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委員長の進行は、なおも続いていた。急ごしらえでクジを作り、最前列窓際から順番に名前を書き込んでいってくれ、という。後から思えば、バカバカしい事この上ないんだが、その時、イライラがピークだった俺は、何か言い返さずにはいられなかった。その思いは、前方、成績の良い者から席を立ち、委員長の言葉に従う羊の群れのような奴等と、それを見守る、羊飼いのような佐倉と神崎を見ているうちに、抑えきれなくなっていった。俺の番が来て、クジを見ると、たての線が、数えたわけではないけれど、多分、クラスの人数分引かれ、そのほとんどに誰かの名前が書き込まれ、空欄になっている残りは少ない。残ったところから、仕方なく、選ばなければならない。成績が低い者は。
「低成績者は後回しかよ」
適当に名前を書き込んで、イライラと共に佐倉に向けて言葉をぶつけた。ペンを投げ捨てるように音を立てて教卓の上に置くと、神崎が責めるような視線を向け、佐倉は口を引き結んで、眉を寄せて苦悶のような表情を浮かべた。ふん、へたれのお坊ちゃまめ。佐倉、お前に似た男を知っているんだよ。たとえなんの非もなく理不尽に扱われても、言い返す事すらできず、曖昧に笑って迎合して、謝罪の言葉を述べ、泣き寝入りするしかない人種を。
「戸川君って、低成績者なの」
そんな風に思っていたから、ただ、佐倉が何か言ったという事自体が衝撃的で、言葉の意味が、一瞬、わからなかった。俺は多分、ぽかんとしてしまっていたと思う。佐倉は、さらに言葉を続けた。
「自分と神崎君以外の順位は知らないんだ。クジを引く順番は、前からの方がスムーズそうだと思っただけ。ひく順番で損得もなさそうだったから。他意はないんだけど、嫌な思いさせちゃっていたら、ほんと、ごめん」
席順は、成績順。確かに、誰かがそう断言したわけではない。一位、二位と並んでいたから、勝手にそう予測しただけだけれど。どんな場面だって、思い込みにとらわれるのは危険だ。新しい突破口を開くのは、そういったものにとらわれない、自由な発想。俺の負けだ、と思った。負けだと思った瞬間が、負けが確定した瞬間。その時、視界の隅で神崎がすっと視線を逸らしたのに気付いた。神崎の横顔を一瞬だけ過った、こっちを完全に見下した、心底気持ちよさそうな勝者の笑み。佐倉は深く下げていた頭を起こし、表情の読めない目で俺を見た。「さあ、もういいだろう、この件は終わりだ」といわんばかりに。なんなんだ、こいつら。おとなしそうに見える佐倉も、元生徒会長だという。人の上に立つ事に慣れたキャリア組気取りか。ほとんど無意識に、逃げるように自分の席に戻った。
係は、滞りなく決まっていった。まあ、クジの結果を書きだしていくだけだったが。席に戻って、最初の数分は、正にハラワタが煮えくり返る状態だったが、あまりにも怒りが強すぎたせいか、毒気が抜けたというか、なぜか逆にすうっと冷めてしまった。自分の名前が理科Aの教科係に書き込まれた時は、ぼんやりと、へー、らっきー、とか思っていた。教科係とはいえ授業内容にはほとんど関係ないだろうが、やはり、どうせやるなら好きな、得意教科の方がいい。
「戸川君?」
少しこもったような、ぬぼっとした低い声で名前を呼ばれて振り向き、予想以上の質量に上から下まで視線を二往復させてしまった。ぬぼっとした声の主は、ぬぼっと図体のでかい、ぬぼっとした男だった。
「香田っていうんだ。斜め後ろの席。同じ理科の教科係」
「ああ、どうも」
香田は、すぐ斜め後ろの、自分の席だという机に寄りかかるようにして立った。香田の隣、俺の後ろに席はない。スペースが広いから、俺も席をひいて斜め後ろを向いた。
「戸川君、頑張っていたねえ」
「は?」
なんだこいつ。くすくすと楽しそうに笑う図体のでかい男を、むっとして思わず睨んでしまった。さっきの佐倉達とのやり取りの事を言っているのだろう。
「僕も、成績順がいいと思って、多数決の時、そっちに手を挙げたんだけど、クジになっちゃったね」
「いや、夏休み明けに係が変わるんなら、成績順の意味ないだろ」
「そう? せっかく一番後ろの席だからさ、係、やらないでいいかなって思ったんだけど」
「せっかく、一番後ろ、って」
「僕さあ、体、大きいだろ? 後ろの人が黒板みえないと悪いじゃない? 一番後ろの席だと、気分的に楽なんだよね。あと一個順位が下だったら、多分さ、二組の一番前の席って事だろ? 小さくなるのは無理だからさ」
それでも、一組に入るくらいだから、決して成績が悪いわけではないはずだ。それなりに勉強だって頑張っているだろう。なんでこんなにのんびりしているんだろう。悔しくはないのか? 変なヤツ。空気の読めなさに、半分、イライラ、ムカムカ。残りの半分は、呆れ。
「低成績者同士で悪いけれど、係、よろしくね」
「それを言うなよ。だいたい、まだ、席順が成績順と確定したわけじゃ」
うんざりしたように返すと、香田武蔵は、どっしりとした肩を揺らして笑った。