改めて修行の日々・1
俺は後ろ髪を引かれながら小夜子ちゃんの手を引いて走った。
走らないと、さっきの夜行の顔が気になって、振り向いてしまいそうだったから。
はっと気が付いて、足を止める。
大人の男が走る速度で中学生を引っ張ってしまった。
繋がっている手の先を振り返ると、困った顔をして小夜子ちゃんが俺を見上げていた。
別に、息が上がっている訳でもない。
「…大丈夫?」
「え?」
俺が言おうと思っていた言葉を、先に小夜子ちゃんが言う。
小夜子ちゃんは困ったように笑っていた。
「夜行と、あんな別れ方しちゃって良かったの?」
「…良いんだよ。」
だってあいつは。
…好きな相手だけど、師匠と弟子っていうのは違う気がするから。
俺はきっと、対等な関係が良いと思っているんだろう。
だからこんなに、胸の中が暗い気持ちなんだ。決して自分がたった一つの術さえできないからじゃない。
絶対違う。
「そう?じゃあ良かった。」
小夜子ちゃんがニコッと笑う。
俺はその笑顔に、何故だか上手く笑い返せなかった。
小夜子ちゃんがまた、正解の道を見つけるまで、俺達は手を繋いだままあちこちうろついた。京都に知り合いがほとんどいないから、誰にも見つかる心配はないけれど。
そういえば、夜行は小夜子ちゃんを見て酷い顔色になっていたような気がしたから、聞いてみようかと小夜子ちゃんを見ると、ちょうど小夜子ちゃんも俺を見上げたところだった。同時に顔を見合わせてどちらともなく照れ笑い。
「あのさ、小夜子ちゃん。夜行と知り合いなんだっけ?」
「うん。知り合いっていうか…敵だけど知ってるよ。」
……え?
てき?敵って何ですか?
「うちと夜行達は対立しているから、敵なんだよ。」
小夜子ちゃんは何でもない風に言った。
けれど俺は、とても何でもない風には装えなかった。
敵?それで夜行はあんなに酷い顔色になったのか。
…それはそうだよなあ。
仮にも自分の弟子が敵側に寝返ったなんて、許せないよなあ。
術者って敵味方ってあるのかあ、大変なんだなあ。
ん?俺、術が出来るようになったら帰ろうと思っているけど、敵になったらそれって無理なんじゃないかな。
あれ?俺、無謀なことしちゃった?
「…どうしたの?冴羽さん。」
「あ、いや。」
俺の手を小夜子ちゃんがぎゅっと握る。見上げてくる顔は心配そうだ。
…うん。
もう、行動してしまったのだから仕方ない。
術者として一人前になったら、夜行に土下座でもして謝ろう。
俺は小夜子ちゃんとまた薄暗い路を抜けて、暁さんの屋敷に戻った。
門をくぐると屋敷の玄関の前に、あたるくんが立っていた。
「どうしたの?あたる兄さん?」
小夜子ちゃんが聞くと、あたるくんが肩を竦めた。
「帰りが少し遅いから、あんたが出て来るのに揉めたんじゃないかって思って心配した。」
「それは、ごめんな。俺は大丈夫だったよ。…そんなに強く止められなかったし。」
俺が言うと、隣で小夜子ちゃんがぼそりと呟く。
「何の準備もしていなかったから、手の出しようがなかっただけだと思うけど。」
「え?どういう意味?」
「ううん。何でもないよ冴羽さん☆」
ペロッと舌をだしながら、小夜子ちゃんが笑う。
いくら対立しているからって、街中で術をいきなり仕掛けるなんて、どんな術者だってしないだろう。夜行ならなおさらだ。
玄関から中に入ると、前を歩いているあたるくんが振り向いた。
「あんたの部屋を用意してあるから案内する。それから当分は俺か兄さんが、あんたの教育をするからよろしくな。」
「え、でも、学校は?大丈夫なのか?」
あたるくんが肩を竦めた。
「…初心者に教えるのなんか、学校の合間で十分だろ。」
「は。そうですか。」
そんな風に言われると、ちょっとがっかりするんだけど。
仕方ないよなあ。術者としては俺、赤ん坊レベルだもんなあ。
自分の部屋にかばんを置いてからリビングに行くと、ゆっくりトーストを食べている人美ちゃんと急いで食べている小夜子ちゃんが居た。
食べている途中なのに、小夜子ちゃんは目玉焼きと添えてあったポテトを口に詰め込んだ後、半分残っているパンを片手に、カバンを持ってリビングを出て行く。
「え、まだ、七時過ぎだよ?」
「部活があるの。行ってきます!」
バタバタと走っていく小夜子ちゃん。朝から部活って運動部だろうな。
人美ちゃんは余裕で紅茶を飲んでいる。
相向かいに座って、俺も紅茶を入れて飲んだ。
「人美ちゃんは朝練ないの?」
「わたしは文芸部ですから。」
にっこりと笑う。
あ。分かる気がするなあ。でも文芸部って小説書くんだよね?
「小説、書くの?」
「はい。今は冴羽さんと夜行の話を書いています。」
また紅茶を吐きそうになった。
そんな穏やかな顔で微笑みながら美人さんが、BL書いてますって宣言しないでほしい。
しかも、俺モデルって勘弁して。
「…うふふ。」
凄い嬉しそうに笑った。
何を書かれているかなんて想像したくない。
「書きあがったら、お渡ししますね?」
「え!?俺いらないよ!?」
「うふふ。大丈夫です。…ちゃんと、してますから。」
なにをっ!?
「また、気味の悪いもの書いてるのか。」
リビングにあたるくんが入って来て、人美ちゃんを訝しそうに見る。
その視線には慣れっこなのか、人美ちゃんはしれっとパンを口に運んだ。
あたるくんは椅子には座らず、置いてあるパンに目玉焼きを挟んで一口食べてから、俺の前に一枚の紙を置いた。
紙には二重の○が書いてある。
「これは?」
俺が聞くと、丸の中央をトントンと指で叩いた。
「ここに火を出して欲しい。これが今日の宿題。」
「え。俺、実際の事はまだ全然できないけど。」
あたるくんはもぐもぐと口を動かしながら、俺を見ている。
「…火、かあ。」
夜行に習っていたのも、火だった気がするなあ。
俺は全くできなかった術式を思い出して気落ちしてくる。火の術が出なかった俺にまた火をやれって、きつい話だ。
ごくりと口に入っていた物を飲み込んでから、あたるくんが言った。
「あんたが夜行に習っていた、火界咒なんていう強い力じゃなくて、ただの火でいいんだけど。」
あたるくんはそう言って、テーブルの上に有ったオレンジジュースをごくごくと飲むと、パッとかばんを持って学校へ行ってしまった。
え?かかいしゅってなに?
俺がポカンとしていると人美ちゃんも立ち上がり、行ってきますと言って出かけてしまった。
「ああ、いってらっしゃい。」
俺はそう答えたものの、何だか落としどころがなくて、困ったままだ。
ただの火と違うモノだっていうのは分かった。
では夜行が俺に修練させていたのは、何だったのか。
「どうしたんだよ、冴羽さん。」
後ろの開け放たれているドアから、親次くんが頭を掻きながら入って来た。
大あくびをしながら椅子に座る。何だか眠そうだな。
「おはよう、親次くん。」
「ああ、おはよう。」
「今日は学校は?」
「今日は講義が無いから休み。…何を持っているんだ?」
親次くんは俺が手に持っている紙を不思議そうに眺める。
「あたるくんから貰ったんだ。ここに火を出せって。」
「はあ。また、あたるらしいな。…説明が必要だよな?」
「是非して欲しい。俺はその知識が欲しくてこっちに来たんだから。」
「…そうだよな。」
親次くんはニヤッと笑うと、本棚からレポート用紙を取り出して、俺の眼の前に広げた。それから俺の隣に座ると左手でボールペンを握り、何やら書きだした。
「まず、五行は分かるか?」
俺は肯く。ラノベで良く語れるから知っている。
「そうか。…でもおさらいな?五行とは火、水、土、木、金の五つの性質を持つものが、この世の全てを構築しているっていう中国で発祥した物事の考え方の一つだ。現代で使われている術の多くは陰陽道から派生しているものが多いから、この考え方が基本となっている術式が多い。」
俺が肯くと、親次くんも肯いた。
「五行には二種類のルールがある。一つが五行相剋、もう一つが五行相生。相剋が打ち消し合うもの、相生が生み出すもの。これもいいかな?」
「ああ。分かる。」
「そうか。それで、五行に基づいた術式の中で実は火が一番汎用性が高いから、それを最初に教えるんだ。何せ現代は金属でできているものが多いからな。」
「ん?」
俺が首を傾げると、親次くんは手元に在ったカップに紅茶を注ぎながら笑った。
「ああ。やっぱりちゃんと分かってないな、冴羽さん。」
「え、あ、ごめん。」
今のを疑問に思った時点で分かってないと気付かれた。
ええと確か。
「火剋金、だっけ。」
「そうそう、分かってるじゃないか。金属で作られていると言ってもいい建物がほとんどだから、それに働きかけることが出来る火の術式は、やっぱり早く覚えた方が良い。相手の武器や日用品だって、金属を含んでいるものが多いからな。」
「はあ、なるほど。」
「それに、妖魔に対しても直接的な攻撃になるし、霊災に対してだって火は祓いになるから、汎用性って言ったら五行の中では断トツだろうな。」
そう言って紅茶を飲む親次くん。
そうそう、これこれ。こういうのが俺の聞きたかった事だよ。
俺はそう思って、また夜行を思い出す。
あいつ、全然説明しないから。
「あ、そうだ。なあ親次くん。かかいしゅって何だ?」
「火界咒?それはまだ先の話だけど。」
親次くんが紙に火界咒と漢字を書く。
「これは火の術式でも、かなり上の方の術で。…あ、そうか。冴羽さん「原始綱躁術大系」を習っていたんだっけ?」
「…ああ。」
「あれはほとんどが上級から始まるからな。」
そう言って立ち上がり、本棚からその本を持ってきてパラパラと紙を捲る。
「ああ、そうだな。最初のものを修練していたなら、確かにこれは火界咒の一種だよ。まあ、その中でも簡単な方だけど。」
「…そうか。」
最初から初心者にそんなものを教えても、出来ないのが当たり前って夜行は気付かなかったのかな。
自分ができるから、他の奴にもできるって思ってしまうのだろうか。
「素人には無理だな。教えていたのはもしかして夜行?」
「…ああ。一応、弟子だったから。」
「え?」
俺が言った言葉に、意外なほど激しく動揺した親次くんが、次の瞬間にはぎこちないながらも笑いかけてきた。
どうしたのだろう。
「ごめん。まさか弟子とは思わなくて、友人だって聞いていたから。そうか、弟子、か。」
「…なに。弟子だとなんかまずいのか?」
「何を怒ってるんだ冴羽さん。」
え。
俺、怒ってるか?
「夜行の話、嫌なんだ?」
親次くんが笑って聞いてくる。
そんな訳ではないのだが。うん。…怒ってるか?俺?
夜行の話をされて怒ってる?自分の胸に手を当ててじっと考えてみる。
ちょっとイライラしてるかもしれない。
「なあ、親次くん。煙草吸って良い?」
「あ。御免。家じゃ無理。」
は!?
え、うそ、どうしよう。
俺、煙草が無いと生きていけないんだけど。
俺がおろおろしていると、困ったように親次くんが笑った。
「ああ~。じゃあ、隣へ駆け合ってくるよ。」
「え、なに、隣?」
「ああ。一緒に来るか?」
「行く。」
行きます。煙草吸いたいです。
リビングから二階へ上がる階段のある広間に行く。そういえばみんなの部屋とかがあるのは玄関から入ってから左側のスペースだけで、右側に行くのを見た事がない。
暁さんが居るのは二階だから、やっぱり右側にはいかない。
この屋敷、広間を中心に両翼を広げたみたいに左右に部屋が分かれている造りなのに。
親次くんは右側のリビングらしきところに入っていった。
え。こっちにもリビングがある?
この家リビングが二つあるの?
俺はまだ中には入らない。開いたドアから親次くんの話す声が聞こえる。
誰か、中にいる人と話しているようだ。
「あのさ、あの人が煙草吸いたいんだって。」
「ああ?…お前の方じゃ吸えないか、ガキばっかだし。」
「うん。吸う時はこっちに来てもらってもいいかな?」
「…くすかが居ない時にしろよ。」
「分かってる。」
外で待っていた俺を親次くんが手招きする。
呼ばれた俺が中に入ると、親次くんと一緒に金髪マッチョな男が立っていた。
…はい?どなたですか?




