2.
「ふごっ……ん?」
内ポケットに入れていたスマホが急に振動したせいで、私の意識は強制的に覚醒させられた。
「あぁ、お腹空いた……あれ?」
周りを見渡すと、誰もいなかった。教室内は薄暗く、グラウンドからの照明で、ぼんやりと物が見える程度だった。私は眠気ではっきりしない頭を掻いた。またやってしまったようだ。
とりあえず先程から、私のささやかな胸にアタックをかけてくるスマホを取り出し画面を見た。
「由里子だ。……はい、もしもし」
『あっ、沙羽? ちょっとアンタ、もしかしてまだ教室にいるの?』
「うん。いま起きた」
『いま! ちょ、いったい何時だと思ってんのさ! もう部活も終わってるし!』
言われて私は教室の時計を見た。いつもなら家で夕飯を食べている時間だった。これはまずい。お母さんに怒られてしまう。
「なんで起こしてくれなかったの」
恨みがましく言えば、由里子が一際声を荒らげた。
『起こしたっての! なのに沙羽ってば、全然起きなかったじゃん! それに今日、わたし部活あるからって言ったし!』
そう言えば朝会った時、吹奏楽部の練習があるからと言っていた気がする。それに私の寝汚さは折り紙つきである。なので私は反論できなかった。
『とにかく、早く家に帰りなさいよね! またおばさんに怒られても知らないからね!』
由里子はそう言うと、ブツリと通話を切った。ついでに着信履歴を見てみると、恐ろしいほどの数の着信が母親から来ていた。メールも恐らくそうだろうけど、怖くて確認できない。
「やっちまったー。またお小遣い減らされちゃうよ」
私は意を決して重い腰を上げると、鞄を持ってとぼとぼと教室を後にした。
夜の学校はまるで異世界のようだ。
節電なのか、廊下にはほとんど灯りがついておらず、非常に薄気味悪い。
一階へと降りる階段へ近づいた時、ふとある物が目に付いた。
「なにアレ」
階段付近に、ぼんやりと紫色に光る物があったのだ。そろそろと近づくと、階段の一番下の段に、何故か紫色の蛍光塗料らしき物が付着していた。いったい誰の仕業なのか、美術部だろうか。いや、でも美術部の部室はこの中央棟じゃなくて、たしか東棟のはずだ。じゃあ先生かな?
よく見ると、塗料が階段の方へと続いている。釣られるように視線を動かすと、塗料はなぜだか上階へと続いている。でも上はもう屋上だ。そもそも屋上は普段は開放されていないはずだった。
私はにわかに好奇心をくすぐられ始めていた。多分、少しでも家に帰るのを引き伸ばして、母親の怒りから逃れようと、無駄な抵抗をしていたのもあるだろう。だから私は、屋上へと続く塗料の跡を辿ってしまったのだ。
それが自分の運命を変えるとも知らずに。
「――開いてる」
屋上へと繋がる扉が、なぜか少しだけ開いていたのだ。そして紫色の蛍光塗料の量も、下の階よりも増えていた。
ここに来て、私は急に不安になった。入ったことのない場所へ入ることへの罪悪感、それと奇妙な塗料の正体が分からないことへの不気味さ。
やっぱり帰ろうと、引き返そうとした私の耳に、人の声が聞こえた。
思わず扉を見た。僅かに開いた隙間から、誰かがブツブツと話す声が漏れ聞こえてくる。
私は好奇心を抑えきれずに、とうとう扉の隙間から屋上を覗いた。
紫色にぼんやりと光る屋上の真ん中辺りに、二つの影が見えた。その姿を見た途端、私は小さく息を呑んだ。
「た、タコ?」
思わず私は声を出してしまった。だって、そこにいるのは、上半身が人で、下半身がタコのような「なにか」がいたからだ。
まるで私の囁きが聞こえていたかのように、その不気味なものがこちらを向いた。私は再度、息を呑む。
「た……田中、くん?」
そう、うねうねと動くタコのような足の上にあった人の顔は、学校で一番人気で有名人の、あの田中太郎くんだったのだ。




