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どんな話の流れだったのか、佐倉と話している時に、将来の話になった。
「本当は、啓徳受けて、落ちたんだ。啓徳大、目指しているから」
何のわだかまりもなく、そう言葉にできた自分がちょっと不思議な感じだった。
「啓徳大かあ、理工学部?」
「だな、物理学科。
ちょっと宗教臭くなるけれど、地球の、大気圏の中のものって、地球ができた時から、形を変えて循環しているんだよな。
水は、水素に酸素が二個、くっついてできている。
川だったり海だったり、雲や雨だったり、俺の血液だったりする。
この体を構成しているものでさえ、カルシウムもアミノ酸も、自然界にある物を一時的に借りているだけで、死んだら返さないといけない。
そして、この体を構成している分子は、やがてまた別な物になる。土や、草や、花や、別な生き物に。
それを解き明かして、人間が自在に組み合わせる事ができる時代が、すぐそこまで来ているんだ」
「戸川君は、アルケミストになるんだね」
アルケミスト――錬金術師。
どこか、非現実的な言葉も、佐倉が発すると、なぜか妙な現実味を帯びる。教科書に書いてある事や、様々な知識を得ていけば、あるいは、いつか、と。本当に、俺は錬金術師になれるんじゃないのだろうかって気がしてきてしまう。
流れ星が夜空で、ぱあんと弾けたような、華やかな衝撃が胸の内を過った。なんだか照れて、
「まあ、なれるかどうかは、わからないし」
と、ブツブツと誤魔化してしまった。
「佐倉は? 何かなりたいものとかあるの?」
「僕? まだ決めていないんだ。
今までの人生の計画っていうのかな、展望みたいなものが、ここ最近、大きく変わって来ていて。
宇宙とか、星が好きだから、関わっていけたら、いいな」
へえ、星、かあ。宇宙って、ありきたりな表現になるけれど、果てしないよなあ。気が遠くなるくらい、遠い。
けれど、きっといつか佐倉は、この宇宙の先にまで触れてしまうだろう。天才ってヤツがこの地球上に存在しているんだとしたら、そいつは、今、俺の目の前にいる。
ふと、思い出して、頭を過った単語を口に出した。
「黒色矮星、って、知っている?」
「ああ、そのうちできるだろう、って言われているね」
「え、そのうち? 今はないのか?」
「宇宙は広いからね、実際はわからないけれど。
恒星、太陽とかの、自分で光っている星は、終わりが二通りある。
超新星になって爆発するか、矮星になって静かに燃え尽きていくか。
爆発しなかった恒星は、周りの燃えさかるエネルギーがなくなって、残された中心核が白色矮星になる。そのでき方も、二通り。
一つが、中心核の温度が上がって、外層部、つまり、燃えているエネルギー部分が取れて宇宙に飛んで行っちゃった場合。
もう一つが、赤色矮星を経てなる場合。核融合が活発な星は、だいたい、白っぽく光っているんだけれど、だんだん燃料が減って、温度が低く、赤くなっていく。これが赤色矮星。
赤色矮星は、低温でじっくり長く燃え続ける。その期間は数百億年から数兆年って言われているんだ。だからね、赤色矮星を経た白色矮星は、まだできていないって言われている。
白色矮星は、さらに数百億年かけて冷えていき、黒色矮星になる。
この宇宙ができたのは、だいたい百三十八億年前らしいから、まだ、恒星の熱が冷めきるのには若すぎるんだよ」
言っている意味は理解できたが、なにがなんだかわからない。百三十八億年で、若すぎるって。
「えっと、ちなみに、地球ができたのは?」
「約45億年前だね」
「最初の真核生物の誕生が、21億年前で、カンブリア紀のはじまりが、5億7千万年前、だったよな」
それで、北京原人の誕生が50万年前で、ホモ・サピエンスの出現が20万年前、か。
平安時代の、十二単とか着ていた時代から、約千年。文明は、すごい勢いで進歩してきた。それすら、めちゃくちゃ最近の事に思える。
星が燃え尽きてだんだん冷めていく、なんて簡単に言うけれど、数兆年か、粘るなあ。もう、そんな先の事なんて、考えるのもあほらしくなるくらい、長い時間だ。それまでずっと、少しずつ変化しながらもずっと、星は星であり続けるのだろう。
比べるのもおかしいけれど、俺はたかだか15、6年間生きただけで、燃え尽きただの、黒色矮星と一緒だ、なんていっていたのか。最後のエネルギーが尽きた後まで、数兆年も粘り続ける恒星と同じに考えては、さすがに申し訳ないな。
星の燃えるエネルギー、その星を作り出すエネルギー。それも、宇宙に漂う物質の化学変化で作られている。いつか、実感として触れる事ができるのだろうか。
解明されていない事が、答えのわかっていないクイズが、世界にはまだまだある。もし、俺が生きているうちに解けなかったとしても、俺の遺した小さなヒントを基に、いつかきっと、誰かが。
心許なくなるような途方もなさが、今は妙にうれしい。
夜、参考書を解きながら、ふと佐倉との会話を思い出してカーテンを引いて空を見た。
住宅街では、余程明るい星でなければ見えない。見えないけれど、この空を埋め尽くすくらいたくさんの星はある。
千尋の部屋の電気が点いている。あの灯りの中で、何をしているのだろう。
見渡す家々の灯りひとつひとつに誰かがいる。宇宙から見たら星みたいに見えるだろうか。
様々な色彩を放つ星たち。香田の大らかさも、冬木や松井の気のおけない優しさも、佐倉の勤勉さも、千尋の、理想をまっすぐに見つめる目も、俺を支え、影響を与えてくれる。俺にも、そんな部分はあるのだろうか。
いつだったか、千尋が言っていたっけ。
「間違えている事を間違えていると指摘するのは勇気が要る。
たくちゃんには、その勇気がある」
と。ふむ、千尋がそう言うのなら、多分、そうなんだろう。ならば、その長所は大事にしよう。
未来は、遠い。宇宙の果ても、物理の深淵も、遠い。
アルキメデス、ガリレイ、デカルト、ニュートン、そして、アインシュタイン。
長い時間の中、先人たちの積み重ねてきた記録や知識が、遠い未来を照らす。いつか、俺の残した足跡も、未来の誰かの手元を照らすかもしれない。全くの夢想でしかなかったその事実が、手を伸ばした少し先にある気がした。
そうなるといい。その光はまだ不確かで、時に不安になるけれど、いつかは。
みえないけれど確かにそこにある、満天の星のように。
読了、ありがとうございました。
次回から、高城湊編を連載開始いたします。