心の残滓・1
絹の様な肌触りが、余計に俺を掻き立てる。
白い肌が、安い綿のシーツの上でしっとりと汗ばんでいて。
「…ん…もう、や…。」
甘ったるい声でそう言っているのを、俺は構わずに。
「…やあ、だ、め…。」
少し涙が浮かんでいるが、それは本当に嫌では無くて。
その証拠に、俺の首の後ろに腕が回っている。
深く口づけると、その口は俺に答えるように動く。
ぬめる唇を離すと、彼女は下から俺を見上げて。
「…き、て…いいです、よ…。」
俺を見てそんな事を言うから、俺はたまらずに。
「おお!?」
自宅のベッドでガバッと起きた。
ああ。何をしているんだ俺は。
こんな夢が続いたら、どうにかなっちまうだろ。
大きな溜め息をところかまわず吐いて、頭を掻きながら起きると、俺はお湯を沸かして煙草をくわえる。煙を吐きながら、また大溜め息だ。
前回。
那岐の身体を見てしまってから、もう三日もこんな夢が続いている。
いや、俺も健全な男ですから。
女性のあんな姿を見てしまったら、そりゃあ、こうもなりますよ。
ましてや俺は年齢=彼女いない歴と、書いてしまうとかなり寂しい経歴な訳だし。…魔法使いですからね、生まれてからこの方。ベテランソーサラーと呼んでくれてもいいよ?本当に呼ばれると嫌だけど。
次に那岐に会うのが少し怖いなと思っている。
俺がどうなるか分からないだろ?
こんな事を友人に思っているなんて。
…那岐は俺の事をどう思っているんだろう。
そんな事が頭に引っかかる。
仕事中も考えてしまうくらいに、俺の頭の中はそれで埋められていて。
ああ。
それでも会いたいなんて、どうかしている。
あの後、那岐からの連絡はない。
コメントもメールもない。
俺の方もすぐに何かを言うほどの事件もないし、用事がある訳でもないし。女性にそんなにメールを送っていいものかどうか分からないしなあ。
おかげでこの五日、全く連絡を取っていない。
焦れているのは俺の方で、那岐は普通にしているのだろうけど。
想像がつくだけに俺は自分が情けなくなってくる。
どうしちゃったんだろう、俺。
そんなに何かに飢えている気はなかったんだぞ?
普通に出来ないのかよ。
普通に。
…会いに行こうか。
確か暫くは京都にいると言っていたし。
勿論、超可愛いミサちゃんに会えるのも楽しみだが。
那岐は本人が言うほど普通じゃなくて。
風呂場で見た那岐は、俺的には可愛かった。…すごく。
何時もはそう見えないのに、なぜかあの時は可愛く見えた。
ああ。
またそっちの妄想にいっちまう。止めろ俺。
ミサちゃんの家はさすがに覚えている。
というか。忘れるのが嫌だったから、ご飯の時に住所を聞いておいた。
地図で確かめると、五条駅を降りてからバスで少しの所だ。
行ってみようか。
明日は仕事、休みだし。
いきなり行って誰もいなかったら、その時那岐にメールを打てばいい。
すぐには返事がなくても、多分返事は来るだろう。
それから会えば良い。
俺は勝手に計画を立てて、浮かれて仕事に向かう。
もしも最悪、誰にも会えなくても。それは仕方ないと、思うぐらいには冷静さはあったが。本気でそう思っているかは、疑わしい。
俺が行けば那岐は断らない。
変な自信があって。
自分でも思い上がりだと思うのだが。
そう思いたい俺がどこかにいて。
この時はそれが本当だと、思い込んでいたんだ。
那岐のしている危険な事を。
那岐のいる世界の冷酷さをすっかり忘れて。
次の日。
朝早くに京都駅に着いた。
今日は約束をしているわけでは無いので、急ぐ必要もない。
何処かで煙草を吸おうかなと、喫煙ルームのある店を探してブラブラと歩いてみた。
駅前の通りを歩いていると、ごく当たり前にマックがあった。
マックかあ。
此処には喫煙ルームありますかねえ。
そう思って、ガラス越しに店の中を何気に見てみると。
心臓がバクンと鳴った。
奥の席で那岐が誰かに肩を抱かれて座っている。
隣はどう見ても男で。
俺は気付かれない様に店内に入る。
幸いにレジカウンターはそこから見えないようだから、手早く注文してトレイを持って、那岐に見えない様になるべく近くの席に座った。
置いてある偽の観葉植物の影から覗くと、相手の男は丸坊主の体格の良い男だった。カーキ色のブルゾンを着て足を開いて座っている。
那岐の肩に右腕を乗せたまま、那岐と話していた。
この距離なら話が聞こえる。
「それが凄いスペックなんだよ。」
男はガラガラ声で那岐に言っていた。
「へえ。」
那岐はそう言ってコーヒーを飲んでいる。
別段嫌そうではない。それが余計気になった。
「あんな最新型なんて、俺も想像がつかなくってさあ。」
「…次世代機って事?」
どうやら何かの機械の話をしているようだ。
友人だろうか。
でもミサちゃんは、那岐には親しい友人はいないと言っていた気がしたんだが。
「とても、手におえなさそうなんだよなあ。」
「じゃあ、やめれば?」
「それはないだろう?あんな高スペックな物をほっとく奴が何処にいるんだよ?」
「…余り高望みも過ぎると、困るのは武蔵だろう?」
那岐が男の名前を呼んだ。
「そうだけどよう、あれに挑むのもまた男ってもんだろう、夜行?」
ギクッとした。
「夜行」と男は呼んだ。
という事は、そっちの世界の関係者だ。
俺は二人の話を慎重に聞く。
「…手に余るスペックは、挑まない方が良いけど。」
那岐はそう言って、ナゲットを食べる。
男、武蔵はそんな那岐を間近で見下ろす。
「なあ、夜行。それの攻略を手伝ってくんねえ?」
那岐はそれに答えずに、コーヒーを飲む。
暫く武蔵も話をしない。多分、那岐の返事待ちなんだろう。
俺も音を立てないように、ハンバーガーを食べる。
…味が判らないな。
「…面倒くさい。」
那岐はそう言って、武蔵を見る。
武蔵は那岐の返事を聞いて、酷く困ったように眉を下げた。
「頼むよ夜行。もう三人も降参しちまってさあ。」
「…三人も?」
那岐が聞き返すと、武蔵は真面目に頷いた。
「スペックが高すぎるんだ。…俺達じゃ手におえない。」
「…何でそんなものに手を出したんだ。」
溜め息混じりに那岐が聞く。
「仕方ねえだろ?上司の命令だからよう。」
「…相変わらず、お前の上司は無理が好きだな。」
「な?俺だって止められりゃあ、そうするんだけどよう。…どうしても攻略しろってさあ。」
「…無理が効く相手なのか?」
武蔵は首を横に振った。
それから、ごく小さな声で囁いた。
俺の耳に入ったのが奇跡のような、か細い声で。
「…<十指>だ。」
那岐の手が止まった。
ひどく険しい顔で那岐は武蔵を見上げる。
「…何だって?」
「だ・か・ら。お前に頼みに来てるんじゃないか、夜行。」
那岐は口に手を当てて考えている。
男はその間に自分のハンバーガーを食べていた。
「…京都に来てるなんて聞いていない。」
「おう。俺も知らなかったさ。それでも居るんだから仕方ねえだろ?」
「…最新のウイルスでも、攻略は無理かもしれないぞ。」
「ハイスペックなのは分かり切ってるさ。それでもしなきゃならねえ。」
那岐はまだ考えている。
眉を寄せたまま、少し俯いて。
武蔵はそんな那岐を構う事なく、ポテトを食べていた。
「…俺でも、攻略できるかどうか。」
「お前が出来なかったら、大概の奴は出来ねえよ。」
武蔵の声に那岐が苦く笑う。
「それは、買いかぶり過ぎだ。」
武蔵はふっと笑った。
「…四神を自在に使える夜行が何を」
武蔵の口に那岐がパコンと手を被せる。
ニヤリと笑ってから武蔵が那岐の手を離した。
「悪い。」
武蔵が謝ると、ふうっと息を吐いてから那岐が見上げる。
「…本気なんだな?」
「おう。本気も本気だ。」
「…そうか。」
那岐がまた黙ったので、武蔵は右手の先にある那岐の髪をいじりだした。
「…引っ張るな。」
「良いだろう?そんなケチな事を言うなよ。」
那岐は溜め息を吐いてそのままにする。
武蔵は那岐の髪をいじりながら那岐を見ていた。
「…無理か、夜行。」
真面目な声で武蔵が聞くと、那岐は大溜め息を吐いた。
「…俺には考える時間もないのか?」
「だってよう、お前の「考える」は、待ってると日が暮れそうだからよう。」
「…そこまで待たせない。何か飲み物を頼んで来い。」
「おう。」
那岐が出した千円を持って武蔵は席を立つ。
那岐は溜め息をまたついて、何かを真剣に考えていた。
俺は隠れながら、ただならぬ雰囲気に神経をとがらせる。
どう聞いても、それは決死行に聞こえた。
那岐にそんな事はして欲しくなかった。ただでさえ那岐は怪我が多い。その上三人も。…降参て、そのまんまじゃないよな?止めたって言って聞く相手じゃないよな?
この間の解呪の時に、那岐が止めたと言っても相手は止める訳がなかっただろう。あのまま那岐が消されて終わりだ。つまり降参とは…そういう意味だ。
武蔵がでかいカップを持って座りなおす。一番大きいポテトも持っていた。
那岐はそれをチラッと見てから、また考えている。
座りなおしても那岐の肩に腕を乗せている。
イラッとする。
そこが定位置じゃないだろ?どかせ。
「…辞世の句でも考えるか。」
那岐がそう言うと武蔵はバッと那岐を見た。
「良いのか?夜行?」
「…ああ。ここまで聞いて断っても寝覚めが悪い。」
武蔵がギュッと那岐に抱き付く。
那岐は表情を変えないまま、武蔵の腕を軽く叩いた。
「…お前の無事は保証する。…それ以外は期待するな。」
「そんなんは良いんだ。攻略さえできれば。」
「…ばか。お前がいなくなったら困るのは上司だろう?」
「うう。すまねえ、夜行。俺が不甲斐ないからよう。」
その腕の中で那岐は溜め息を吐いた。
武蔵が那岐を離す。武蔵が本当に泣いているのを見て那岐は苦笑した。
「…それで。」
那岐が武蔵の手を握る。
武蔵は鼻をすすりながら那岐の手を取り、そっと左手の小指を掴んだ。
「…そうか。分かった。」
「すまねえ夜行。恩に着る。」
「…俺は高いけどな。」
那岐がそう言うと、武蔵は泣いた顔のまま笑った。
「俺はそっちは分かんねえんだ。交渉してくれよ。」
「…やれやれだな。俺にまけろって言うのか。」
もう冷たくなったであろうコーヒーを那岐が飲む。
武蔵はポテトを急いで食べると立ち上がった。
「…あとで連絡をする。」
「おう。…なるべく早めになあ。」
「…それまでは待たせないよ。」
那岐が苦笑で言うと、武蔵は二カッと笑ってからそこを離れた。
那岐も立ち上がりごみを捨てると、珈琲をおかわりしてから喫煙ルームに入って行った。
俺も立ってコーヒーを貰ってから、中に入る。
入った途端に、真正面から那岐が俺を見ていた。
「…聞いていましたね、NEEDさん。」
ひどく冷たい声でそう言われ、俺は声が出ない。
「…あなたを止める権利は俺にはありませんが、忠告はします。…決して今の固有名詞を口にしないでください。良いですね?」
<十指>。
俺が頷くと、那岐は煙草をくわえて火をつけた。
少し横にどいたので、俺はそこに恐る恐る近づく。
俺が隣に立つと那岐は溜め息をついた。
「…好奇心が過ぎるのは、感心しません。」
那岐は俺を見ずにそう言う。
俺は自分でもそう思えたので頷く。人の話を聞き耳を立ててほとんど聞いてしまった。
「…どうして来たんですか?」
その言葉に俺は戸惑う。
まさかあんな事を考えていたなんて、伝えられないし。
「お前に会いに。」
「…俺に?」
那岐は俺を見て不思議そうな顔をする。
その顔は何時もの那岐で俺はほっとした。今までの那岐は「夜行」で、俺の知っている相手ではあるが、俺が会いたい那岐ではなかったから。
那岐がふっと笑う。
「…ミサじゃないんですか?」
「え?いや、そんな事はないよ。そりゃあミサちゃんは可愛いけど。」
「まあ。大概の男はそうでしょうから、別に何も言いませんよ?」
那岐がくすくすと笑う。
俺は那岐を見ている。もう何日も会いたかった相手だ。
そうやって笑っていると俺も嬉しくなる。
夢じゃなく。
やっぱり本物の那岐が良い。
こうして毎日でも会っていたい。
…それは無理な話だろうが。
那岐は俺が見ているのを、また不思議そうに見返してくる。
それから、少し重そうに口を開く。
「…今日はお付き合いできません。一回ミサの家に帰りますから、一緒に行きますか?」
今日行くのか。決死行に。
俺が口を開くのを那岐は手をあげて止めた。
「…申し訳ないが、あの話はあなたには関係ない。口を出さないでください。」
「夜行」の顔で那岐が言った。
俺は止めようとした自分を見破られて口を噤む。
「今日中に帰って来るのか?」
俺の言葉に那岐は肩を竦める。
「…それは相手次第ですね。」
それならミサちゃんの家にいても仕方がない気がするが。
那岐は俺をじっと見てから言った。
「…できれば今日はミサの家に泊まってもらいたいんです。」
「え?どうして?」
たいした用事がある訳ではないが、帰ってはいけない理由が分からない。
「…今晩は出歩かない方が良い。」
那岐はそう言ってから、またコーヒーを飲む。
訳が分からなかったが、それが那岐の忠告だとは分かった。
「今すぐに帰るんじゃ駄目なのか?」
「…それでも良いですが…。」
那岐が言いよどむ。
何度か迷っていたように見えたが、不意に俺に近付いて那岐が俺の耳元に口を寄せる。
身体が密着して俺がドキッとしていると、那岐が囁いた。
「あなたの身の保証が出来ません。」
それは色っぽい話とは程遠い言葉だった。
「…え。」
俺から離れて那岐が俺をじっと見る。
「だから。今日はミサの所にいて欲しいんです。」
「お前が帰って来るまで?」
「…はい。そうです。」
那岐がそう言って、ゆっくりと頷いた。
「何で。」
つい、質問が口から出てしまう。
那岐はコーヒーを飲み干すと俺に言った。
「これ以上の話は此処では出来ません。ミサの家に行きましょう。」
そう言って俺を待っている素振りをする。
俺はコーヒーを急いで飲んで、那岐に頷いた。
京都駅から地下鉄で五条まで乗って、そこから歩いてミサちゃんの家に着く。
ミサちゃんは俺達を笑顔で出迎えてくれた。
「…いらっしゃいNEEDさん。夜行はむーちゃんと話は済んだん?」
むーちゃんて、武蔵ってやつのことですか?
「…その事でミサにも話がある。ミサの部屋でいいか?」
「え。ええよ?」
ミサちゃんは那岐の言葉に頷いて、俺と那岐を自分の部屋に連れて行く。
じょ、女子高生の私室って。俺が入っても良いんですか?
部屋は可愛らしい部屋で。
ピンクや薄い水色が多めの、少し甘い香りもする部屋で。
おじさんには入るのが躊躇われる部屋だけど。
那岐が入るしミサちゃんも待っているし。
仕方なく入ると、女中さんがお茶を持ってきた。
ミサちゃんてお嬢さんだよなあ。
この家も無駄に大きいもんなあ。
女中さんが出て行くと、那岐はお茶に手を着けずにミサちゃんに言った。
「…ミサ。陣を張れ。」
「え?…分かった。」
那岐の言葉に、ミサちゃんはすぐさま反応をする。
柏手を二回打ってから、物凄い早口で何かを言った。
あまりに早すぎて、俺には唸っているようにしか聞こえない。
もう一度柏手。
辺りがピンとした空気に包まれたのが分かった。
那岐は溜め息を吐いてから、緊張しているミサちゃんを見る。
「…俺は<十指>を相手にする。」
ミサちゃんが、ひゅっと息を飲んだ。
「い、いやや、夜行…。」
泣きそうな声でフラフラと那岐に近付く。
傍に来たミサちゃんを那岐がそっと撫でる。撫でられたミサちゃんは嫌々をするように首を振る。
「いやや、夜行…止めて…。」
そのまま、那岐の膝に顔をうずめてしまった。
ミサちゃんは本当に泣いていた。
「…夜行。そんなに強い相手なのか?」
俺はミサちゃんの反応に呆然としたまま、那岐に聞く。
想像よりも酷い事なのだろうと予測が出来るミサちゃんの行動に、俺自身ショックを受けていた。
あんな場所で話をするぐらいだから、言うほどではないかもしれないと高をくくっていたのだ。
「…生きて帰って来れるかは分かりません。」
俺をじっと見て那岐が言った。
「…そんな…。」
那岐は肩を竦める。
「…相手は人外ですからね。仕方ないでしょう。」
「え。人外って何だ?」
那岐が俺を見つめる。その眼は黒く、奥が分からない。
「…あなたは他言無用が出来ますか?」
俺は頷く。
「お前が良いと言うまで、誰にも言わない。」
「…そうですか…。」
那岐はお茶を手に取る。
それに口を付けてから話し始めた。
「この国には、人であることを止めてしまった人物がいます。そいつは俺達のように何かの力を持っていたのに、それに溺れてしまい、それと交わり、それを喰らい、それを己が身にした元人間です。」
ミサちゃんが顔を上げる。
傍のティッシュで鼻をかんだ。
それからクッションの上に座って、ベッドに座っている那岐を見上げる。
「そいつは、俺達のような力を持つ者を狙って標的にします。自分の力に取り込むために。…最終的な目的は知りません。まだ誰もその本体には会っていませんから。」
「え。本体に会っていないのに、居るのは分かるのか?」
「…はい。そいつの<指>は、出現するからです。…人の形を取って。」
俺はぼうっと聞いている。
それは何のおとぎ話だ?どんなダークファンタジーだ?
「何がしかの事件があり、力を持つ者がいて、それを相手取って戦って姿を何回か確認しています。負けると<指>になるんです。…<指>は全部で十本。そいつの本体は人では勝てないかもしれません。」
「…その指には勝てるんだろう?」
俺は唾を飲み込みながら那岐に聞く。
那岐は溜め息を吐く。
「あの姿で勝ちというなら、勝った者はいます。」
「あの、姿って?」
那岐が辛そうに眉をしかめる。
「…大概は肉体が欠損します。臓腑を半分ほど持っていかれた者もいます。生きて報告をした者はいますが、その後生き延びた者は三人しかいません。」
「…そのうちの一人は夜行や。」
ミサちゃんがぼそりと言った。
「お前?」
「…ええ。不本意ながら生き延びてます。…俺にはそういう事に長けている知り合いがいますので。…NEEDさんも一回会ってますよ。」
「え?…あ。」
あの美女か。
確かに一瞬で那岐の傷を治したけど。
「…あの女、気に食わん。」
ミサちゃんが呟く。
鼻声だから余計に迫力があって怖いです。
「…まあ、そんな訳ですから。俺に白羽の矢が立つのは仕方がないのですが。まあ、今回も無事とは保証が出来ませんけど。」
那岐が苦笑をすると、ミサちゃんが首を振った。
「行かなければいいの。それだけだよ?」
「…そうはいかない。武蔵と約束をした。…もう向こうは用意をしているだろう。」
「夜行。いやや。」
「…ミサ。お前に話したのは、そんな事を言って欲しいからじゃない。」
那岐がそう言うとミサちゃんはまた目に涙をためた。
…無茶を言う。
ミサちゃんはお前が好きなんだから。
好きな人がいなくなりに行くと分かって、止めない子はいないだろう。
俺だって止めたい。
お前を止めたいよ、那岐。
思いをぶちまけて、お前を止めたい。
だけどお前は。
…お前は行くんだろう?
誰が止めても。
見知らぬ誰かを助けるために。
それが力を持つ者の責任だと、お前は言った。
「夜行」ではなく「那岐」として。
それなら俺には止める術がない。
ああ。
でもどうすればいい。
この気持ちはどうすればいい?
「…あなたも、何か言いたそうですね。」
那岐が苦笑して俺に言う。
「…俺が言っても良いのか?」
「俺にあなたを止める権利はありません。」
ミサちゃんは止めるのにか?
俺にはそうしないのか?
それは。
どっちが特別なんだ?
「…お前の無事を祈る。…俺にはそれしか出来ない。」
俺が言うと。
那岐は少し悲しそうに笑った。
「…はい。…有難うございます。」
今すぐに抱きしめたい。
行くなと言いたい。
こんな世界なんて止めてしまえと、叫びたい。
だが。
お前は。
俺がそう言っても、やはり悲しそうに笑うだけだろう。
「…ミサ。お前にはここの陣を拡大して張って欲しい。出来るか。」
「……うん。やるよ。」
ミサちゃんは神妙な顔で肯いた。
那岐は立ち上がる。
ミサちゃんは見上げて動かない。
「…支度をしたら出る。…見送りはいらない。」
そう言ってから、部屋を出て行った。
「…ふう、え…。」
ミサちゃんが我慢できずに、また泣き出した。
俺はそこのソファに座ったまま。
どんな慰めの言葉も思いつかなかった。
泣き止んだミサちゃんは、鼻を赤くしたまま俺を見た。
「…なあ。NEEDさんって夜行を好きなん?」
どストレートに聞かれて、俺は少し飛び上がる。
その俺を見てミサちゃんは笑った。
「分かり易いんよNEEDさん。…夜行は鈍感やから気付かんやろうけど。」
「…い、いつ?」
気付いたんですか?
「来た時から。うち、知っていたんよ。」
「っそ、そうですか…。」
俺だって、気付いたのは最近なのに?
ミサちゃんは俺に手を出す。俺はその手を握った。
小さい手が小刻みに震えている。
「負けへんからね?」
「…こちらこそ。」
「BLには負けへん。」
あ。そうですね。
それを言いきられても俺は複雑な気持ちだ。
那岐は本当は女性だからなあ。
ミサちゃんが勢いよく立った。
それから。
バーンと部屋のドアを開ける。
「さあ!やったるわ!!」
ミサちゃんが大声で宣言する。
俺は何もできない自分を歯がゆく思った。
俺に出来る事は本当に、祈る事ぐらいだ。