心の残滓・2
那岐が帰って来たのは夜中過ぎだった。
俺とミサちゃんは帰ってきた那岐に近寄る。
しかし那岐は俺達を仕草で止めた。
青い顔をした那岐は、口すら聞きたくない様だった。
「なんで、夜行?」
那岐は首を振って、ミサちゃんに手で何かを伝える。
手話の様で、違うような。
まったくもって、俺には分からない。
けれど、ミサちゃんには分かったようだ。
「え?…待ってて夜行!!」
血相を変えたミサちゃんは、走って何処かへ行ってすぐに戻って来る。
大きな風呂敷を持ってきて、それを中庭に出て広げた。
「いいよ!夜行!!」
那岐はそこへ歩いて行くと、その上に四つん這いになった。
それから。
信じられないほどの血を吐いた。
「が、はっ…ぐう…」
ミサちゃんは手をぎゅっと握ったままそれを見ている。
俺もそこから動けない。
何が起こっているんだ?
何度も何度も血を吐いた後、那岐は青い顔のまま口の血を拭って、ごろりと風呂敷の上に横になった。
「…ミサ…清めを…。」
「うん。」
ミサちゃんは俺の手を引いて、風呂敷の傍に行く。
え。
俺はこういう事、やったことないよ?
「いいから、NEEDさんもやって。」
「何を?」
「うちの真似すればいいから。」
俺はおずおずとミサちゃんの反対側に立つ。
ミサちゃんが柏手を打つ。
俺も二回打った。
「吾はいなしこめしこめき穢に到りてありけり。かれ、吾御身の禊せむ。」
「吾はいなしこめしこめき穢に到りてありけり。かれ、吾御身の禊せむ。」
俺も一緒に言った。
古い伝書の一文なのはわかった。
何処かで読んだことがあるからか、その文も分かる。
「吾を漱ぎたまう、穢れによりて成りし神よ。来たれ八十禍津の神。」
「吾を漱ぎたまう、穢れによりて成りし神よ。来たれ八十禍津の神。」
それも大体わかった。
俺達の言葉が終わると、風呂敷の中に光が浮かび上がる。
それはミサちゃんの側と俺の側から出て、那岐を包んだ。
那岐はその光に包まれた後、身体を仰向けにして寝転がった。
まだ息は苦しそうけど、さっきよりはましになったようだ。
けほけほと那岐が咳き込むと、血が零れた。
「…悪いな。」
ミサちゃんを見て那岐がそう言った。
「…何したん?夜行?」
「…十数人分の〔形代わり〕をした。」
「な?」
ミサちゃんが目を剥いた。
俺はその言葉の意味が分からない。
ミサちゃんが呆れたように俺に説明した。
「他の人の怪我を自分に移したんよ。しかも十数人分。」
「え。」
何でそんなバカな事を。
「うち、これを燃やしてくるね?」
「ああ、頼む。」
ミサちゃんが裏庭の方へ、風呂敷を慎重に運んで行く。
俺はそれを見送ってから、同じように見送っていた那岐へと視線を戻した。
心配で見下ろしている俺に、那岐は弱く笑う。
「…あなたにまで、迷惑をかけてすみませんでした。」
そう言っている那岐に、何だか俺は怒れなくて。
それがお前のやり方なんだろう?
どうしたって他の人を守るんだろう?
でも。
それならお前は誰が守るんだ?
誰がお前を守れるんだ?
「…なあ、夜行。」
俺の言葉に那岐が座って俺を見上げる。
話を聞くのも、相手のために出来るだけするのか?
そんなにしてお前が壊れるだろう?
那岐の行動の全部、俺が変わってやりたい。
「…何ですかNEEDさん。」
「俺に術を教えてくれ。」
「え。それは。」
「お前がそうしているのに、何も出来ないのは嫌だ…。」
俺は顔を伏せた。
涙が零れそうだった。
苦しくて、切なくて。
「…。」
那岐が立ち上がって、俺の傍に来る。
そして俺の頬にそっと触れた。
「…すみません。」
「お前が謝る事じゃない。」
その柔らかい指先が、俺の頬を何度も撫でる。
いたわるように、優しく。
「…全部俺のせいですね。」
「俺は。」
鼻声のまま顔を上げると。
那岐は寂しそうに笑っていた。
「…あなたを巻き込むわけにはいきません。」
「でも、もう。」
俺は覚えている。
お前の事を。
忘れる訳ないだろう?
…俺は、お前が好きなんだ。
だから、守らせてほしい。
「…俺が楽しかったから、長引かせてしまった。…すみません。」
「え。」
那岐が背伸びをして、俺に口づけた。
それから俺の口を開いて舌を入れてくる。
初めてのキスに、俺はドキドキして。
そっと那岐の頭を引き寄せる。
那岐は舌先で俺の上あごを撫でた。
…それは何かの図形で。
那岐が、口を離す。
俺は、足に力が入らない。
自分が、地面に倒れたのは分かった。
最後に見たのは。
「…ごめんなさい…。」
そう言って、那岐がぽろぽろと泣いている顔だった。
また、泣くのか?
俺はまた、お前の涙を、止められないの、か?
……那岐……。
俺の名前は、NEED。
勿論本名じゃない。ハンドルネームだ。
俺は、とあるサイトで小説を書いている。
閲覧数は。
自分で言うのもなんだが、かなりの数で、ファンの子も結構いる。ファンの中には、毎日のようにコメントをくれる子も居て、俺はそれに返したり返さなかったりしている。
自分の本分は小説を書くものだと思っているから、そちらを優先するのは当たり前だし、それでいいと思っている。毎日コメントを返すのも、本当を言えば大分手間がかかるし。
だからサイトの他の人に比べたら、ちょっと手を抜いている感はある。
それでも負けずに、書きこんでくる子も、もちろんいて。
悪いなあと思った時は、渋々返していたりするのだけれど。
その中に一人。
頻繁に書き込んでくるやつが居たのだが。
そいつは此処を退会したのか、俺の履歴には無い。
ファンだったはずなのに、そいつの名前はなかった。
来ていたはずのコメントも綺麗に消えていて。
閲覧にすら名前がなかった。
こんな事ってできるのか?
このサイトって閲覧消せたっけなあ。
俺は頭を掻きながら、煙草をくわえる。
…大体、俺がそいつの名前すら覚えてないってどうよ?
どれだけ年なんだ、俺。
あ~。少しイライラする。
コーヒーを飲んで煙草を吸って落ち着こうかな。
ジッポで煙草に火をつけて、ひと口。
うん、美味い。
それだけで、済んでいたはずなのに。
…そう。最近はいつもここで引っかかる。
この時間に何かがあったはずだと。
まるで俺の前で誰かが煙草を吸っていたみたいに。
自分のじゃない、別の銘柄の匂いが鼻先を掠める。
違和感は、ファンの子の名前を思い出せない時期から連動して起こっている。
だから、名前を思い出したいのに。少しも掠らない。
自慢じゃないが、俺はそんなに人付き合いが良いわけじゃない。
だから、知人でもないだろうと思うのだけど。
知人を思い出さないって、どれだけ悪い記憶装置だよっていう。
仕事仲間じゃ、ない。
数少ない友人でも、ない。
………友人?
あれ。
俺、何で泣いているんだ?
まるで、大事な誰かを無くしたみたいに。
何でだよ?
第一章分、これで終了です。
次からは、第二章分に入ります。
まだ人物が出そろっていませんが、新章でまた出て来ますと思いますので。
…女性、少ないよねW




