く小さな体に不釣り合いな大きな頭、その頭の半分以上を占めるほどの黒々とした白目のない大きな瞳を持つ、典型的な宇宙人の姿形をした死体があったからだった。
なぜ死体かと分かったか? そんなの、一目瞭然じゃないか。だって宇宙人の体には無数の穴が開いており、そこからあの紫色の蛍光塗料がとめどなく溢れでていたのだ。それにタコ足に絡み付かれているのに、まったく動く気配もない。
「それにしても、どうしようか。俺の正体がバレちゃったからなぁ」
場にそぐわずのんびりと言う田中くんに、私はもうパニックを通り越して無心になり始めていた。今なら悟りを開けるかもしれない。
そうやって現実逃避をしていると、急に私のお腹が空腹を訴え始めた。あぁ、お腹すいた。お母さんに怒られても良いから、早く帰っていればよかったよ。いやそもそも、授業が終わっても寝こけていたのがいけなかったのか。
ぐぎゅぎゅいーっ、と年頃の乙女が出してはいけない音が、私のお腹から鳴り響く。思わず田中くんも沈黙する。
「はっ――」
「は?」
「は、はっはっはっ!」
急に笑い出す田中くんに唖然とする。上半身を震わせて笑うから、タコ足から私の体へと振動が伝わってきた。気持ち悪い。
それにしても、女の子が腹の虫を鳴かせるのがそんなに面白いのだろうか。そうか、田中くんの周りには可愛い子しかいないから、こんな下品な子はいないんだろうね。
なんとなく腹立たしい気持ちになって、むっと黙りこんでいると、田中くんが「ごめんね」と言って笑い止んだ。
「だって可笑しくって。君は今から俺に何されるか分からないんだよ? ここはお腹を鳴らす場面じゃなくて、悲鳴を上げる場面でしょ」
いや、人間って本当にびっくりしたり怖かったりすると、案外声が出なかったりするもんだよ。私は今知ったよ。
田中くんは私を地面に下ろすと、別のタコ足で掴んでいた宇宙人も放り出した。その無造作さが余計に不気味である。
「じゃあ叫んだら助けてくれるの?」
絶対違うだろう。これは自分の正体を目撃した奴を、そのまま葬り去るシーンのはずだ。だったら私は無駄にエネルギーを消費したくない。助からないなら何もせずにいるほうが、私の性分にあっている。
「助ける? あぁ、もしかして佐藤さん、殺されるとか思ってる?」
「殺すんでしょ?」
不思議そうに尋ねる田中くんに顔をしかめて言うと、彼はとんでもないと大げさに肩をすくめた。まるで外国人のような大袈裟な仕草が、妙に嘘くさい。
「そんなことをしたら、俺は地球から強制退去させられてしまう。下手したら俺達種族は二度と地球に来れなくなる」
「種族……やっぱり田中くんって、宇宙人なんだ」
なるほど、この町に不釣り合いなほどの美少年は、人間ではなく異星人だと言われたほうがすんなりと納得できる。
「随分と素直に納得するんだね。もしかして、君もどこかの星から来たのかい?」
「そんなわけないじゃん。私は普通の地球人の女子高生だよ」
私には田中くんのような、不気味なタコ足なんて付いてない。
むっつりと答えると、田中くんはまた笑った。宇宙人の笑いのツボがよく分からない。
「いや、君があまりにも落ち着いてるからさ。俺の姿を見てこんなに普通にしている地球人、初めて見たよ」
内心まったく穏やかじゃなかったけれど、騒ぎ立ててどうにかなる感じでもないし、お腹も空いてたから気力も湧かないし、結果的にいつもよりも更にローテンションになっていただけだった。
それにしても、本当に空腹が酷くなってきた。もうそろそろ開放してくれても、いいんじゃないかな。
「あのさ、私今日のこと誰にも言わないし、忘れるから帰ってもいいかな?」
なるべく真剣さが伝わるように言ってみた。タコ足のせいか、人の姿の時よりも更に背が高くなっている田中くんを見上げて様子を伺う。
田中くんは顎に手をかけて、首を傾げていた。
「その保証はどこにあるのかな?」
「ないけど……」
「それじゃあ信用出来ないよね」
面倒くさい男である。いや、宇宙人だから見た目の性別とは違うのかもしれないけど。
普段めったに使わない頭をフル回転させて、私は田中くんを信用させるための言葉を探していた。すると彼が銀色のタコ足の一本をまた私に伸ばしてきて、強引に顎を上げさせてきた。
「俺は色々事情があって、まだ地球を離れたくはないんだよね。だから本当なら、君の記憶を弄ってどうにかしたいんだけど、あまり一般人に関与すると管理局から目を付けられちゃうんだ」
田中くんの事情など、私が知ったことではない。だが記憶云々は、聞き捨てならない台詞である。
私が思わず身を硬くしていると、学校中の女子を魅了するあの笑顔を浮かべた。
「だからね、俺は君を監視することにしたよ」
謎の理論で田中くんはそう言い切った。




