接見応対したはいいが大驚失色した
心持目を伏せ、グリセルダはゆっくりとガイウス王とアリエル王妃が並んで立つ傍へ歩み寄った。目の端に白のマントらしき物を身に纏った人々が横一列に並んでいるのが見える。王の向こう側では兄であるバルト王太子とダニエル王子、弟のジュリオ王子の姿がちらと見えた。何を仕出かすかわからないエウフェミーナだったが今は王族としてきちんと弁えている。王妃の隣まで着くと使者へ敬意を示すように軽く膝を折ったままの体勢を取った。
一拍程の間を置き、王の朗々とした声が広間に響く。
「バルバッツァ国使者の方々。王妃の隣に立つこの娘こそが貴方方が望まれた王女だ。…グリセルダ、前へ」
グリセルダは礼を解くと真っ直ぐ顔を上げて王と王妃の前に立った。両手は前へ回しゆるく組む。
使者達は真っ直ぐ立ったまま左腕を胸に当て、胸元に顎が付くくらい深く頭を下げている。
初めて見る遠い国の人々は興味深かった。
皆、白い糸で刺繍を施した真っ白なマントを着用していて、その襟は見た事がないほど高く、完全に口元を隠している。また頭にはそれぞれ凝った意匠のサークレットを身に付けていた。マントの下は軍服の様で色は黒。膝下まである黒のブーツを履いているのがちらと見えた。
そこまでさっと観察すると一つ息を吸い込んで吐く。
「どうぞお顔を上げて下さい。皆様に会えるのをとても楽しみにしていました」
グリセルダは声に少し親しみを乗せて使者達に楽にするよう促した。
グリセルダの許しを得た使者達が腕を解いて顔を上げる。一糸乱れぬその動きはさすが武の国だと感心させられる。が、
「…!」
グリセルダは驚きにもう少しで声を上げるところだった。
使者達が一斉に自分を見詰めた事にではない。自分達の王妃になる女である、勿論見るだろう。問題はその視線の強さだった。それはもう矢の様に飛んできたその勢いに身体に穴がないか探したくなるほどだ。
(顔に何か付いてでもいるわけ…でもないわよね)
毛穴の一つ一つまでじっくりと見られているような、念入りな視線の動きに俄かに不安になったがおくびにも出さず真面目な顔で続けた。今度は高過ぎず低過ぎないよく通る声で高らかに告げる。
「初めまして、バルバッツァ国の使者の皆様。コルテーゼ国へようこそいらっしゃいました。わたくしがコルテーゼ国第二王女グリセルダ・アデリード・コルテーゼです。今日、皆様にお目にかかれてとても嬉しく思っています」
少しだけ声が震えたがなかなか堂々と言えた。密かにホッと胸を撫で下ろし使者達の顔を一人一人見つめ頷いた。
…………………。
(……ん?)
不自然な沈黙が辺りを漂う。この場合次に使者側の返礼なり言葉なりがあるはず……だが使者達は自分をガン見したままだ。
(あれ?次は宰相が何か言う番だったかしら?それともお父様?…いや私が登場してから使者は一言も喋ってないし…やっぱり使者の番よね?)
…………。
……………。
………………。
グリセルダは取り敢えず微笑んでみた。
…………ブバッッ!!
使者の一人がいきなり鼻血を噴いた。
瞬時に凍る謁見の間。
コルテーゼ国の王族貴族達どころか宰相や大臣、近衛兵、脇に控える侍従達までもが目を見開き、口を開けて固まる。
使者は鼻血は出したものそれが大理石の床に落ちる前に自前のマントで抑えた。さすが武の国、見事な動きだ。
……………………………。
先ほどの比ではないほどの沈黙が部屋を席巻すた。
グリセルダも目をパチパチと瞬き使者を見たまま。何か声を掛けた方がいいのかともちらっと思ったのだが、次に
「……グリセルダ王女殿下に拝謁し使者十名生涯の栄誉とさせて戴きます。それどころか身に余るお言葉までを掛けて戴き感激に言葉もありません」
深い声で年配の使者が漸く口を開いた。
(あっ…なかった事になった)
他の使者達も皆何事もなかったかのように前を向いている。しかし目線は下方だ。
「我が国王陛下は元より、臣下一同、民全てがグリセルダ王女殿下を迎える事を心から喜びとし、この良き婚姻が二国を強く結び付け、互いの理解と発展をより良い高みへと押し上げてくれる事を願っています」
グリセルダは鼻血を出した使者に目が行きそうになるのを堪え、微笑んで使者の祝いの返礼を受けた。だが口元は笑っているが目は全く笑っていない。
その後はガイウス王が引き取り、軽く使者達の紹介があった後、使者謁見の儀はつつが無く終了した。
……鼻血以外は。
控えの間に家族全員で戻ったが何とも言えない空気が流れた。
「その…長旅でお疲れになったのかしらね。随分早くお着きになったし」
先ず、取り成すようにアリエル王妃が口を開いた。
「そ、そうですわね」
「か、かなりの強行軍だったらしいしな」
「そ、そうなんですか」
「ああ。何でも今年は雪の降り始めが早かったらしく、海上封鎖が始まる前に出立したそうなんだ」
「海上封鎖?」
「バルバッツァ国では冬には海が凍り付くようで、そうなれば春になるまで溶けないとか。なので船舶などが立ち往生しないよう航行を禁止する事があるそうなんです」
「まぁ…」
どうやら天候に恵まれたのではなく、逆に悪くなりそうだったからの早めの到着だったらしい。しかし、他所の国には冬、海が凍るらしいと聞いた事はあるがまさか自分が嫁ぐ国がそうとは知らなかったので軽く衝撃だ。
「なんかあの使者おかしくない?」
「こらエフィ!」
「御話し中に申し訳ありません。グリセルダ様、御婚姻のお支度が」
「あ、そうね…ごめんなさいお父様、お母様。わたくし失礼させていただきます。バルト兄様、ダニエル兄様エフィもジュリオもまた後で」
グリセルダは呼びに来たジゼルに我に返ると王夫妻と兄弟達に礼をして控えの間を後にした。急ぎ足で宮まで戻る。
「只でさえ準備に追われているというのに早く着き過ぎです」
「しょうがないわよ。天候を先読みして動かなくてはならないお国事情なんだから」
使者が予定よりも早く着いてしまったので何もかも前倒しでやらなければならない。倍以上の忙しさになったが天候の都合なので使者達に非があるわけでもないし、文句を言ってもしょうがない。
「ジゼル、荷物を大急ぎで詰め始めましょう。出発が早めになったから。ああそれと、この後、使者の方達と軽い晩餐を開く事になったわ」
「正式ではないんですか?」
「予定が早まったでしょう?それを申し訳なく思って使者の方達がね、なるべく簡素にと申し入れがあったのよ」
「陰気なのに気がききますね」
「ジゼル、口を縫うわよ」
「それはそれはご勘弁を」
澄まして謝罪するジゼルにくすりと笑いを漏らし、グリセルダは王女らしからぬ速足で廊下をかけた。
王族やそれに連なる何人かの貴族、使者全員を交えての晩餐会は和やかなうちに始まった。
長い楕円形のテーブルに使者達を交互に挟んで王族貴族達が座る。問題のエウフェミーナはグリセルダの近く、使者を挟んだ一つ隣に座らせた。もう一人のお目付け役、ジュリオも同じようにして座っている。
この一カ月、何度もあの手この手で妹を説得したので当初の様な反発は見せないものの、無表情に使者と言葉少なに会話しているエウフェミーナに冷や冷やしながら使者達を持て成す。
晩餐会の準備は王妃や宮廷侍従長達が取り仕切っているがいずれは自分がバルバッツァで開く身。使者達の反応は大事だ。とはいえ今のところ問題は無さそうでグリセルダはホッとしてワインを口に含んだ。使者達が着いてからバタバタと忙しく、その様子をじっくり拝見できなかったが、今ようやく落ち着いて観察できる。
バルバッツァ国の使者は話の通りみな背が高く堂々としていた。10名全員が騎士で中5人が女性という事はコルテーゼ国を驚かせた。コルテーゼにも女性の騎士がいるにはいるがごく少数だ。使者という国の代表のうち半分が女性、しかも騎士とは国民総兵士と言うのはあながち誇張ではないのかもしれない。実際の目確かめてみなければならないが参考にはなるか。
髪色は黒が多く、次に濃い茶色。目の色は深い蒼や碧、肌は一様に褐色が掛かっているのが興味深い。中には髪に艶がなく少しパサついてるのは噂の海軍所属なのか。海風に晒され続けるとそうなるという話をどこかで聞きかじった事がある。
コルテーゼにも似たような容姿の者はいるが大抵は色素が薄く、髪色は金や銀、明るい茶色で、目の色はブルーやグリーン、グレーにブラウンと多色だがやはり色は薄い。グリセルダ自身は腰までの長い金髪に青の目だ。肌はバルバッツァ国とはこれまた対照的で真っ白で日光に弱い。
「コルテーゼ国の食事は如何でしょうか。苦手なものがありましたら遠慮なく仰って下さいね」
「…どれも大変美味です」
ワインを置くと左隣に座る使者、ルカ・バーリンに話しかける。言葉にウソはないみたいで使者は皿の上を綺麗に片付けていった。
ルカは使者達の中でも変った容姿をしていて長い前髪が目のほとんどを覆っている。なので見えるのは高い鼻梁と薄い唇のみだ。口数も少なく言葉も短いのでグリセルダは彼との会話に少し難儀をしていた。
ちなみに謁見の間で鼻血を噴いた当人である。
「わたくし食べる事がとても好きで、バルバッツァ国では名物のシチューがあるとかで今から食すのが楽しみですわ。他にはどんな美味しいものがあるんでしょうか、バーリン殿教えてもらえます?」
軍人だからだろうかルカの動きは実に無駄がない。だが少し堅苦しくもある。エウフェミーナやジゼル辺りは優雅さが足りない!と言うことだろう。
「熊を食べます…グフッ」
「まぁそうなんで…えっ熊?」
グリセルダはあまりに想定外の返答に相槌を打ちかけて絶句した。そのため、ルカの身体が不自然に浮き上がったのが見えてなかった。
(クマ…くま…あの『熊』かしら…)
グリセルダの脳裏に巨大な獣が皿に乗っかり使者に食われんとする姿が浮かんだ。
「いや…申し訳ありません…言葉を使い間違えて…熊ではなく鮭という小魚がいまして。癖もなく殿下も気に入ると」
ルカ・バーリンは咳払いをすると言い直した。
「あっ魚…魚料理は好物の一つです。そうなんですかシャケ…小魚…」
初めてのコルテーゼ国の夜だ。使者も疲れているし慣れないという事も勿論あるのだろう。何となく腑に落ちない部分もあるが再度聞き返すのも失礼にあたる。
「グリセルダ王女殿下、この花は何と言う名なのでしょう。我がバルバッツァ国では見た事のない種です」
その時右隣に座る女性騎士から話しかけられ、衝撃から素早く立ち直ったグリセルダはにこやかに応答した。
「それはジュキイレヌの花ですわ。これは食卓用に摘んでおりますので香りの元は除去してありますが、その香りは穏やかで清々しく、抽出して香水としても流用しており、婦人方には広く人気なのです。花と言えばバルバッツァ国には冬花晶という冬に咲く花があるとか…」
そのまま花の話題を続けて談笑する。が、頭の隅では
(そ、そうよね!熊なんて食べるわけないわよね!言い間違えでよかったぁ!…あれ?使い間違えって言ったかしら…どっちだっただろう…でも使い間違えって…何に使うの…)
などと自問自答していた。