13.
ふわふわとした微睡みが、とても気持ちよかった。ひんやりとした感触が、額や頬を撫でていくのが心地いい。
「――ん……さん」
遠くで誰かの声が聞こえる。あぁ、あと十分、いや五分でいいから寝かせて欲しい。
「……さん、佐藤さん」
煩いな、もう。なにさお母さんってば、随分声がハスキーになっちゃって。まるで男の人みたいじゃないか。
「んー、起きないなぁ。佐藤さんってば」
なんか、苦しい。息ができない――いや、本当に息ができない!
「ふげっ!」
「あっ、起きた」
あまりにもの苦しさに目を開けると、目の前に田中くんの美しすぎる顔があった。なにこれ、心臓に悪い。
「はひ、ひへんほ」
「あ、ごめんごめん、なに言ってるか分かんないね」
そう言って全く悪く思ってなさそうな顔で、私の鼻を摘んでいた手を離した。こいつ、本気で私を殺す気なんじゃないのか?
「どこか痛む? ここがどこだか分かる?」
言われて初めて私は、自分が見慣れない場所にいることに気が付いた。真っ白いカーテンに少しくすんだ天井、それに鼻につく薬品の匂い。
「保健室……?」
「そうだよ。よかった、一応全身スキャンしたら異常はなかったんだけど、なかなか目覚めないからさ、心配しちゃったよ」
「スキャン……」
さらっと言ってるけど、ここは学校の保健室のはずで、そんな機械ないはずなんだけど、もしや――
「あのさ、もしかして田中くんがスキャンしたの?」
「うん? そうだけど。あれ、なんでそんな嫌そうな顔してるの」
「だって、私の体を見たってことでしょ?」
「そうだよ。スキャンってそういう意味だし」
そこまで言って田中くんの動きが止まる、そして薄らと頬を染めた。
「だ、大丈夫だから! 佐藤さんの体には全く触れてないし、その、見たのは内臓とか細胞とか、そういうのであって、裸とかじゃないから!」
「充分キモい」
田中くんの高性能ぶりを驚くよりも、人が意識を失くしている間に勝手にあれこれ調べられる方が、何倍も気持ち悪い。
「違うから! 誓って、そういうやましいことは無かったから!」
あったら困るんだけどと、白い目で田中くんを見ていたら、面白いほど狼狽している。ざまあみろ、普段私が味わっている苦痛に比べたら、軽いものだと内心ほくそ笑む。
「えっと、とにかく体には異常なかったんだけど、気分悪かったりする?」
「精神的に気分が悪い。主に田中くんのせいで」
「だから、それはごめんねって……」
落ち込む田中くんは珍しい。だが構ってやるものか。
「それより、私なにしてここにいるんだっけ」
「覚えてないの? 体育の時間に伊集院さんとぶつかって、転んだ拍子に頭打ったみたい。軽い脳震盪起こしたんだよ」
そう言えば、普段のストレスを吐き出すように、柄にもなく張り切ってしまったのを思い出した。ちょっと恥ずかしい。
「そうなんだ。ところで今何時頃?」
「ん、ちょうど全部の授業が終わった頃だよ。あ、ほら鐘が鳴った」
時計を見もせずに田中くんが言うと、宣言通りに鐘が鳴った。
「田中くん、なんでまだ体操服のまんまなの?」
「あぁ、だって佐藤さんを運んだの、俺だったから」
なんて余計なことを……また一つ、女子たちからの恨みを買ってしまったではないか。
「まぁ、でもありがとう。私ならもう大丈夫だから、田中くんは自分の教室に戻ってくれてもいいよ」
「なに言ってるのさ、今日は俺が佐藤さんを家まで送っていくよ」
「いやいや、本当に大丈夫だから。ほら、今日は部活あるんでしょ? サッカー部のエースがそんなに簡単にサボっちゃダメでしょ」
押して駄目なら引いてみろ。田中くんはこちらが嫌と言えば言うほど、無理に押してくるところがあるから、ここは試しに引いてみることにした。サービスで笑顔も付けてやる。引き攣ってなければいいけど。
「は……う、うん。そうだね。でも本当に一人で帰れる? 無理してない?」
「大丈夫だって、私こう見えても体頑丈だし、平気平気」
なぜだか顔を赤くして言う田中くんに、私はそろそろ使い慣れていない頬の筋肉が痙攣するのを感じた。
「ほら、もう行って。みんな待ってるよ」
知らないけど、多分そうだろう。適当に言うと、田中くんが力強く頷いた。
「分かった、じゃあ行くね。もし気分が悪くなったり、どこか傷んだりしたら、無理しないですぐに誰かに助けを求めるんだよ」
「分かったってば。それじゃ、バイバイ」
「うん……さようなら、佐藤さん」
何度もこちらを振り返る田中くんに、私の表情筋は既に限界を超えていた。そしてようやく田中くんが保健室から出て行くと、ほっと溜息を吐いたのだった。
「疲れるわー」
痛む頬を撫で擦りつつ、ふと脳裏に何かが引っかかった。だけどそれが何だったのか思い出せなくて、すぐに考えるのをやめた。忘れるっていうことは、それほど重要なことじゃあ無かったのだろう。
そう脳天気に考えてしまったこの時の自分を、後々の私は絞め殺してやりたいと思うのだった。




