18.
卵のような透明な球体の中で、私は外の世界で起こっている出来事をうつらうつらとしながら見つめていた。
田中くんは、もうタコ足の田中くんじゃなかった。田中くんの人の姿の時の二倍は大きな、三本足の化物になっていた。鼻のないつるりとした凹凸のない顔に大きすぎる口。そして顔の上部――ほとんど頭部と言って差し支えない――に小さな目と、耳もなければ髪もなかった。いや、体毛なんてどこにもない。今の彼は陶器のようにつるつるした質感の肌をしている。
その田中くんが伊集院さんの足を鷲掴みにして、何度も地面に叩きつけている。何度も何度も。
伊集院さんは必死に田中くんに噛み付くけど、陶器のような肌には傷ひとつつかず、逆に伊集院さんのサメの歯がぼろぼろと砕けていく。
その後ろではカエル男が必死になって、田中くんの首をピンクの舌で溶かしながら締め付けようとしているけど、彼はけろりとしているし、逆に煩わしそうにその舌を開いている手で掴むと引きちぎり、尻尾のようになっている足でカエル男を踏みつけた。
怒り狂った伊集院さんが翼からあの黒い棒を飛ばすけど、水面に吸い込まれるように田中くんの白いツルツルの肌に棒が吸い込まれて消えていく。そして彼女のサメの口を両手でこじ開けると、田中くんの大きな口から黒い棒がサメの口内目掛けて飛んで行く。それらは全てサメの頭を貫通していき、私とは違う茶色のドロリとした液体が吹き出していく。
ホラー映画とSF映画と特撮映画を混ぜこせにしたような不気味な光景は、まるで現実味がなかったけれど、私の体に走る痛みは現実だったから、これは現実なのだろう。
だったら、これ以上はまずいのではないかと、薄れそうな意識の中で思っていた。
私をこんな目に合わせた田中くんも伊集院さんも、あのカエル男も正直言ってこれ以上、関わりたくなかった。だけど目の前で着実に殺戮現場へと変貌していく様を見続けるのも苦痛で、私は球体の中で田中くんへと呼びかけた。
「……田中くん……田中くん、もうそれくらいで良いでしょ!」
虚しいかな、球体の中に私の声が反響するだけだった。それもそうか、外の音が一切聞こえないのだから、こちらの声も聞こえないだろう。
無駄だと思いつつ、私は球体を内側から叩いた。焼け爛れた自分の手を見るのは嫌だったけど、痛みに耐えて必死で叩き続けた。
「田中くん! 田中くんってば……!」
三本足の化物は私を無視してサメの翼をもいでいく。音が聞こえないはずなのに、ブチブチと肉を裂く音が聞こえた気がした。
「もう、くそっ、なんなの……田中! こらバカ田中! バカナカ!」
聞こえるはずもないのに、悪態を付いていると、田中くんの動きがピタリと止まった。凹凸のないツルンとした顔を私の方へ向けると、大きな口を剥き出しにしたまま不思議そうに首を傾げた。その様子が、いつものあの美形すぎる田中くんと少しだけ重なって見えた。
「いい加減に、やめて! もう良いでしょ? それ以上したら死んじゃうから!」
『――どうして?』
「うわっ、なに? どこから聞こえてんのこれ!」
突如球体内に田中くんの声が響いて、私は身を縮こまらせた。
『ねえ、どうして駄目なの? 君をそこまで傷つけたんだよ、こいつたちは』
「それは確かに腹立つけど、それ以上に私は田中くんにムカついてんの」
『どうして?』
この化物、本気で言ってるのか?
「元はといえば、アンタが原因でしょ! 学校であんなタコ足でいなきゃ、そもそも私もこんな事に巻き込まれてなかったの! それにアンタの嘘くさい上辺に騙されてる女の子たちに、絡まれることも無かったわけ!」
あぁ、思い出すとまた腹が立ってきた。
「とにかく、私はもうこれ以上巻き込まれたくないし、早く病院にも行きたいの。言っとくけど、めちゃくちゃ体痛いんだから!」
『その割には元気だね』
「我慢してんのよ馬鹿!」
本当にこのまま放って置かれたら、死ぬんじゃないかと危機感を覚えるほどには体が痛いのだ。ただ田中くんへの怒りのせいで変な脳内物質が出ているのか、先程よりかは痛みが和らいでいる気がするだけだ。
『仕方ないね。君のお願いならやめてあげる』
どこまでも上から目線で言われて、こめかみが引き攣ってしまう。
私が怒りを収めるのに必死になっていると、田中くんの脇腹から彼の肌と同じ白色をした、つるりとした細長い紐のようなものが伸びてきた。それらはほとんど動かなくなっていた伊集院さんとカエル男の体に隙間なく巻き付くと、ぷつりと切れた。地面には巨大な繭のようになった二人が転がっていた。
田中くんは二人をしばし見つめた後、私の方へと近づいてきた。そして球体の前まで来ると、長すぎる細い四本の指を球体に押し付けた。
パリン、と薄いガラスが砕けるような音と共に、私を覆っていた球体が砕け散っていく。
「大丈夫? 佐藤さん」
「これが大丈夫に見えるなら、アンタの目は腐ってるね」
「ははっ、面白いね佐藤さん」
宇宙人に皮肉は通じないらしい。
田中くんは私の前に跪くと、そっと私の背に手を添えた。
「ねぇ……私、死んじゃうの?」
「どうして?」
平らな顔は表情なんて全く浮かんでいないのに、なぜか私には田中くんが不思議そうな表情を浮かべている気がした。
「だって、脇腹えぐれたし、手は焼けちゃったし、胸も溶かされちゃったし……これってもう、後は死ぬだけって感じじゃん」
「そうだね。普通だったら死ぬかもね」
私を心配するでもなく、平然と言ってのける田中くんはやはり腹立たしい。
「田中くんは忘れてるかもしれないけど、私は普通の地球人の女子高生なんだけど」
「知ってるよ、君は脆弱で怠惰で食欲旺盛な、地球人の女の子だもんね」
「要らない単語が多すぎるんだけど」
「そうかな? でも合ってるでしょ」
「田中くんのくせに生意気。タコ足だったくせに、そんなにかっこ良くなってムカつく」
言った後ではたと我に返る。恥ずかしくなって視線を逸らすけど、田中くんの冷たく滑らかな白い指が、私の頬を押さえ込んだ。チラリと田中くんを見上げると、なぜか彼は私を凝視していた――目は上の方にあるから見えないけど、そういう感じだった。
「……なによ」
「本当に、俺ってかっこいい? 気持ち悪くない? 怖くない?」
矢継ぎ早に質問され驚きつつも、私はぼそりと呟いた。
「キモいし怖いけど……かっこいい……かもしれない」
田中くんはまるで映画に出てくるモンスターのように、恐ろしくて醜くて、そして強かった。非現実的な光景にしか見えなかった先程までの田中くんの所業も、普段の彼よりもずっと彼らしく感じてしまった。それらは誰もが魅了される美しい人の形をした田中くんよりも、ずっと美しい姿だと思ってしまったのだ。こんな事を思ってしまう私は、彼の残虐性が伝染したのかもしれない。
「そっか……俺ってかっこいいのか。ははっ、佐藤さんにそう言われると、嬉しい」
照れた声を出しても、やはり田中くんの平らな顔は表情もなく、ただ歯を剥き出して口元を吊り上げただけだった。ちょこんと頭の上部にある小さな目も、小さすぎてまったく動きが分からなかった。
「もう、そんなことはどうでもいいから、早く私を病院に連れててってよ! このままじゃあ本当に死んじゃうじゃん!」
「大丈夫だって言ったでしょ? ほら、もう動けるはずだよ」
「はあ? なに言って……」
途中ではたと気づく。そう言えば、あれほど感じていた痛みがなくなっている。恐る恐る自分の脇腹を見ると、血だらけの破れた制服の跡以外は、見慣れた自身の肌しか見えなかった。
「な、なにこれ……え! 手も治って……胸も! なに、なにしたの田中くん!」
「君の中に俺の一部を埋め込んだって言ったでしょ? あれがあったお陰で、君の細胞の中で俺の細胞が増殖して、君の傷を修復していったんだよ。良かったね」
「良くないわバカぁ! 本当になにしてくれてんの田中くん! 出して! 今すぐその埋め込んだの出してよ!」
ベシベシと田中くんの光沢のある硬い胸を叩けども、私の手が痛くなるだけで全く彼にダメージを与えることができなかった。
「それはさすがに俺でも無理かな。やればできるだろうけど、そうしたら佐藤さんの主要組織ごと摘出することになるから、多分死んじゃうよ」
「さらっと死ぬとか言うな馬鹿! あぁ、最悪! 本当に最悪だよ!」
気が晴れずになおも田中くんの胸を叩いていると、彼がそっと私の拳を細長い指で握りこんできた。
「大丈夫、心配しないで。俺の細胞のおかげで、普通の地球人より少しだけ頑丈になってるはずだから、怪我もすぐに治るし病気にも罹りづらくなるよ」
「いらないよ、そんな能力! もうイヤだ、私の平和な日常を返せー!」
私が叫んでも喚いても、田中くんは飄々としているのが余計に腹立つ。
「さ、そろそろここを出よう。管理局の人間に色々調べられたくはないでしょ?」
「え……私なんかされちゃうの?」
「そうだね、この俺の貴重な細胞を定着させられたんだから、良い実験体になるだろうね」
「出よう、今すぐここを出よう。早く! ハリーアップ!」
ケラケラと楽しそうに笑う田中くんを蹴りつつ――やっぱり私の足が痛いだけだった――その場を後にしようとして、ふと立ち止まった。
「いやいやいや、このまま出ちゃまずいでしょ! 私こんなんだし、田中くんも元に戻れないの?」
「あ、忘れてた」
そう言うと田中くんの体が頭からドロリと溶け出していく。ぎょっとして身構えていると、溶けた中から人の頭が飛び出してきた。
「なにそのマジック……宇宙人万能すぎない?」
溶けた田中くんだった「なにか」は、彼の足元へと吸い込まれるようにして消えていった。残ったのは制服を少しだけ着崩した、流行りの髪型に完璧なパーツの顔を持つ、いつもの田中くんだった。
「えっと、とにかくこれだけ羽織っておいて。制服なら直ぐに届けるように今言ったから、あと二、三分で届くよ」
制服のジャケットを私に渡しつつ、なぜかチラチラと私の胸元を見る田中くんの視線に釣られて自分の胸を見下ろすと、そこはあのカエル男の舌に溶かされて無残な穴が開いた制服があり、下から慎ましやかな胸が見えていた。幸いと言っていいのか、大事な部分までは見えていなかった。
「ちょっと! なに見てんのさ、このタコ足!」
咄嗟に差し出されたジャケットを奪って胸元を隠しつつ、田中くんの足を再び蹴りつけた。先程よりは痛くなかったけど、それでも彼はけろりとしているのがまたムカつくのだ。
「ち、違うよ! 俺たちユーポット星人は地球人に性的魅力なんて、普通は感じないから!」
「それはそれでムカつくわ! なによ、断崖絶壁で悪かったわね!」
「だ、だから違うって! あぁ、もうとにかくここを出よう!」
ふわりと体が宙に浮く。田中くんが、世にも恥ずかしい、あのお姫様抱っこをしたからだ。
「ぎゃあ! やめて! おろして! 自分で歩けるから!」
「駄目だよ、早くしないと、もうほんのすぐそこまで管理局の人たちが来てるんだから」
「分かった! 分かったけど、この姿勢はやめて! せめておんぶ! おんぶにしてぇ!」
私の激しい抗議に溜息をこぼしつつ、田中くんは一度私を下ろして背中を向けた。既視感を覚えつつ大人しく背負われると、彼が私に「舌を噛まないように気をつけててね」と不穏な言葉を吐いた。
「は? なに――うぁああ!」
私が言い終える前に、田中くんの体が空高く飛び上がる。そしてある程度落下すると、器用に建物の上に着地しては、また飛び上がっていく。
そうして私は田中くんの背中で叫びつつ、強制的に空の旅へと連行されたのだった。




