決裂の後
鈴華に身体を治させながら、夜行はぜいぜいと荒い息を吐いていた。
手も足も頭も顔も、体中血がついていない所は無いほど傷ついている。
「マスター、いったん引きましょう。もうあなたは限界を超えています。」
「そうや、あんまり踏ん張り過ぎても良くないで?」
だが、彼らの意見に耳を傾ける夜行ではない。
腕から滴っている血を地面に降り掛けると、素早く文言を唱える。
「吾親ら顕斎作さん、根の国へ向かうなかれ怒りし荒魂よ、この地に留まり民草に宿られよ!!」
地面に落ちた夜行の血がどこかの特殊映像のように動き出し形を作る。
呪符の模様になったそれが眼前で同じように疲弊していた、形の分からぬ巨大な魔物をからめとる。力の殆んどを使い果たしていた魔物はその呪に絡まれ身動きが取れなくなった。
怨嗟の声を上げながら、その呪いごと夜行の身体に吸い込まれていく。
「ぐっ…はっ、は…。」
荒い息をさらに激しくさせながら、膝を着いた夜行が自分の首元を撫でる。
その首の左側に黒い文様が浮かび上がっているのを指先の皮膚感覚で悟ると、夜行はニヤリと笑った。
膝は付いているがまだ倒れない夜行を見て、四人は言葉も出ない。
各地に散らばっている隠された荒魂たちを、夜行は次々と倒して己の身体に憑依させていた。
これは術者のやる事ではない。
むしろ召喚術師や悪魔使いのやる領域だ。
「…そうだな。いったん帰ろう。」
夜行が立ち上がりそう言ったところで、四人は安堵の息を吐いた。
だが。
「少し休ませれば、この魂魄が肉体に混じり合うからな。強固になるだろう。」
目に垂れてくる血を拭いながら言った夜行の言葉に、四人が動揺する。
その四人を見て、夜行はやれやれと肩を竦めた。
「…いつもお前たちは俺にもっと強くなってくれって言っていただろう?」
「でも、こんなやり方を望んでいた訳ではありません!」
大きな声を出した蒼使を、夜行がきょとんとして見る。
それから破顔した。
「どんなやり方でも、力は力だ。」
「でも!」
まだ反論しようとした蒼使の肩を、大我がそっと抑える。蒼使はぐっと唇を噛んでそれ以上の言葉を控えた。
「ああ、そうだ。お前たちに言ってなかったが。」
術と力の応酬で、荒野となってしまった大地に風が吹く。
そこに生きていたありとあらゆる命は全て奪われ、ただ無常の風が吹く。時が経てばまた地に命が芽吹くのだろうが、今はその片鱗すら見えない。
その風に、血で濡れた髪をなびかせながら、夜行が言う。
「俺は、<十指>を倒す。」
「!!」
その言葉がどれほどのものか、分からぬ彼らではない。
四人同時に頭を下げ、それから夜行を見る。
気負っている様には見えない自分たちの主の姿を見て、その決意の深さを確信する。
「じゃあ、わいも強うならんとあかんなあ。」
「修行いたしますわ。」
「お、俺も頑張ります!」
「……。」
そう言う四人を見て、夜行が小さく笑う。
「…ああ、頼む。」
それぞれの決意のもとに肯くのをちらりと見てから、夜行は天を仰ぐ。
風が雲を吹き流し、青空が広がっている。
その青空を眺めながら、夜行は暫くその場所に佇んでいた。
家に帰って風呂を浴びた後、脱衣所にいた夜行の前で、脱衣所の扉がバンと激しく開いた。
「夜行!冴羽さんが居ないんだけど!?」
まだ、下しかはいていない夜行とバチッと目が合う。
「あ。」
「…ミサ。穿いていたから良いものの、俺だって恥ずかしいぞ?」
「あ、う。御免なさい夜行…って、それ、なに?」
ミサは夜行の上半身に刻まれている不可思議な文様に眉を顰める。
流行りのタトゥーの類いではないのは見て取れた。だいたい、そんな事をする人物ではないとミサは承知している。
「冴羽さん…獣羅は出て行った。」
「出て行ったって…しゅら?冴羽さんに「被名」付けてあげたん?」
「ああ。使っているか、新しい名を貰っているかは知らないが。」
「え?」
ミサが聞き返す。
夜行は暗い眼をしたまま、ミサの目を見る。その眼の光の奥底知れない輝きに、ミサはぞくりと背を震わせながらも夜行の言葉の続きを待った。
「獣羅は、別の所属に入った。」
「え?夜行の弟子やのに!?」
「実質、弟子は辞めた事になるな。」
「なに?それ!?」
ミサの憤慨したかのような声音に、夜行が苦笑を浮かべる。
夜行は冷えてきた体にシャツを纏いながら話しかけた。
「ミサ。」
シャツのボタンを留めながら話す夜行に、ちょっと居心地の悪さを感じながらも、ミサは立ったまま話を聞いていた。
「なに?」
「獣羅は、敵側になった。今度会った時にあまりこちらの内情を話してくれるなよ?」
「え、なに?それ。」
ミサは今の話に戸惑う。
夜行が言う敵側の観念が思い浮かばなかった。
実質的に仲の良くない術者の所属があることはミサも知っている。武蔵が所属している〈平蜘蛛〉とは仲が良いが、それ以外の所属、例えば探湯神社の白眉の〈二無〉とか大手企業に勤めている狐次郎の〈元禄無頼株式会社〉とかとは仲が良くないのは知っている。それでも手を組む時もあるし依頼の関係上、共に戦う時もあるのだから、敵ではない。
夜行が脱いであった服を洗濯機に放り込んで、脱衣所から出て行くのをミサも追い掛ける。
台所に行った夜行が、珈琲を飲むのを見ながら、ミサは話を切り出しかねていた。
話さないミサを気にせずに、夜行はカップを持ったまま外の灰皿のある場所に出て行く。縁側に置いてあるサンダルを履いてミサも後に続く。
まるでひよこのように自分の後について来るミサを見て、夜行が小さく笑った。
「…どうした?」
「え、あの、夜行。うち、敵っていうのが分からんのよ。誰の事なん?」
疑問を素直に口に出すミサに、夜行は煙草を咥えたまま答える。
「<十指>だ。」
「ええ!?」
ミサが大きい声を出したが、この敷地内には結界が張られているから、どんな大声でも外に聞こえることはない。まあ、広い屋敷なので、普通でも外に聞こえることはそうそう無いのだが。
驚いたまま固まっているミサを、夜行は煙草を吸いながら眺めている。
そのうちフルッとミサが震えた。
夜行が見ている前でミサは腹の底から大きな息をはくと、キッと夜行を見上げる。
それはいかに夜行といえども、ちょっと引くぐらいの憤怒の双眸だった。
「そうなん。冴羽さん、そうなん。」
「あ、ああ。」
夜行もあまりの迫力で、言葉が継げない。
「そうなん。あのお人そんな事になったん。」
「…まあ、そうだな。」
少し落ち着いた夜行が答える。
「確かに敵やね。」
「…相手を知っているか、知らないで所属したかは分からないが。」
「知っていようが知るまいが、所属したこと自体で敵やわ。人殺しを何とも思わない相手やないの。」
「…そうだな。」
ミサはきつい声で話を続ける。
「そうと知ったら、うちが何かを漏らすなんて心配しなくてもええよ、夜行。」
「そうか。」
夜行が肯くと、ミサも力強く肯いた。
「…むしろ情報引き出してやるわ。」
「……お手柔らかに。」
夜行が苦笑すると、ミサはまた怒った顔をして、ずいっと夜行に近寄った。
「悔しく無いのん!?弟子が裏切ったんよ!?」
「…俺が悪い。」
「はあっ!?なんで夜行が悪いん!?」
「俺の教え方が嫌だったから、他に目を向けたんだろう。」
夜行が言うと、ミサの顔がさっと赤くなって、更に声が大きくなった。
「夜行が反省する事なんか何にも無いやろっ!!」
「…ミサ?」
「師匠が教える事に反旗を翻す弟子は、弟子が悪いん!!師匠が自分の分からない事を命じても聞けばいいだけやないのん!!」
ハアハアと荒い息を吐くミサを、夜行は苦笑を浮かべてみている。
「…多分、いろはから教えていれば良かったんだろうな。」
「はあっ!?」
まだミサの声は大きい。夜行が肩を竦める。
「年上の人だからプライドもあって、自分からは聞けなかったのだろう。」
「そんなプライド捨てればええよ!」
クスッと夜行が笑った。
「…今まで俺達とは違う生活をしていたんだ。もっと、手習いから初めてやれば良かったというだけだよ。」
「いいえ、違うと思うわ。」
ミサの返答に、夜行が首を傾げる。
「いろはなんて子供に教えるように教えたら、それはそれで子供やないって思って、飛び出していくと思うわ。プライドがある人ってそんなもんやから。」
「え。そうかな。」
少し焦った声の夜行に、ミサは自信満々で頷く。
「どっちにしても、我慢の足りない人やったんね。たかが一か月で出て行くなんて。」
「早く成果が欲しいというのは、分かる気がするが。」
「そんなん、初めての事だって分かっているんやから、時間が掛かるって判断できないのは本人のせいやろ。」
「…手厳しいな、ミサは。」
夜行は吸い終わった煙草を灰皿に押し付けると、すぐに次の煙草を咥える。夜行の吸った煙草の煙が空に上っていくのを眺めた後でミサはふうと大きく息を吐いて肩を落とした。
「どっちにしろ<十指>に所属するなら、入った時点で人殺しやね。」
「…。」
「あれは人を術者を殺すことしか考えてない化け物やないの。それに与するだけで完全に、術者全員の敵やわ。」
「…そうなるだろうな。」
夜行も自分の煙の行く先を見て、空を眺める。
薄紫色の煙は遠く空に消え、何処にも見えない。
「…ミサ。俺は<十指>を討滅する。」
「うん。そう言うと思ったわ。…まだ助けようと思ってるんね?」
ミサの微笑みに夜行が怯むと、ミサは分かり切ってますと言う様に肯きながら笑った。
「あんなに仲良い人初めて見たもの。…夜行の気持ちは分かるけど。」
そこでミサは言葉を切る。
ミサが何を言いたいか分かっている夜行は、静かにミサの言葉を待った。
「でも、心まで染まっていたら、冴羽さんも討たないと。」
「ああ。分かっている。…弟子の不始末は俺が拭わなければならない。」
夜行の声を聞いて、ミサが肯く。
「…あのさ、夜行?」
先程までの声と打って変わって、ミサがおずおずと聞いてくる。
不思議に思った夜行が話を促すと、ちょっと顔を赤くしながら話しだした。
「それで、さっきの模様なん?」
何で顔が赤くなっているのかは分からないまま、夜行が肯く。
「あれ、まだ増えるん?」
また夜行が肯くと、ミサは決意したように口を引き締める。
それから言った。
「あれ、増やすのはいいけど、顔だけは止めてね!?」
「……は?」
「だって、夜行の顔かっこいいんやから、あんなんは駄目。もう、首の所にもあるから首までは我慢するけど、顔は嫌や。」
なんと言っていいのか分からない夜行が固まる。
「絶対やめてね!?」
「…ど、努力する。」
「うん!」
満面の笑みを浮かべたミサを見て、そんなことが果たして重要なのだろうかと、夜行が首を傾げる。
嬉しそうに家の中に入っていくミサを見送りながら、女心って分からないなあと、夜行はもう一本煙草を咥えた。
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2016.11.21 改稿




