16.
「田中のバカヤロー!」
ギュッと目を瞑って大声で悪態をついた、その時だった。
「ゲロッ」
耳元で潰された蛙のような鳴き声と同時に、何かがぶつかる激しい音が聞こえた。
恐る恐る片目を開いて見ると、鈍く光る銀色の――タコ足。
「うわっ」
タコ足が私の胴体に絡みつき、持ち上げられた。地上には唖然と私を見上げる伊集院さんと、苦しそうに丸まって横たわるカエル頭のエックスがいた。
「バカでごめんね、佐藤さん」
その場にそぐわない涼やかな声が響く。私の体はその声の持ち主の元へと引っ張られていく。
そこに居たのは、とても爽やかな笑顔を浮かべる田中くんだった。あの時と同じ、銀色に輝くタコ足の下半身で。
「少し邪魔が入ってしまって、来るのが遅れちゃったんだ」
そう言う田中くんはタコ足の一つに、この前見た時と全く同じ宇宙人を抱えていた。体中が穴あきだらけなのまで同じだった。
「田中……貴様、どうして此処が分かった」
伊集院さんが憤怒の表情で私たちを見ている。やはり美人が怒ると怖い。私は思わず視線を逸らしてしまった。
「俺の発信機の信号をすり替えるまでは、よく出来たと褒めてあげる。だけど、彼女の体内にある物までは、すり替えられなかったみたいだね」
無邪気に微笑みながら、私の頭を撫でる田中くんに唖然とする。この宇宙人、私の体になにかしたのか?
「なんだと? 佐藤沙羽の体は何度もスキャンしたが、なにも引っかからなかったぞ」
「それは君たちのスキャン能力が、俺より低かっただけの話しじゃないかな?」
宇宙人の未知なる能力の凄さ云々よりも、私の体内に何かが埋め込まれている方が重大である。
「ちょっと、何勝手なことしてくれてんのさ田中くん! 私の体にいつの間にわけ分かんない物埋め込んだのさ!」
「え、怒るとこそこ?」
困惑する田中くんのタコ足をつま先で蹴りつけた。両手は未だに拘束されたままだし、なによりタコ足に絡み付かれてて足しか動かせないのだ。
「まさか私で人体実験繰り返してて、あと何ヶ月かしたら、そこの宇宙人みたいな赤ちゃんを……汚らわしい!」
「ちょ、そんなことしてないから! け、汚らわしいって、俺は少しだけ自分の一部を君の中に埋めただけで……」
「なっ、この獣! 悪魔! タコ野郎! うぅ……もう、お嫁にいけない……」
「違うから! 俺は本当になにも、やましいことなんてしてないから!」
「うぅ……ずびびっ」
情けなさと恥ずかしさと恐怖で、涙と鼻水が出てきた。圧倒的に鼻水のほうが量が多いけど。
「貴様ら! いい加減にしろ!」
空気を振動させるほどの大声で、伊集院さんが叫んだ。
「田中、今日こそ貴様のコアを手に入れてやる」
伊集院さんが謎の宣言をすると、田中くんは嫌そうに顔しかめた。初めて見る表情だった。
「いい加減、諦めたら? 君達では俺のコアなど奪えるわけがないのに」
そう言いながら、田中くんが私を自分の背後へと下ろした。穴だらけの宇宙人が真横にあって、喉の奥で引き攣った声が出た。
「こんな人形を俺に何度寄こしたところで、無駄だといつまで経っても気づけないなんて、学習能力がないのかな?」
田中くんが伊集院さんを盛大に煽りながら、穴あき宇宙人を持ち上げると、彼女の前へとそれを放り投げた。
「貴様……この私を愚弄する気か!」
「愚弄? 違うよ、事実を指摘しているだけだよ」
「おのれぇ!」
田中くんの背後からそっと伺うと、伊集院さんが全身を怒りに震わせていた。震わせるというより、ほとんど高速で揺れているといった風だけど。
呑気にそう思っていると、伊集院さんの体がボコボコと泡立ち始めた。それはさっき見たカエル男よりも激しく、今日何度目かもしれない悲鳴を私は上げた。
「ひぃっ! キモい! なにあれキモい!」
「佐藤さん、何があっても俺の側から離れないでね」
「え?」
いつもより真剣な声音で言う田中くんを不思議に思う間もなく、膨れ上がった伊集院さんの体のあちこちが変化していく。
中でも一際大きく膨れ上がった頭部は前の部分が長くせり出し、異様な形になっていく。
「さ、サメ?」
そう、サメだった。形を変えた伊集院さんの頭はサメへと変貌し、両腕が何故か翼のような形へと変わっていく。そしてあの美しく長い両足は、鱗に覆われた鳥のような足に変わっていた。その異様な形とバランスの悪い体つきに、場違いながらも私はふと、出来損ないのゆるキャラみたいだなと思ってしまった。
「私をここまで侮蔑した罪、そのコアを持って償って貰うぞ」
大きな口を剥き出しにして言う伊集院さんは、もういつもの美しかった彼女ではなかった。鋭い歯がびっしりと生え揃う口を不気味に鳴らしながら、硬質な翼を大きく羽ばたかせた。
「佐藤さん、じっとしててね」
田中くんが囁くように言う。言われなくても動けない。私の膝は笑って動かせず、ただ呆然とその場に立ち尽くすしか出来なかったのだ。
伊集院さんは天井ギリギリまで飛び上がると、急に頭を下にして落下を始めた。
「ちょー! 来てる! こっちに来てるよ田中くん!」
ベシベシと田中くんのメタリックなタコ足を叩くと、彼は「わかってる」と簡潔に言った。分かってるならジッとしてないで、逃げなさいよ! というか、私だけでも逃して!
「うあぁっ!」
口を大きく開けた伊集院さんが、田中くんの目の前までやってきた時、ピタリと止まって慌てるように再び舞い上がった。
理由は直ぐに分かった。田中くんのタコ足数本の先が鋭く針のように尖って、飛び上がる伊集院さんを追いかけたからだった。
「こしゃくな!」
伊集院さんが器用に身をくねって田中くんのタコ足を食い千切った。
「ぎゃあ! 足! 足食われたよ田中くん!」
叫ぶ私とは反対に、田中くんは全く動揺した素振りもなく、千切れたタコ足をするすると自分の方へと引き寄せた。噛みちぎられたタコ足の先は、金属質な音を伴って地面へと落ちていく。
「伊集院さん――じゃないか、アエルだったかな? 君は自分がしていることの意味を分かっているのかな」
田中くんが無くなったタコ足の先を眺めていると、そこからまた新たなタコ足がヌルリと生えてきた。元通りになったタコ足を満足気に蠢かせつつ、田中くんはチラリと空中にいる伊集院さんを見上げた。
「意味だと? あぁ、分かっているさ。それがどうした」
「分かっていてこんな事をしているなら、愚かとしか言い様がないね。俺のコアを奪ったところで――まぁ、そんなことはあり得ないんだけど――管理局の目を掻い潜って、地球から逃げ出せるとでも思っているのかな?」
田中くんは常に無い冷たさで問いかけた。だけど伊集院さんは怯む様子もなく、田中くんを嘲笑った。いや、サメの顔だから笑っているのか分からないけど、そんな雰囲気がしたのだ。
「この星の、ましてやこの国の矮小な存在に、私が止められるとでも? 戯言を。ここに来てだいぶ経つが、危機感など持たずに安穏と日々を怠惰に過ごす、阿呆ばかりではないか」
なんとなく馬鹿にされたような気がして、私はむっとした。
「そこの小娘にしても然り。貴様の存在を認知しておきながら、警戒感もなく平然と生活していたではないか。誰ぞに助けを求めるでもなく、さりとて周囲に非難されても反発することもなく、ただただ惰眠をむさぼるばかり。この種族の危機感のなさには、とんと呆れ返るわ」
今度ははっきりと馬鹿にされた。それにしても惰眠って……眠るのが好きでなにが悪いんだ。
「私はこの星のどの生物よりも優れた存在。このような下等な生物に、この私を捕らえることなど不可能!」
そう言い終えると、伊集院さんは翼を大きく広げて羽ばたかせた。すると羽の中からなにか尖った棒の様な物が、いくつも飛び出してきて、私たちの方へと向かってきた。
「佐藤さん、離れて!」
「なに?」
さっきは離れるなと言って、今度は離れろとか、どっちかはっきりしてよ!
私が内心で悪態を吐いている間に、田中くんのタコ足が私の体を後ろへと突き飛ばした。
「いった! ちょっと、いきなりな――」
文句を言おうとした言葉が出なかった。田中くんの体に黒っぽい棒がいくつも突き刺さっていたのだ。その棒はタコ足にも突き刺さっていて、田中くんの体はその場に縫いとめられるように立ち竦んでいた。
「だから矮小な種族だと言うのだ。そのような小娘を庇いながら、私に勝てるとでも思っているのか?」
言うやいなや、サメの口が何度も開閉する。ガチガチと擦り合うような音がした途端、田中くんに刺さっていた棒が合わせるように振動を始める。
「ぐっ、う……」
「はっ、はっ! 貴様の体はよいなぁ? あらゆる金属物質を含むが故、私の電気もよく通してくれるわ」
田中くんの体が小刻みに揺れている。タコ足の表面に青白い光が迸っているのが離れていてもよく見えた。
「あ、た、田中くん……」
どうしよう、どうしたらいい? 田中くんを助けるか、放って逃げるか。いや、助けるにしてもどうやって? 逃げるにも、まだ両手が縛られたままなのに!
伊集院さんは獰猛な気配を纏ったまま、ふわりと優雅に田中くんの目の前に降り立った。
「では、貴様のコアをいただこうか」
そう言うと伊集院さんは口を大きく開けると、田中くんの頭に齧り付こうとした。だけど、
「! ……き、さま」
伊集院さんが口を明けたまま微動だにしない。恐る恐る田中くんの後ろから覗きこむと、伊集院さんのサメのような体の背中に、沢山の銀色に光る細く鋭利な棒が突き刺さっていた。
銀色の棒はそのまま伊集院さんの体を突き抜け、田中くんの足へとアイスを溶かすように同化した。
「はっ、ははっ。だから君たちは学習能力がないと言うんだよ。俺の体は全てが意思を持つと忘れたのかい? さっき君が噛みちぎった、俺の足の行方をどうして気にしなかったの」
少し掠れた声で田中くんが言いながら、彼は自分の体に突き刺さる棒を引き抜いた。ぽっかりと空いた穴の向こうに、伊集院さんの体に空いた無数の穴が見えてしまった。
田中くんはタコ足を乱暴に持ち上げると、地面を抉るようにして次々と棒を引き抜いていく。その間にも彼の体に空いていた穴が、幾つものミミズが這いずり回るように蠢きながら、その穴を塞いでいった。
「もういい加減、君たちの相手をするのは飽きたよ。そろそろ終わりにしようじゃないか」
冷え冷えとした口調で田中くんが言った。いつもの柔らかな物言いとはぜんぜん違う、凍えるような嫌な響きをする声だった。
田中くんのタコ足が持ち上がると、そこから幾千もの尖った針状のものが飛び出した。それを見て私は屋上で穴だらけになって死んでいた、あの宇宙人を思い出した。ちょうど彼が先ほど乱雑に投げた、あの宇宙人のように。ようやく、彼らの死に方を私は理解した。
「この……私を馬鹿にしおって、この、このぉ!」
伊集院さんが翼を羽ばたかせて後ろへと飛び去ろうとしたけど、翼まで傷付いているのか、その速度はとても遅かった。
「君たちにどんな罰が下されるのかは分からないけど、まあこれから先一万年はこの星には近づくことすら許されないだろうね」
田中くんの針に覆われた足が、ゆっくりと広がっていく。それこそ翼のように、大きく優雅に伸ばされていく。
「少し痛いかもしれないけど、それくらい我慢できるよね?」
なんでもない事のように田中くんは言うと、その広げた足をゆっくりと振り上げた、その時だった。
「あっ」
ヌルリと湿った何かが私の首筋に巻き付いてきた。驚いて振り向くと、そこにカエル頭のエックスがいた。




