十指との戦い<初戦>
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まだ昼時なのに、そこには暗澹たる気配が漂っていた。
夜行はその気配を放っている建物の前に立ち、後ろを振り向く。
振り返った先には十数人の男達が山伏のような恰好をして立っていた。
「…全員を守れるかは、自信がないけど。」
夜行の台詞に男達が快活に笑う。
「一人でも奇跡ですよ、夜行さん。」
「武蔵が助かれば、俺達はそれで良いです。」
彼らの台詞に、夜行は小さく溜め息を吐く。
そんなつもりでは、誰一人生き残れないだろう。
しかし夜行はその言葉を口にはしなかった。
本人達がどう思っていようと、守るのはこちらの勝手だ。
全員の帰還。
それが夜行の目標だった。
「俺が助かればいいなんて、俺でも思ってないぞう?」
武蔵の台詞に、男達の何人かが肩を竦める。
誰もが願う事柄だったが、今回はそれが酷く困難であることは、男たちの中では共通の意識だった。もちろん今台詞を言った武蔵でさえ例外ではない。
この中で全員が帰れるようにと願っているのは、部外者である夜行一人だった。
夜行を頼って来たのは、京都でも屈指の術者集団である「平蜘蛛」の一団だ。
京都のとある寺の僧兵の集団だが、質実剛健の噂にたがわぬ猛者の集まりで、夜行のような細い体の男と違い、皆鍛えて大きな体をしている。
その実力者が集まっていても、今回の戦いは先読みが出来るほどの負け戦の態を成していた。過去からの経験上、人との戦いなら勝ちはするだろうが、人外相手に勝った記録はいまだ無かった。ましてや相手は何百年も前から噂が絶えない悪辣な人外だ。
曰く、術者を食らう。
曰く、術者を玩具にする。
曰く、操られた術者同士で殺し合う。
曰く、その巨大すぎる力の前では、何人も抗うことが出来ない。
そんな噂の中で、ギリギリで生き残った経験者の夜行に頼らざるを得ないのは、きっと本人達には不服だろう。
夜行はそう思いながら、小さく吐息をついた。
「ん?どうしたよ?夜行?」
武蔵が夜行の溜め息に気付いて問いかけてくる。
夜行は緩く首を振った。
「…いや、何でもない。…では、行こうか。」
夜行が言うと、全員が頷いた。
暗闇は彼らを待っているかのように、沈黙しながらその口を開けている。
不気味な静けさの中、男たちがその口に入って行った。
出入り口は廃墟らしく、埃と瓦礫で溢れていた。
一歩進むたびに、うっすらと塵が空中に舞い上がる。
大人数で進む集団では、足元があっという間に霞が掛かったようになった。
進む先に上のホールへ続く階段が見えた。
夜行はそちらへ向かう。
気配は建物の上からしている。
そう思った矢先に、階段の踊り場に少女が出現した。
「はあ?」
夜行と共に先行していた武蔵が、間抜けな声をあげる。
セーラー服を着た黒髪のおかっぱ頭の少女は、にっこりと笑うと口を開いた。
「おじさん達、何処へ行くの?」
良く通る高い声は、後ろの男達にも届いた。
「おい。こんな所で何をしている。今すぐ出て行くんだ。」
「え?どうして?」
僧兵に声を掛けられ、少女が不思議そうに首を傾げる。
「此処は危ないから、出て行きなさい。」
先とは別の僧兵が、少女にまた声を掛けた。
「え?此処が危ないの?」
「そうだ。とにかくそこから降りて来なさい。」
僧兵が少女と押し問答をしている間、武蔵は動かない隣の夜行を見る。
夜行はその少女からじっと目を離さずに、ぼそぼそと何事かを口にしていた。
手元にはもう、呪符が構えられている。
その途端、武蔵の全身が総毛立った。
まさか。
「おい!お前たち」
「後ろを向くな!武蔵!!」
振り向いて注意をしようとした武蔵に、夜行が怒鳴りつける。
「え?」
もう一度振り向いて前を向いた武蔵の鼻先に、少女の濡れた瞳があった。
「ちっ!」
横から夜行の舌打ちが聞こえる。
武蔵は振り上げられた少女の右手の指先が、綺麗な赤い色だなあとのんびり思っていた。
どん!と自分の胸に何かがぶつかる感触。
目線を下に向けると、首を掻き切られた夜行が、自分の腕の中に居た。
「う、あ、夜行…」
「…狼狽えるな、来るぞ!!」
夜行が自分の首に呪符を貼りながら、武蔵の前で構える。
ハッとして武蔵も己の獲物である太刀を構えた。
少女はニヤリと口が裂けたような笑みを浮かべる。
真っ赤な舌で、ベロリと己れの唇を舐めてまた笑う。
「あはは。やっぱりすごいね、夜行。」
後ろの僧兵たちも、次々と臨戦態勢に入る。
敵地に乗り込んでいた事を、武蔵は改めて思い出し身震いした。
少女の足元から、大量の黒い靄が現れる。
それは瞬時に少女を包み込み、その姿を隠した。
それが惨劇の合図だった。
真っ黒な空間で、何も見えないまま男たちが次々と叫び声を上げて、倒れていく。
仲間の影は見えるものの、辿り着くことが出来ない。
武蔵は刀を振り回すことを躊躇う。
もしも仲間を自分が切ってしまったら。
そう思うと構えたまま動く事すら出来なかった。
また側で、人が倒れる音がする。
「みんな!何処にいるんだ!?無事なら声を出してくれよう!」
しかし。
返事の代わりに飛んで来たのは、黒い靄の刃。
危うく避けて刀を合わせるが、太刀は甲高い金属音を発してそれを止めることしか出来ない。じりじりと金属が擦れる音がして、靄の刀が喉を狙って近づいて来る。
「…何だよこれ、勝てんのかよう…」
武蔵が泣きごとを言ったその時。
横から誰かが懐に飛び込んできた。
「夜行!?」
「…俺達は、先に進むぞ。」
夜行はそう言って、素早く靄の刀に呪符を張り付ける。
武蔵の目の前で、刀だった靄は霧散した。
「でもよう!」
「うるさい!!何のために来たんだ!!」
夜行は武蔵を怒鳴りつけて、その胸ぐらを引っ張る。
その一瞬で武蔵の身体は靄の外へ出ていた。
「…へ?」
「行くぞ。この上だ。」
夜行が階段を駆け上がる。
武蔵は己の後ろにある、蠢いている靄の空間を振り向いた。
仲間の僧兵たちは、まだこの中で戦っている。
階段の途中で、夜行が振り向く。
「武蔵っ!!」
夜行の怒鳴り声に慌てて階段を駆け上る。
「すまねえっっ!!!」
仲間に掛けられる声は、ただそれしかなかった。
遠くから、武蔵の叫び声が聞こえた。
けれどその声にも、足元に転がる仲間にも構っている余裕はなかった。
男は泣きながら叫んで、自分の指を動かし陣を練る。
しかしそれが完成する前に、地面から出て来た刃にも似た靄に腹を貫かれた。
血を吐きながら男が見たのは、先に進む二人の姿だった。
「くそっ…」
「…気を散らすな武蔵。向こうの思うつぼだ。」
走る夜行を見ながら、武蔵はその心の強さに恐怖さえ感じる。
たとえ仲間ではなくても。
人が消えていくのを目の当たりにしながら、夜行は微塵も冷静さを失っていない。
壊れかけた階段の隙間からも、靄が自分を目掛けて突き刺さってくる。
武蔵は幾つかを避けた後に、足を止めてしまった。
次の足運びが分からない。
何処から靄が狙ってくるか判らない。混乱と恐怖で足が動かない。
超常現象には慣れているはずなのに、この事態には耐えられなかった。
止まった武蔵を振り返って、夜行も足を止める。
二人が止まると不思議な事に、靄も足元から出ては来なかった。
「…どうした、武蔵。」
荒く息を継ぎながら、夜行が問いかける。
自身も荒い息を吐きながら武蔵は首を横に振った。
「階段が長い気がする。もう、三十分以上走っている気がする。」
「…そうだろうな、これはトラップだから。」
夜行が平然と言うのを、武蔵は少し苛立って見上げる。
「トラップって、何だよう?」
「…正しい手順で登らなければ、いつまでたっても上には着かないのだろう。」
「じゃあ、俺達は今まで、同じところを走っていたのか?」
「そうだ。」
その冷静な話し方が気に入らない。
カチンときた武蔵は夜行に食って掛かる。
夜行には恐怖心も混乱する心もないのか。自分のように。
「じゃあ、どうすればいいんだよう!?ずっと同じところを走っていたって仕方ないだろう!?」
「そうでもない。」
「へ?」
「今の時間で、大体のパターンは分かった。俺と同じところを踏め。…ついて来い。」
ポカンとする武蔵を、もう一度夜行が睨む。
「…ついて来い。」
「あ、う、分かったよう。」
走り出した夜行を、武蔵が追いかけた。
先程よりゆっくりと走る夜行の足元を見て、場所を違わないように駆けあがる。
靄は一つも出て来ない。
一心不乱に駆け上がっていた自分と違って、夜行はこれを罠と見抜き、その攻略を練りながら走っていたのか。
階段を先に上っている夜行を、武蔵はあらためてしみじみと見つめる。
この術者は、他の術者とは格が違い過ぎる。
「武蔵!」
夜行が振り向いて怒鳴った。
「!!」
つい、自分の考えに没入してしまい、夜行の足元を見ることを忘れていた。
武蔵が気付いた時には靄がもう、腹を抉る寸前だった。
黒い切っ先が腹に刺さる。
風を切って夜行の呪符が飛んできた。黒い靄が四散する。
「…大丈夫か。」
夜行が呪符をぺたりと武蔵の腹の傷に張り付ける。
「ああ。すまない。」
「…疲れているのは分かるが、余りぼんやりするな。」
夜行が心配そうに武蔵の顔を見た。
その首にも呪符が貼られている。
さっき、武蔵自身のうかつな行動で付けてしまった傷だ。
武蔵は自分が恥ずかしくなった。
頼んだのは武蔵の方だ。
夜行は本来なら、この決死行には参加しなくてもいいはずだ。
無理を頼んだのは自分だ。
それなのに夜行の方が必死で戦っている。
「…ごめんな、夜行。気合い入れなおすわ。」
「そうしてくれると、助かる。」
そう言って夜行が笑った。
「最初から、やり直しみたいだしな。」
夜行が先の見えない階段を見上げて、軽く溜め息を吐く。
「お、おう。」
武蔵もその無限に続く階段を見上げて、引きつりながら答えた。
夜行の指示通りに足を運ぶと、その靄は全て回避できた。
この先に本体<左小指>がいる。
武蔵は置いて来た仲間が心配だった。
が、実際生きているか分からない仲間よりも、この先にいる<左小指>の殲滅が優先事項なのは分かっている。
分かってはいるのだが。
「…余計な事は考えるな。」
「分かっている!」
夜行の冷静な声に、武蔵も気を引き締め治す。
目指す場所はこの建物の一番大きな部屋。
最上階にある元イベント会場だ。
廃棄されてから年数がたっている建物は、所どころ壊れていて走りにくい。
しかし夜行はそれをも分かっているのか、武蔵に足運びを指示する。
言われるままに走っていれば、相手に着く。
それがこんなに体力の温存につながるとは、体験してみなければ分からないと武蔵は思った。
やっと最上階に辿り着いた。
靄の攻撃はなくとも、長い階段を全力で二時間以上駆け上がっている。
二人とも、息が上がっていた。
それでもきっと、夜行がいなければこんなに簡単には昇って来れなかったのだろうと武蔵は思う。
駆けあがっている最中でも、武蔵にはさっぱり階段のパズルの謎が解けなかったからだ。何十時間も駆け上がって無駄な時間と体力を使って、いつかは靄に貫かれて終わっただろう。
イベント会場と思われる場所に、扉はない。
大きな四角い入り口が、切り取られたように見える。
奥の空間が黒い靄で埋め尽くされていた。
ゆっくりと二人は入り口の近くまで足を運ぶ。
夜行も武蔵も、荒い息は収まらなかったが、それを気にする素振りはない。
「…行くぞ。」
夜行が両手に、ばらりと呪符を構える。
「おう。」
武蔵は愛用の太刀、国行を構える。
二人はほぼ同時に中に駆け込んでいた。
イベント会場に入った二人の目の前で、黒い靄が中央に集まり人型を作り上げた。
その靄は部屋全体の壁も覆っている。
二人が踏み込んだ途端に、床と言わず壁と言わず八方から靄の槍が突き刺さる。
それを器用に避けて本体の近くまで武蔵が走り込む。
「よおこそ、いらっしゃ~い。」
真っ赤なリボンをしている、黒髪おかっぱの少女。
先に見た時よりもセーラー服が少し汚れているが、今度は武蔵も少女の微笑みにごまかされることはなかった。
これが<十指>。
こいつが俺の仲間を皆殺しにした、張本人!
武蔵は怒りと勢いのままに刀を横に払った。
しかし、その瞬間だけ靄に戻り、刀が過ぎた瞬間には実態に戻る。
武蔵が切り付けるたびに、それを繰り返された。
「あはは!どうしたの、おじさん?全然当たらないけど?」
「くそっ!!」
唸りながら刀を振るう。
しかし武蔵の刀が当たる瞬間に少女は靄に戻り、刀を返す瞬間に実体化し、右に左にピョンピョンと跳ねて逃げる。
そこを目掛けて刀を払っても、同じことの繰り返しだった。
「夜行!こいつはどうにかならないか!」
「あれ~?助けを求めちゃうう?きゃははっ。」
武蔵は後ろに居るはずの夜行に声を掛ける。
しかし夜行の返事はなかった。
相手に対峙しながら武蔵は夜行を探すが、視界には見当たらない。
そう言えば、自分が太刀を奮っている間、呪文の一つ飛んできてもいない。
まさか。
この場に来ていながら、逃げたんじゃないだろうな。
「や~ん。おじさん、見捨てられたの?かわいそ~。」
武蔵は考えないようにして相手に切りかかり続ける。
今更、夜行がいないなど恐ろしくて考えたくなかった。
一向に一太刀も通らない相手に、武蔵の息が再び上がってくる。
「くそう!俺じゃ駄目なのかっ!?」
「無理むり~☆」
少女がはしゃぎながら、武蔵にべえーっと赤い舌を出した。
ああ!くそう!!
武蔵がもう一太刀を振り上げた時。
「飛べ!武蔵!!」
辺りに夜行の声が響いた。
…飛べっ、て?
思いつくのは飛び上がる事だけだった武蔵は、全力で上に飛び上がる。
その武蔵の腹を目掛けて飛び込んできた夜行は、武蔵をタックルのように抱えこむとそのまま、二人で天井近くの空中に浮んだ。
夜行は右手に絡めた細い糸で二人の身体を支えていた。
天上に刺さっている苦無の様なものにその糸は繋がっていて、夜行はそれを掴んでいる。白い糸がギチリと音を立てるが、今のところ切れそうな気配はない。
夜行に抱えられてぶら下がったまま、武蔵は下の少女を見降ろした。
下では壁や床にあった靄が、真ん中のセーラー服の少女に集まっている。
自分の身体のはずなのに、少女は苦しそうに呻いていた。
「いや、何で勝手に、ア…アア…ッ」
甲高い声で少女が呻き始めた。
立っていられなくなった少女が、床に座り込んだ後もがき苦しんでいる。
「何をした、夜行?」
「…あれに強制的に集めているだけだ、呪文混じりでな。…俺が手を離したらあれを切れ。今なら切れるはずだ。」
夜行にそう言われ、頷いてから武蔵は精神集中を始める。
今度こそ切る。
「…行け。」
夜行が抱えていた手を離した。
武蔵は重力で下に落ちるよりも早く、自分で全体重をかけた。
「うおおっ!!!」
全力で刀を振りかぶる。
武蔵の太刀が少女の肩口から胸半ばまで切り込んだ。
ずっしりと重い手ごたえが刀にかかる。
武蔵の全体重をかけたにもかかわらず、刀は下まで落ちない。
「イダイ、ダスケ、テ…」
ひよひよと、切れた身体の先にくっついている少女の頭が、変形をしながら助けを求める。切り裂いているのに、身体の中は真っ黒で、人間らしい肉の色はおろか、血さえ流れない。
これは人ではない。
武蔵は視覚で再確認する。
切り抜けなければ。
いま、切り抜けなければ!
「う、ああああああっっ!!!」
武蔵は大声で叫びながら、全魂を込めて刀を押し込んだ。
少女の形をした靄は武蔵の力に耐えきれず、刀はついに床にがちんと抜けた。
その途端に数多の札が飛んできて、切り裂かれたものを繭のように包み込む。
「しかる世に降る、数多数多の神々よ、降りさけみて世に習わしか!縛封!!」
夜行が呪を言い切る。
蠢いていた塊りはその動きを激しくする。
呪符が破れそうに中側から押し返されて、何度も床を跳ねている。
夜行は苦しそうに歯を食いしばっているが、片手の印をもう一方の手で押さえて、手の印は解かない。
イベント会場の床を激しく踊るように動き回っていた塊りは、やがて動きを止めた。
「降るや降る、天多の御笠の降る節や、宥めたもう仕切りたもう……包封。」
息を乱した夜行がさらに呪を施す。
夜行の服の裾から、数えきれないほどの呪符が飛び、ピンポン玉ほどの大きさだった塊りに呪符が重なって張り付き、野球ボールほどの大きさになった。
そして、塊りは完全に沈黙した。
夜行の術をじっと見ていた武蔵が、殺していた息をほっと吐きだした。
それから夜行の顔を見る。
「…やったのか?」
武蔵は恐る恐る夜行に尋ねた。
夜行は肩を竦める。
「…封じただけだ。滅してはいない。」
「<指>を封じたあ!?」
武蔵が驚いて大声で叫ぶ。
「…うるさい。」
夜行はそう言ってそれを拾うと、無造作にポケットに入れた。
武蔵は信じられない思いで夜行を見つめる。
自分たちは疲れてはいるものの、ほぼ無傷と言っていい。呪符で押さえていられる傷は数には入らない。
身体の欠損もない。力も奪われていない。
何日も死闘を繰り返した訳ではない。
なのに。
誰一人成し得なかった<十指>の封印を、この夜行は成し遂げてしまったのだ。
武蔵が動かないのを見て、夜行が怒った口調で言う。
「…帰るぞ。…お前の所で正式な封印がしたい。」
「お、おう。勿論だ。…て言うか良いのか?俺の所でよう。」
夜行は武蔵をあきれ顔で見た。
「…お前の所の依頼だ、お前の所が責任をもって管理するのが道理だろう。」
「お、おう。」
自分の手柄にはしないと。
夜行がそう言っているのを武蔵は理解し感心する。
その感心は一階に降りてから更に膨らんだ。
死んだと思っていた仲間達が、呻きながら全員生きていたのだ。
「お前ら!無事だったのかよ!?何で!?」」
僧兵達は痛そうな顔で笑った。
「武蔵、何では酷いだろう。」
「え、だってよ、俺はてっきり…」
全員が、半身を起こしたりよろよろと立ち上がりながら、すでに入り口の近くに立っている夜行を見ていた。
「…夜行さんが。」
「はあ?夜行があ?」
僧兵たちの言葉に、武蔵は素っ頓狂な声で答える。
夜行は自分と一緒に走っていたはずだ。
自分と一緒に、皆を見捨てて。
武蔵が見ると、その視線に気付いた夜行は外を見たまま、武蔵に告げる。
「…お前といてもここは見える。…見えれば術は掛けられるからな。」
武蔵は開いた口がふさがらなかった。
そんな高等な術は聞いた事がない。夜行とはいったい何者なんだ。
「…行くぞ。」
夜行が外に出る。
男達も互いを庇いながら、よろよろと外に出た。
外には夕闇が降りていた。
赤と紺とが混じり合う、美しい夕焼けの後の一瞬。
それを見上げて全員が言葉もなかった。
死を覚悟して、今日の日を迎えていたのだ。ここに居る僧兵の全員がもれなく遺書を書いて、家人に別れを告げていた。
それが誰一人として、身体の欠損もなく立って歩いて帰れる。
奇跡が起こっている。
命がけの戦いの幕締めに、相応しい景色だった。
「…全員無事帰還。ミッションコンプリート、だな。」
皆がぼうっと空を見上げているその場所から、少し離れた場所で。
夜行が小さく呟いたのを、武蔵は聞き逃がさなかった。
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