決裂
日の出とともに通れるようになったという道を通って、京都の町中へ戻る。小夜子ちゃんが何故か一緒にくっついて来た。
「ねえ、本気なの?冴羽さん。」
「ああ。」
「……いいのかなあ…。」
ちょっと怯えたような顔をして、小夜子ちゃんが俺の服を掴む。
俺は小夜子ちゃんに笑って見せた。
「いいんだ。早く一人前の術者になった方が、夜行のためにもなるだろうし。」
「…そうかなあ…。」
小夜子ちゃんは困ったように俯く。
二人で歩いていたが、ミサちゃんの家に着く前に、小夜子ちゃんがパッと離れた。
「どうしたの?」
「うん。あたしここら辺で待ってるから。」
「え、でも。」
小夜子ちゃんは近くのカフェを指さして、俺を見る。
「お父さんからお小遣い貰ったの。あそこで待ってるから。」
「…ああ、分かった。」
きっと俺に気を使ってのことだろう。
小夜子ちゃんが店に入っていくのを見てから、俺はミサちゃんの家を目指す。
玄関の扉を開けると、そこに夜行が立っていた。
何だよ、待ち構えていたのか?
「…お帰り、冴羽さん。」
それには答えずに、俺は自分の部屋に入ると荷物をカバンに入れる。
車までは持って行く事もないだろう。
だいたい、お屋敷の横に大きな車庫があったけれど、俺の車まで入る余地があるのかは聞いてこなかったし。
俺が部屋を出ると、夜行が俺の荷物を見て軽く溜め息を吐いた。
「朝帰りかと思ったら、何処へ行くんだ?」
「…あのさ、夜行。」
「渡すものがあるんだ、来てくれ。」
俺の返事も待たずに、夜行はリビングへ向かう。
溜め息を吐いてから、俺もリビングへ行く。相変わらず人の話を聞かないな、夜行は。
リビングに入ると、夜行がテーブルに在った一枚の紙を俺に渡してくる。
手に取って見てみると、漢字が二つ書いてあった。
〈獣羅〉
「これは?」
俺の顔を見て夜行がふっと笑う。
「冴羽さんの名前だ。術者として人の前に出る時に、使ってほしい。」
「…「被名」か。」
「知っているのか。そうだ、本名を誰にでも言ってしまうのは危険なんだ。術者としての生命線が絶たれてしまう。」
暁さんの説明より分かりづらい。
俺は夜行を見る。
「なんて読むんだ?じゅうら、で良いのか?」
「あ、いや、違う。…しゅら、だ。」
「この字で獣羅?読みにくくないか?」
「え?そ、そうか?…冴羽さんにと落ちてきたものだから、それが良いと思っていたが…。」
困った様な顔をして、夜行が考え込む。
今の説明も、回りくどいなって思ってしまった。
夜行は人を教えるのには向かないのかも知れない。
「俺さ。」
考え込んでいた夜行が、顔を上げる。
やっぱりその眼は綺麗で、底が見えなくて。
…俺には理解できない。
「別の人に教わる事にしたから。」
「………え?」
本当にポカンとした顔で夜行が声を漏らした。
「昨日、凄い人に会ってさ。その人に頼んだら了解してもらえたんで、俺そっちで教わるよ。」
「…何所の人だ?」
「ん?京都の人だろうけど。」
俺が玄関に行って靴を履くと、夜行も何故か一緒に外に出て来た。
「…なんていう人物なんだ?」
「本名しか聞いてないから、教えられない。」
「…何所の所属かも分からないのか?」
俺は後ろからついて歩いて来る夜行を振り返る。
夜行は酷く困った顔をしていて。
うん。そんな顔も好きだけど。
きっと俺はお前に教わったんじゃ、何にも分からなくて自滅しちゃう気がするんだ。
だからある程度教わったら、お前のいう事が分かるようになったら、帰ってくるつもりだけど。
今はそれをお前には言わない。
多分、止められるだろうから。
俺は手飼いのままで終わる気はないぜ、夜行?
そんなに長い時間がたったわけでは無いのに、カフェから出て来た小夜子ちゃんが道に立っていた。俺に笑いかけてくるが、後ろの夜行に気が付いて何故だかばつの悪い顔になった。
その小夜子ちゃんを見て夜行が凍り付いたように固まった。
「…まさ、か、冴羽さん…。」
何だよ、小夜子ちゃんを知っているのか?
彼女はおずおずと近寄ってくるが、数歩手前で止まって俺達を見ている。
「所属は、<十使>って言うのだそうだ。」
「…だ、めだ、そこは…。」
夜行が真っ青な顔をしている。今にも倒れそうだ。
具合が悪いのなら、わざわざついて来なくても良かったのに。
夜行を見降ろす。
夜行が見上げてくる。
震える口も青い顔も、なんだか可愛く見える。
俺、どうしたんだろうな。
彼が好きで此処に来たのに。
でもやっぱり、自分が駄目な奴だと何も出来ない奴だと思い知らされたまま、ここに居続けるのは嫌なんだ。
お前の期待に答えられない自分が、お前の傍に居るのが嫌なんだ。
「じゃあな、夜行。」
「…駄目だ、行くな…。」
震える声で力なく夜行が言う。
俺は小夜子ちゃんの傍まで行って動かない夜行を振り返る。
「有難うな夜行。俺に新しい路を示してくれて。…俺、頑張るからさ。」
「だ、め…」
「じゃあな!」
小夜子ちゃんの手を引っ張って俺は駆け出す。
振り返らないように。
足を止めてしまわないように。
だから俺には。
遥か後ろで、夜行がどうしているかなんて、分からなかったんだ。
***** *****
夜行のもとに冴羽が向かった後で、暁は自分の書斎に親次とあたるを呼んでいた。
「何でしょうか、お父さん。」
「うん。お前たちが不満そうにしているから、意見を聞こうかと思ってね。」
暁は二人をじっと見る。
その顔に冴羽に見せたような優しい笑みはない。
二人の息子は戸惑ったように顔を見合わせてから軽く頷き、親次が口を開いた。
「あの、冴羽という男に本当に手ほどきをする気ですか?」
「ああ、そうだ。」
「だって、彼は夜行の関係者ですよ?」
暁は肯いてから、また二人を見る。
「知っている。」
「ならばどうして。俺達は何回か戦った間柄です。」
「うん。夜行には何度か抵抗されているな。」
「抵抗って…。<右の指>には夜行にやられて怨恨を持っている奴だっているのに。」
うんうんと暁が肯く。
「だからだよ。」
「え?」
親次が聞き返すが、暁は答えない。
それを見たあたるは、はあっと大きな溜め息を吐いた。
親次があたるを見降ろすと、ふんっと鼻息を吐いてからあたるが口を開く。
「夜行の手飼いっぽいから、手の内におこうって訳ですね。」
「ふふ。人聞きの悪い事を言うなあ、あたるは。」
暁は書斎の窓から見える、外の木々を眺めながらしゃべり続ける。
「冴羽君の方から、私に教えて欲しいと言ってきたんだ。優秀な術者が増えるのは我々としても大歓迎なはずじゃないのかな?」
「…後々刈り取るために、ですか。」
親次が小さな声で聞くが、暁は肯かないまま話し続けた。
「昨今は優秀な術者というのが減少して来ている。嘆かわしい事だろう?昔なら、妖魔が地表に溢れていた頃なら、真剣に修行に励み高みを極めた術者だって、幾らでもいたものだ。」
「ええ、そうですね。」
親次もそれには同意する。
現代という時代は、魑魅魍魎は陰に隠れ人間だけが表舞台にいるような時代だ。
人間を相手だけにしている術者など、子供の手習いの様なものだ。
「ならば、育てるのも悪くはない。」
暁は窓の外を眺めたままニヤリと獰猛に笑った。
「…そうですか、それなら。」
「それに、夜行の心を砕くにはもってこいだろう?」
「…ええ。」
親次は無表情のまま頷く。あたるもこくりと顎を引いた。
「私は、夜行をいたく気に入っている。」
「知っています。」
あたるが、少しあきれ顔で答える。
もう何年も前から、夜行と初めて<指>が対峙した時から、暁は夜行に注目をしていた。
その、あたるに目線を合わせて悪戯のように、暁が笑った。
「そうか。そして、友人というのは大切なものだ。」
「はい、そうでしょうね。特に人間においては。」
「うん。だからこそ、その友情とやらが壊れた時の顔が見たい。」
意地が悪いなあ、と親次もあたるも思ったが父親には逆らえない。
なにせ十本の指の持ち主はこの暁なのだから。
「夜行はどんな顔をして、絶望を噛み締めるのだろうな。」
ニヤニヤと笑う父親を前にして、子供たちは口を挟まずに立っている。
ただ、それぞれの胸中で、末っ子の事を心配していた。
この人の事だから、きっと小夜子にもひどい仕打ちをするのだろうと、内心で確信を持ちながら。
そして、何も知らずにここに来るだろう人間を少しだけ哀れだと思った。
****** ******
夜行はミサの家に帰ってすぐに、自室にこもった。
町の中ではずっと我慢をしていたが、ベッドに倒れ込むと涙が溢れてくることを、もう止められなかった。身体は小刻みに震えている。
冴羽さんが、敵の手に落ちた。
それは自分のせいだろうと、今日の彼の表情を見て理解していた。
きっと自分のやり方が彼の意にそぐわなかったのだろう。
もっと別の術者なら、仕方ないと送り出せたのに。
よりによって<十指>だとは。
最悪だ。
術者の肉体を喰らい、その築いてきた術の全てを我が身に還元する。
今まで幾多の術者が闇に葬られて来たか。
記憶を奪ったままにしていたのは間違いだったのだろうか。
「……。」
頬を流れる涙も拭わずに、夜行は…那岐は後悔し続ける。
自分が那岐として会っていた時には、彼に<十指>の事は教えてあった。
今回はまだ、記憶操作が何処まで残っているのか探りあぐねていたから、彼に<十指>の事は教えていなかったのだ。
もっとゆっくり、教えるつもりだった。
今回の術が出来ないと音を上げれば、もう一つ下の段階に返り、それも駄目だと言ったらまた下の段階を教える。
そうすれば、下の段階が分かった時に前に分からなかった事も一緒にひらめく事があるから。彼は術に対する反応値が常人よりも高い。ネットの住人だから、不思議な知識も一般人よりは早く飲み込むことが出来る。
そして、あの術の威圧に対する抵抗値。
才能があると見込んでの教え方だったはずなのだが。
きっと俺が間違っている。
彼を見誤っていたのだろう。
もっと子供に教えるように、教えれば良かったのだ。
あの人ならば。
NEEDさんならば。
そう思ってしまった俺の、気持ちが駄目なのだ。
一緒に居て楽しいなんて。
あの人が懸命に術を覚えようとしている姿が凛々しいなんて。
見惚れている時間が嬉しいなんて。
ああ。ああ!ああ!!
俺が彼を、酷い地獄へ突き落すのだ!!
この気持ちが、誰にも持ってはいけないこの気持ちが!!
彼の命を、失わせるのだ!!!
「…もっと、強くならなければいけない。…早急に。」
夜行はベッドに座り込んで、涙を拭う。
それから、そっと目を閉じる。
優しい彼の顔を思い出して、それを胸の奥にしまう。
初めて逢った時の彼を、心のずっとずっと奥にしまい込んだ。
もう、那岐には戻れないかも知れません。
ごめんなさい。NEEDさん。
夜行は胸に下げていた黒い勾玉の鎖を外す。それから勾玉を直に胸に押し当てて呪を呟き出した。
「伊賦夜坂泡立つ波の先の国にて、吾産す黄泉主御祖命、吾に再たる手俣よりくきし産されませ。」
黒い勾玉をグッと押し込む夜行の手が皮膚にめり込んでいく。
勾玉は夜行の肉の内に入り飲まれていき、やがて指先を抜いた夜行は息を荒く吐き出した。夜行が血濡れの胸を見降ろす。
いまや心臓の上にうっすらと輪郭が見える勾玉は、夜行の肉体に納まり、抉りださなければ二度と外へは出ないだろうと思われた。
「…四神。来い。」
夜行がぼそりと呟く。
その途端に微風が吹き、夜行のベッドの周りに人影が四人立っていた。
「マスター…?」
鈴華が声を掛けるが、夜行は答えない。
「どないしたんや、マスタ」
空戯の声が止まった。
四人を振り返った夜行の顔を見たからだ。
「…マスター。ご指示を。」
大我がそう言って膝を着く。
蒼使は開きかけていた口をぎゅっと結んで、同じように片膝を着いた。
鈴華も空戯も同じように膝を着く。
「ああ。…これから俺は魔を取り込みに行く。」
「え?」
「なんやて?マスター?」
顔を上げる四神を見降ろして夜行が告げたのは、長年の付き合いがある彼らにも分からない言葉だった。
「急いで力を集めなければならない。だから俺は、魔を取り込みに行く。」
「ええと、待ってえな、マスター。言ってる事が分からないんやけど。」
空戯の言葉に、夜行が溜め息を吐く。
見上げている四人の間を抜けて、自分のクローゼットから服を出すと、夜行は先の呪で破れた服を着替える。
四人はそっと立ち上がり、自分たちの主の言葉を待っていた。
「魔を取り込む。」
「それは、どういう意味ですか?」
蒼使が再度聞いてくる。
「…分からないならついて来ればいい。自分の目で見れば分かるだろう。」
主の言葉に、四人は疑問を隠して静かに頭を下げた。
しかし誰一人、夜行の心の内は分からない。
己が人の身など、捨ててしまっても構わないと思っているとは、本人以外誰一人知る由もなかった。




