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恋人気分のレエゾンデエトル  作者: 棒王 円
〈十指編・誰かの為に戦う君を〉
5/31

解呪の代償



那岐に会ったあの日から、俺の心境のどこかが変わった気がする。


確かに以前から、不思議な話や嘘っぽい中二病的な話を、サイトで読んでは一人でほくそ笑んでいる事はあったのだが。

今は、そういう話に出くわすたびに、それも現実にあるんじゃないかって思ったりして。


何せ。

見てしまったのだ。体験してしまったのだ。


ありとあらゆる中二病達が、羨望の眼差しを向けるであろう現象を。


現実の空気で体感をした。

目の前で不思議現象がはっきりと起こった。それも、何らかの能力者が俺の前で力を使って。


もちろん。

うがって考えるならば、大がかりな仕掛けで俺に思い込ませることも出来るだろうとは思う。

けれど一体、そんな事をして相手には何のメリットがあるというのか。


俺みたいな一般市民で何の地位も名誉もない、権力とだって程遠い奴を騙して、那岐や静若大社に何の見返りがあるのか。

手品のタネがあるのだと、ドッキリの看板を出すには余りにも。あそこにいた全員が真剣過ぎた。


だから俺は信じる事にした。


あれは現実で。


那岐には不思議な力が宿っている、と。


その力が何処から来てどういうもので何が出来るかとかは、全く分からない。

俺が見たのはきっと、ほんの触りで。

もっと凄い事が出来そうな気がする。


那岐は俺にそういう予感を持たせてくれる。



胸を揺さぶられるワクワク感。

それと同時に。

俺は那岐が羨ましくて仕方なかった。


あんな不思議なことが出来て。あんな風に人に慕われて。

まさしくウェブで横行しているラノベの主人公っぽいじゃないか。

思ったことは何でも出来そうだし、美女と美少女に囲まれて。

本人だって「夜行」の時はカッコ可愛い感じで、美少年風だし。


…いや。

女性なんだけどね。


「夜行」が女性って、あの二人は知っているのかな。

普段は「夜行」のままでいるって言っていたから、女性だって知らないかもしれない。



……いやいや。

そんな事はないでしょう。

いくら秘密って言ったって、あんなに近しい感じの人達に秘密な事を、初めて会った俺に教える訳もないだろう?


…ちょっとドキドキしてきたな。

小説を打って、気持ちを落ち着かせるとするか。








毎日の習慣になりつつある、サイトのコメントの確認。

パソコンを立ち上げる間に、お湯を沸かしながら煙草を一服。


まあ、毎日と言っても俺の仕事は不定期に夜勤になるので、時間がずれると日をまたぐ時もよくあるが。

今は17時過ぎ。程よい時間だ。


サイトを見ると、いくつかのコメント。

それを見ながら今日も入ってないなと、焦る気持ちが湧いてくる。


俺は那岐のコメントを待っていた。

2週間後と言われてから、もう1週間が過ぎている。

そろそろ日程を教えてくれないと、休みを合わせられない。


あれは、俺のコメントへの慰めだったのか?

那岐は一回会うだけで次は考えていなくて、困ったから仕方なく返したとか。

あるいは。

会った時に、期待通りの反応じゃなかったから嫌になって、適当にあしらったとか。



またイラッとする。

最近は気が短くなっている気がする。いけないな、気を付けないと。


煙草を吸いながら、小説を少し書き足す。

書いている間は、なるべく那岐の事は考えないようにしている。

文章に乱れがあっても嫌だから。


パソコンのキータップの音が部屋に響く。

BGMはかけていないから、その音だけが俺の部屋の音で。

ほんと、誰もいないから静かだよな、この家。


1ページ書いたあと更新をして、さて、もう1ページ書くか書かないか悩んでいると。

画面に赤い1の数字。

誰かのコメントが入ったようだ。


マイぺを見て、ドキッとした。


那岐だ。



<こんにちは。NEEDさん。


今回は、解呪というものです。

少し面倒くさいものなのですが、本当に来られるのでしょうか?

…俺としてはあまり勧められません。


今回は見送られるのが良いと思いますが。


…もし、どうしてもと言われるのでしたら、日程を送ります。

どうされますか?   那岐>









俺はパソコンの前で腕を組んで、少し唸った。


解呪。

呪いの類い、か。


那岐が俺の身を案じて、戸惑っている事は良く分かった。

素人である俺を、そんな危険な話に付き合わせたくないというのは普通の事だ。

断った方が良いだろうし、大人としてはそれが礼儀だろう。


でも。

俺は那岐の事が気にかかるんだ。




この間の開口の儀式は簡単な話だったはずなのに、あんな酷い怪我をした。

今回はそれよりも大変な内容のようだ。

ならばもっと、きつい事になるんじゃないか。

そんな風に思うと、那岐の事が心配で落ち着かない。


もちろん、俺が行って何かを出来る訳じゃない。

那岐のフィールドで俺は、はっきりと門外漢で何一つできないだろう。

それでも俺は那岐に会いたかった。

那岐の話を聞くぐらいならできるし。


いや。


正直に言えば、俺は那岐の話を聞きたかった。

日記に書いてあるような、意識して変えられた言葉じゃなく。

あの日の涙の様な本当の気持ちを、直に聞いてみたいと思っている。


自分の感情に対して、やれやれと思った。


俺はどうかしてるよな。

知り合ったばかりの年下の女性に、何を期待しているんだ?




<那岐くん。


日程を教えてくれるかな?

NEEDは待っていたんだよ?>


コメントを送る。

この間は返事に時間が掛かったが、今日は数分のうちに那岐から返事が来た。


…京都に行くと書いてある。日程も書いてあるから、俺は自分の仕事の日を確かめる。何とか予定が組めそうだ。


もう一度返信をすると、今度はそっけない返事が来た。


<了解しました。>


その一文だけ。



…那岐は俺に会いたくないのだろうか。

俺ばかりが盛り上がっていて、那岐は迷惑なのだろうか。

タバコをくわえて考える。

胸いっぱいに煙を吸って頭を冷やすと、自分の気持ちとは別の答えが見えてくる。


いや、違うだろう。

迷惑とかではない。


今回の話は大変だと思っている事は、さっきのコメントで分かっている。

つまりは俺を、何とかして来させないようにするためだろう。

だから、こんなに冷たいコメントなのだ、きっと。


俺が行ってもいいのか?

ただのお荷物にならないだろうか?

返事を送ってしまったのにもかかわらず、俺はそんな事を考えている。




次に那岐に会うまでの、6日間。

俺はそうやって自問自答しながら過ごしていた。








約束の当日。

待ち合わせの河原○駅に着く。


また時間よりはいくらか早いが、俺は待つ方が好きだ。

人を待たせるのは性に合わない。

東改札の近くでと言われたが、相変わらず人がたくさんいて、俺は那岐を見つけられる自信がない。


…京都って観光客が多くて面倒だよな。

前回の俺の地元も確かに沢山の人がいたけど、これよりは少なかった気がするぞ。


ふと俺の前方から静かなざわめきが聞こえてくる。顔をそちらに向けると、人並みの向こうから聞こえて来て、その声が確実に俺の方に近付いていた。

誰か芸能人でも歩いているのだろうか?

そんな事を考えている俺の視界に、一人の美少女が入って来て、騒めきは男たちの感嘆の溜め息だったかと納得がいった。


長い黒髪、大きな黒い瞳。

色白な小さな顔立ちの美少女は、桃色の唇に微笑を湛えている。

紺と白の清楚なワンピ-スの上に涼しそうな蒼灰色のカーディガンを着た美少女が、俺に向かって歩いて来ている。

靴は紺色の革靴で白い靴下も清楚この上ない。


そんな誰もが振り返る美少女が、俺の真ん前で立ち止まった。


「NEEDさん、お久しぶりです。」


ミサちゃんがにっこりと笑って俺に言った。

うわあ。美少女アタックが俺のハートを攻撃してくる!


「…何で、ミサちゃんが?」


攻撃にめげずに、なんとか頑張って答えた。

俺は那岐と待ち合わせをしていたのに。


不思議そうな顔をしていたのだろう、俺の顔を見てミサちゃんがコロコロと笑う。

可愛らしい声が響いて、周りの男たちが俺とミサちゃんを交互に見ていく。

それからしみじみと俺を見た後で、どの男も「けっ、リア充死ね」という顔をしていった。

…少しだけ勝った気がするのは何故だろう。


「夜行が煙草を吸っているから、うちが来たんです。」


おいおい。

俺との約束の時間よりも、煙草かよ。


「さあ、行きましょうNEEDさん。」


そう言ってミサちゃんが俺の手を握る。

柔らかい感触にビビりながらも、振りほどくなんて行為を選択する気はなかった。

ああ。こんな事をしていて良いのか俺は。これは犯罪にはならないのか?








手を引かれて外に出た俺は、何故か四条方面へ少し歩き、その先にあるケンタに連れて行かれた。

中に入り奥を見ると、喫煙ルームに人影がちらほら。

ミサちゃんがそこを目指すので、俺は心配しながらも黙って手を引かれてついてゆく。

この綺麗な黒髪に、煙草の匂いが付くのは嫌だなあ。


しかし、俺の心配などは無意味なようだ。

ミサちゃんはそこに入ると、煙草を吸っている人物の一人に声を掛けた。


「連れて来たえ、夜行。」


那岐が振り返る。

俺を見ると苦い顔をして頭を下げた。


「…すみません、NEEDさん。」


低い声。不機嫌そうな顔。

「那岐」は当たり前のように「夜行」としてそこに存在していた。


それにしても、機嫌悪すぎないか?

そんなに俺が来るのが嫌だったのか?


ミサちゃんに手を離されて那岐の傍に立つ。那岐は俺の顔を見ないで、煙草を吸っている。

那岐の頭を正面から見降ろしてみると、首になぜか絆創膏を貼っている事に気付く。


…あれ?なんだ、それ?


首の絆創膏って、大体がお約束のモノを隠すためですよね?

まさか、虫刺されじゃないですよね?


ふと、後ろのミサちゃんが、ちょいちょいと俺の袖を引っ張るので振り返ると。

片手を口に添えて、背伸びをして俺にそっと囁く。

…すごく良い匂いがするのは我慢しよう。うん。


「…夜行、モテますから。気にせんといて下さい。」



俺の目線に気付いたミサちゃんがそう言って笑う。まるで夜行がモテるのを自慢するように。

その感覚は俺には分からない。







俺は昨日までの那岐の日記を読んでいない事を急に思い出す。

コメントを見るだけで、日記は読んでいなかったな。


何時も那岐は何かの感情を叩きつけるように日記を書いている。

もしかしたら、その絆創膏の事も書いているかも知れない。

…何で俺がその事にこだわっているのかは、自分でも分からないが。


携帯を探るためにポケットに手を入れると、何を思ったのか那岐が立ち上がった。


「夜行、うちも鳥食べたい。NEEDさんも食べるやろ?」


那岐が何の為に立ちあがったのかを読んで、ミサちゃんがそう言った。

ミサちゃんに軽く頷いた後で、那岐が俺を見る。

その眼は少し伏せられていて。


「…適当に頼んできますけど、良いですか?」

「ああ。いいよ。」


俺が頷くと、俺達を見ていたミサちゃんが頷く。


「あ、そうやね。NEEDさんも煙草を吸われるんやったね。」


俺が頷き返すと、ミサちゃんはにっこり笑ってから那岐の後について喫煙ルームから出て行く。二人を見送ってから、俺は携帯を出して煙草をくわえる。

素早くサイトに接続して、那岐の日記を開いた。



読んでから、携帯を閉じる。

強く携帯を握ってしまってから、壊さないようにポケットに入れた。

煙草を持っている手が怒りで震えているのが分かって、俺は一人で苦笑する。


…なんで暴力を振るわれても、抵抗しないんだよ。那岐。

苦痛を感じているのは、その顔色を見れば一目で分かるのに。

お前は俺に何も言わない。








喫煙ルームのドアが開いて、傍に那岐が来る。

トレーの上に乗っているセットは俺の分だろう。

受け取りながら那岐の顔を見る。

俺の顔を見た那岐が、一瞬怯んだ顔をした。


「…読んだのですか…。」


その表情は「那岐」のものだ。


「…。」

「…コメントは言わないでくれると、助かります。」


少し俯きながら、小声でそう言う。

今日は黒い帽子をかぶっているから、顔が隠れて表情が見えにくいのに。

俯かれたら、全く分からないじゃないか。


俺が帽子を持ち上げると、那岐は驚いた顔をした。

その眼にはうっすらと涙が滲んでいて。


「…お前…。」


顔に触ろうとした手をすり抜けて、那岐が俺から離れて外へ出る。

ガラス越しに、ミサちゃんがいる席に座った姿が見えた。


俺は煙草を消してトレーを持ち上げる。

二人のいる席に座ると、鳥を齧りながらミサちゃんが聞いて来た。


「もう良いんですか?NEEDさん?」

「…せっかく来ているのに、離れてるの寂しいでしょ?」


おどけて言った俺を見て、ミサちゃんがコロコロと笑う。

那岐は黙ったまま、コーヒーを飲んでいる。

…今日はまだ少しも笑っていない。


そんなに傷ついているのに。

お前は何故、こんな事をしているんだ。

何でそんな男から頼まれた仕事をしているんだよ。






今日の那岐は、上から下まで黒ずくめで。

黒いダウンが少し大き目で、また中性的で良くわからない格好をしている。

いやどちらかといえば、男らしい格好だ。


俺は那岐の帽子を指さして、質問をする。


「そのマリオみたいな帽子って、なんて言うんだ?」

「マリオってなんやの?」


「…くっ。」


ミサちゃんの発言に、おれは任○堂の力不足を痛感する。

昔なら誰でも知っていたんだがなあ。

がっくりとうなだれた俺を見て、那岐が助け舟を出す。


「ゲームのキャラクターだよ。…有名だけど?」

「ほんま?…いやや、うち恥ずかしいわ。」


顔をほんのり桜色に染めて、ミサちゃんがそう言った。

美少女は何をしても花があるな。


そう思う俺の顔を見てから、那岐は溜め息を吐いた。

え。何ですか、那岐さん。


「これは、キャスケットというものです。」

「…へえ…。」


那岐が自分の帽子のつばを指で挟んで説明をする。

多分、帽子の種類の名前なんだろうな。

俺が感心して肯くと、ミサちゃんがクスクスと笑った。

…洋服の事なんて詳しくないんですよ。すみませんね。


那岐はそれだけ言うと、また珈琲を飲んだ。

その那岐を見て、ミサちゃんはニコニコしている。


「やっぱり、夜行には黒が似合うわあ。」

「…お前の趣味だろ。」


那岐がそう言うと、ミサちゃんが満面の笑みで頷く。

今日の服装はミサちゃんの趣味か。

確かに似合うが。

全身黒色の服装で身を固めた那岐は、威圧感がたっぷりで少し近寄りがたい。

俺は軽い気持ちで来ているが、那岐にとってこれは仕事で。

やはり気合を入れているのだろう。








鳥を食べ終わったミサちゃんは、那岐を見ている俺に向き直り、にこやかに言った。


「夜行は暫く京都におるから、NEEDさんもちょくちょく来たらいいんよ?」

「…ミサ。」


那岐が何かを咎める様な声で、ミサちゃんの名前を呼ぶ。


「いいやないの。お友達やろ?」


その視線にまけずに、ミサちゃんはニコニコ顔を崩さないまま話し続ける。

那岐が俺をチラッと見た。

けれど、その後の言葉がない。

ミサちゃんは那岐が答えないからか、俺に答えを聞いてくる。


「……違うんやろうか?」



何故かその声は、凄味があって。

ミサちゃんは笑っているが、その微笑みは少し怖い感じだ。

お、俺が何かしましたか?

友人じゃなければ、いけないんですよね?その答えは。

眉根を寄せたまま那岐が口を開こうとしたのを、俺は自分の言葉で遮った。


「そうだな。友達だから来ちゃおうかな。」


那岐が口をぎゅっと結んで俺を見る。

お前絶対否定する気だったろう、那岐。

さすがに、そんな事はさせないからな?

俺の心情的にも、この状況的にもあり得ないだろう?








那岐が小さく溜め息を吐いた。

俺の台詞に対する否定の言葉はない。


「そうなん。それなら後でうちの家に案内するわ。」


ミサちゃんがそう言って俺は少し驚く。

今の話に何か関係がありますか?ミサちゃんの家って?

俺の顔を見て美少女はにっこりとする。


「夜行はうちの家にいるんよ。だから、案内するから泊まってって?」

「え?俺も泊まるの?」


「NEEDさん、一日で帰るん?」


ミサちゃんがニコニコと笑いながらそう言ってくる。

ええと、どうしようかな。

仕事休んでもいいけど。


なかなか答えない俺を見て、ミサちゃんが首を傾げる。

うわ。可愛いにも程がありますよ、お嬢さん!?


黙っている俺達に呆れたように、那岐が口を開いた。


「…NEEDさんは仕事があるから、泊まりは無理だろう。」

「ええ?そうなん?残念やわあ。」


本気でミサちゃんががっかりしていて、俺は何だか悪い気持ちになるが。

那岐が俺を見てから眉を顰め、確認のように聞いて来た。


「…それとも、泊まりたいですか?ミサの家に。」


俺が。

何で?


「うちは夜行のものやから、NEEDさんには落ちないよ?」


ミサちゃんの方が先に那岐の言葉を理解して、そう笑った。

俺は言葉に詰まる。








「ただ。…お兄ちゃんになら、なっても良いよ?」


そう言ったミサちゃんが再度首を傾げて、微笑んだ。

うわ。その笑顔でお兄ちゃんて、物凄い攻撃力なんですが!?


那岐がくすっと笑った声がした。

俺に見えたのは、俯いている那岐の口元だけで。

その笑った音に反して、表情は笑ってはいなかった。


「いやや。夜行笑わんといて。うちかてお兄ちゃん欲しい時もあります。」


ミサちゃんが頬をプクンと膨らませてそう言うと、那岐はククッと声を押し殺したように笑った。

確かに今度は笑っていたけど。

ひどくシニカルで。


「…そんなにミサが気に入ったなら、来てもらえばいいだろう。ミサが頼めば嫌って言わないと思うよ。」

「本当?なら来てくれます?NEEDさん?」


ミサちゃんはそう言って手を伸ばしてきて、俺の手を握った。

うおう!?

俺は真正面から美少女アタックを掛けられて、しどろもどろだ。

そんな俺達を残して那岐は席を立つ。

どうやら煙草を吸いに行ったようだ。


「来て下さいます?」

「お、おお。俺で良ければ行くよ。」


ミサちゃんがお願い攻撃の追加をする。

そんなことをされて、俺が無事でいられるわけがない。

精神ポイントを削られながら、何とか答えたけど。

随分と声が上ずって、大人としては恥ずかしい。


ミサちゃんは嬉しそうに笑ってから俺の手を離し、喫煙ルームの那岐をそっと見る。

俺はそんなミサちゃんに疑問を聞いてみる事にした。







「…夜行っていつもああなの?」

「そうですなあ。もっと優しい時もありますけど…。」


ミサちゃんは俺を見てから目線を落とし、手元の氷の解けたジュースを飲んだ。

小さくなった氷を紙コップの中でカラカラと回す。


「…夜行はいつも一人で立ってるから、かまいたくなるんです、うち。」


少し伏目でミサちゃんが言う。

言っているミサちゃんは、とても寂しそうだ。

俺が心配をしているのが分かったのか、顔を上げてミサちゃんは笑った。


「だから。夜行が連れて来たNEEDさんの事は凄く気になる。夜行に普通の友達なんていないんよ。」


俺は自分のコーヒーを飲む。

それは那岐の日記で分かっている。あいつに普通の男の友人はいない。


…あれ。

男の友人が、普通の友人?

那岐は女性だから、それは少し変じゃないか?

いくら男女平等とはいえ、異性の友人ってもっとこう、違う感じだよねえ?


チラッとミサちゃんを見ると。

至極真面目な顔でこっちを見ている。


ええと。

…まさか。


「…ミサちゃんさあ。」

「はい?」


「夜行って、男らしいって思ってる?」

「…誰よりも。どんな方よりも勇気ある男の人と思っています。」


うわあい。


那岐っ。お前は何をしているんだ!?

こんな美少女を騙しちゃいけないだろう!?


俺が頭痛を覚えていると、煙草を吸い終わった那岐がテーブルの横に立った。


「…そろそろ行こうか。」


声を掛けてきた那岐に、ミサちゃんが甘い声で呼びかける。


「夜行。」

「うん?」

「…大好き。」


那岐は苦笑をすると、ミサちゃんの髪を撫でてから俺を見る。


「…いったい何を話していたんですか?」

「お前が男らしいって話だよ。」


俺は嫌味で言ったのに。


「それはどうも。光栄ですよ。」


那岐は肩を竦めた。


おい。








ミサちゃんも立ち上がったので、俺も二人についていく。

ケンタを出て、真っ直ぐ北に河原○通を歩いて左に曲がる。

寺社仏閣がある通りを歩くがその中のどれにも寄らず、寺社の間に立つ小さな家の前で那岐が立ち止まる。

街並みにふさわしい少し古びた門構えの家で、この町の中にはよくあるような建物だ。


那岐がインターホンを鳴らすと、慌てたような返事が聞こえた後、家人が転がり出るように姿を現した。

息を切らせんばかりの勢いに、那岐が少し笑う。


「…夜行と言います。こちらが○○さんのお宅で良いでしょうか?」

「はい。お待ちしておりました、夜行さん。」


最初から泣き出しそうな顔の女性は、那岐に抱き付かんばかりの勢いで前のめりに答える。

那岐は軽く頷いてから、女性が落ち着いて俺達が中に入れるように退いてくれるのを待った。

玄関の扉に手を掛けて立ちふさがるようにしていた女性は、那岐が待っているのに気付き、慌てて身体をずらす。

軽く頭を下げてから、那岐はそこで靴を脱いで上がった。

ミサちゃんもそうするので、俺も真似してついて行くことにする。





女性が先に立ち、奥の部屋へ俺たちを案内する。

その部屋から叫び声が聞こえて俺はビクッと体を竦めた。

隣にいるミサちゃんが、大丈夫だと言う様に俺の腕を撫でる。


…こんな年下になだめられる俺って。

自分の意気地のなさがちょっと恨めしい。


廊下と仕切られている襖を開けると、部屋の中はぐちゃぐちゃの状態だった。


薄暗い部屋の中には、廊下からの光だけが射していた。

天井から下がっている電球が壊れている。

悪い視界の中で確認出来たのは、家具は斜めに倒れ、本が散乱して床に転がっている事。

それから部屋の中央に、くちゃくちゃの布団が敷かれていて。


その上に、少女が座っていた。









髪は乱れ、口の端からは涎が垂れている。

呼吸は荒く、先ほど叫んだのはこの少女だったことが窺いしれた。

手はふわふわと左右に動いていて夢遊病者のようだが、ぎらぎらとした両目の光が、少女のはっきりとした意思を表しているようだった。


剥かれた眼が、部屋の中に進み出た那岐を捉える。

少女が大きく口を開けて、涎を飛ばしながら叫んだ。


その金切り声に、案内をしてくれた女性が、ううっと喉を詰まらせる。

この年齢差からすると、この人の娘さんなのだろうか。

自分の娘が、こんな状態なのは耐えるにも大変だったろう。


那岐はゆっくりと近づき、少女の傍に屈んだ。

あんなに近くで叫ばれているのに、那岐は平然と少女を見ている。

俺達は部屋の中には入らずに、襖の影から中を覗いていた。


「…よく頑張ったな。もう大丈夫だ。」


那岐は何故か、少女にそう言って微笑んだ。

少女は叫び続けているが、那岐はそれに少しも怯む事もなく、黒い上着のポケットから何かの紙束を出すと、それを握った手をバッとふるった。

紙束は四方に散り、布団を取り囲むように畳の上に落ちる。


「…う、う……。」


那岐の行動に、少女が唸りながらあたりを見まわす。

視線が外れた隙に那岐はさらに少女に近寄り、その体に触れた。


驚いた少女が嫌がって叫ぶ。それでも那岐が手を離さないと知ると、髪を振り乱しながら少女は那岐の首に噛みついた。

軽く肩に掛けていた那岐の手がびくりと震える。

隣のミサちゃんが我慢をするように、ヒュッと息を吸いこんだ。


俺も出かかった足を、無理矢理に止める。

身体は那岐を助けようと動きたがるが、何の助けにもならない事を心では分かっている。

矛盾した感情と衝動のせいで、身体はじっと我慢をしてくれた。


那岐の血が俺達の眼から見ても分かるくらい、大量に首筋を伝う。

それでも那岐は少女の背中を撫でて声を掛ける。


「…少し苦しいが、辛抱しろよ?」

「…う、う…?」


呻きもしない那岐に、少女は噛みついたまま少し不思議そうに唸った。

それから。

那岐は呪文を唱え出した。







「此処におわしますは、神代の代の一代目。国の常立つ大地の守護者。人心足りうるもの全ての支えたる神。」

「うお、ううううおおおお!」


少女が唸り声でそれを防ごうと、那岐の首をさらに噛む。

それでも那岐の手は少女の背中を撫でている。


「天津始まりにして、人心の惑いを断ち切り、悪しき惑いも断ち切られん。」


布団の周りにばらまかれた紙が、少しずつ光り出す。


「その恩恵を被りたる我ら、その恩知恵に預かりし者として、その御名を讃えん。」


那岐が呪文を言いきったのか、言葉をとぎらせる。

その瞬間に、布団の周りの紙から勢いよく光の柱が立った。

それは支柱のように太く光り輝き、天井を貫いて行く。

その光を見上げて、何故か那岐は眉をひそめた。


光が走った事により、少女は那岐の首から口を離し天に向けて叫んでいる。

部屋の中に光が満ちて眩しいぐらいで、光が放つ甲高い振動音までが聞こえているのに、それに負けないほどの大声で、少女は喉が枯れるのではと思われるほどに叫び続けていた。


ミサちゃんの隣では女性が余りの光景に座り込んでしまっている。

俺は瞬きが惜しいほど目を見開いて、その光景を見ていた。


意味のない叫びを続ける少女を、那岐が両手で掻き抱く。

ギュッと抱き締めた姿勢のまま、那岐の口が開いた。


「…悪鬼退散…。」


囁くように那岐が呟いた言葉は、けれどはっきりと俺の耳に届いた。







少女が絶叫して、その体から黒い靄のようなものが上へ出て行く。

黒い靄の様なものを包み込むようにして、光の柱も天井に吸い込まれていった。

多分、屋根も越えて、天に上ったのだろう。

そう想像するに足りうるほどの、激しい勢いある光の渦だった。


靄が出切った後に、少女がぐったりと那岐に凭れかかる。那岐が溜め息を吐いた後に、少女の髪を撫ながら少し微笑んで呟いた。


「…お休み…。」


そう言って意識のなくなった少女を横たえると立ち上がり、天井を見上げる。

光も靄も消えた天井をじっと見てから、俺達が立っている方へ視線を投げてよこした。

立っている俺達には目もくれず、那岐の視線は部屋と相向かいにある窓の外を見ている。


その先にはこの家の庭があるだけだが。

那岐はそこを見て、少し首を傾げた。


「…違うな。」


那岐はその庭をじっと見るために、俺達の横に立つ。

ミサちゃんがまだ黙って那岐を見ているために、俺も那岐に声を掛けられないでいた。

これで終わりか?

でもこれは、解呪ではないような気がする。


那岐は口元に手を当てて考えていたが、フイッと右側の方へ歩いて行った。

入って来た玄関とは反対の方向。この家の更に奥で、案内はされていないのだが。

そんな事は全く気にせずに、那岐は他人の家を歩いていく。

俺とミサちゃんは、戸惑いながらも何も言わずに那岐の後に続いて奥に向かった。

母親らしき女性も最後に付いて来る。









居間を抜けてソファの横を通り、リビングもぬけて、台所の奥で那岐は立ち止まった。

神棚がある前で、それを見上げながら何か考えている。

じっと息を潜めて考えているから、俺もミサちゃんも那岐の考えを邪魔しようとは思わない。


ひとつ息を吐いてから、那岐がポケットからさっきの紙を取り出す。

少し悩んだのか暫くじっと見てから、神棚に貼ろうと右手を伸ばした。

その時不意に、後ろから叫ばれた。


「そこは止めて下さい。大事な神様なんです!」


那岐は俺達の後ろに居る女性をチラッと見た。

何か説明をするものだと思ったのだが、何の返事もせずにその紙を神棚に貼ろうとする。


「やめてええええっ!!」


いきなりの絶叫に、俺はびっくりして女性を振り返る。

女性は、さっきの少女に負けないほどの恐ろしい形相で、那岐に近付こうと俺達の側を走り抜ける。

那岐は予測をしていたのか、驚くことなく冷静にペタリと貼りつけた。


その途端。

足元がグラッと揺れた。



「ちっ。」


那岐が舌打ちをしてから、俺達を見る。


「ミサ!NEEDさんを連れて庭へ行け!!」


その声を聴いて直ぐにミサちゃんが俺の手を引いて、靴下のまま庭へ駆け出す。


「急げ!」


那岐の声はバシンという音と共に途中で消えた。

振り向くと家の襖や障子がいっぺんに閉じていて、庭に通じる場所は何処にもなかった。


庭に降りた俺達の身体は揺れていない。

よく見ると家だけがぐらぐらと揺れていた。それは大きな地震でもそこまで揺れないだろうという揺れ具合で。壁も瓦も崩れそうな家なのに、何も壊れずにただ激しく揺れている。まるで振り回されている玩具か、地震の耐震検査の建物のように。


「…夜行…。」


俺の手を握ったままのミサちゃんが、小さな声で呟く。

その手をギュッと握り返すと、ミサちゃんは俺を見てから少しだけ微笑んで、コクリと頷いた。



…無事か、那岐。





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