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P30

「啓徳に落ちたの、お前のせいだとは少しも思っていない。

 俺が落ちたのは、運が悪かったのもあるだろうし、真っ当に受けていても、絶対に受かっていたかはわからないし。

 けど、千尋が受かったのは、間違いなくお前の実力だし、努力の結果だし。どれだけ啓徳に行きたがって、勉強とか頑張っていたのか、知っているし。

 すごく、めでたい事、っていうか。本当に、よかったって思ったんだ。

 俺のせいで、ケチがついて。

 一緒に喜べれば、千尋もこんな事、せっかく合格したのに、自分のせいだなんて気を使ったり、自分を責めたり、しないでよかったのに」


「たくちゃん、僕は」


 おずおずと、俺の言葉を遮るように声を掛けられたけれど、千尋の方を見る事はできなかった。

 言いたい事は、まだまだあって、けれど、何を言っていいのか、頭の中がごちゃごちゃのままだった。

 口ごもる千尋の言葉の続きを待たずに、勢いのまま言った。


「あの日、受験の前に千尋が熱を出した時、あの時だって、あんなに寒い、雨が降っている日だったのに、千尋は、俺が忘れたノート、届けに来てくれたのに。

 本当は、怖かった。すごく。

 あのまま熱が下がらなくて、受験に響いて、千尋が落ちたら俺のせいだって。

 だから、本当に、千尋が啓徳に受かったのは、ほっとして。よかったって、なのに、ほんと、ごめん」


 話しながら感情が昂ぶって、鼻水がやばかったから、勝手に千尋の部屋のティッシュを使った。

 丸めたティッシュを戸惑う事もなくゴミ箱に捨てた時、ここはもう一つの俺の部屋でもあるという思いが過った。

 めちゃくちゃ図々しい話だけれど。自分の物、とかいう意味ではなくて、なんていうんだろう、安心できてくつろげる場所、ずっと昔から馴染んでいるテリトリー、って感じだろうか。俺が家を出て一人暮らしをして、何年か過ぎて実家に帰ったとしたら、こんな感じなのかもしれない。

 酸欠みたいに、頭がぼんやりして痛んだ。気まずくて、千尋の方は見られなかった。


「僕は、ね。僕の方こそ」


 千尋は静かにそう言って、僅かに間を空け、言葉を続けた。


「ずっと、たくちゃんに憧れていた。強くて、頭が良くて。

 啓徳に行きたいって思ったのだって、たくちゃんと同じ学校に通いたかったからなんだ。

 ああ、えっと、それだけじゃないけれど。

 覚えているかな、エリィの事でからかわれていた時、助けてくれたでしょ?

 原子とか、素粒子とかの話をして」


 その日の事は、よく覚えている。

 千尋は、俺以上に魔法少女アニメのエリィに夢中になっていた。大方のご察し通り、飼い犬のキャバリア、エリーも、ここから名前をもらっているくらい。

 エリィは、自然界の物質を魔法の力で組み替えて全く別な物質を作って武器にする、という戦い方をしていた。

 それを、確か中二の頃だ、級友が有り得ない、非科学的なものに夢中になってガキ臭い、と、千尋をバカにした事があった。

 俺は、千尋がからかわれた事も頭に来たけれど、実はそれ以上に、「本当に、有り得ない、非科学的な事なのか?」という疑問で頭がいっぱいになっていた。調べるうちに楽しくなって、原子物理学、量子力学から相対性理論、哲学に至るまで夢中になって本を読み漁った。

 今思えば、俺もいい加減イタイ奴だが、千尋をからかっていたヤツに対し、「エリィが素粒子に干渉して物質を思いのままに構成するのは、確かに非科学的かも知れないが、全ての物質の根源は――」と、理論を吹っ掛けた。

 相手は、大した根拠があるわけでもなく、ただ自分より下と思えるヤツをバカにしたかっただけという程度、俺の問いかけにあからさまに挙動不審になって、キモいんだよオタク! と、少ない語彙をフル活用しながら逃げていった。

 その後千尋に、エリィの魔法に対する仮説を話すと、それまで見た事がないくらい目を輝かせて身を乗り出して聞いていた。


「現実にできるかもしれないって思ったんだ。

 すごく遠い話だけれど、その一歩、礎の一つにはなれるかもしれないって。勉強すれば、知識をいっぱい得られれば、魔法みたいなことだって、いつか未来に、現実にできるかもしれないって。

 ただ、アニメを見て夢想するだけじゃ現実逃避とかわらないけれど、自分が、その世界を現実にする力の一つになれるかもしれないって。

 どうすれば、そんな大人になれるだろうって調べてみたんだ。そうしたら、啓徳大に、希望に近い学部があって。

 たくちゃんは、ずっと前からわかっていて、ちゃんと真っ直ぐに目指していたんだって、すごいなって、わくわくした。

 僕も、啓徳に行きたいって思った。

 なのに、僕が、たくちゃんの邪魔をしちゃったって事が、本当に」


「千尋のせいじゃないって言っているだろ」


 うん、と頷く千尋の表情は、泣きそうではあったけれど、どこか力強くみえた。千尋は、深呼吸みたいに大きく息を吸って、話しを続けた。


「僕は、ずっと逃げていた。自分は弱いって思って。勉強が苦手で、意志も弱くて、面倒くさがりで、って。

 でも、最初の一歩を思い切って踏み出したら、できる気がしたんだ。どんどん、わくわくがいっぱいになって。

 今でも、サボったりだらだらしたくなったり、こっそりと逃げてしまいたくなったりする時はあるけれど、でも、そういう時間はもったいない、知りたい、何かしたいって思うんだよ。自分がいろんな事ができるって、わかった気がするんだ。

 だから、学校でも頑張っている。たくちゃんはいないけれど。進む先で、またきっと、一緒になれるって思って。

 本当は、いつでも連絡したかった。けれど、それじゃだめなんじゃないかって、僕は、僕として自立して、たくちゃんを助けるっていうか、対等に、力を合わせられるようにならなきゃって思ったんだ。

 たくちゃんは、僕の目標なんだよ」


 正直言うと、今までも千尋が俺の後ばかりついてくるなっていうのは、何となく感じてはいた。けれど、改めてはっきり言葉にされると、やたらと動揺してしまった。

 舞い上がるほど動揺して、ふと、すっと意識の一部が冷めた。



「俺は、千尋が思っているようなヤツじゃないよ。

 滑り止めだと思っていた蓬泉でだって、TOPには遠い。

 人間関係だって失敗ばっかりで、友だちも、うまく作れているとは思えない。

 自分一人で何でもできるって思い上がっていて。

 本当は、いろんなヤツが支えたり助けたりしてくれていて。やっとそれに少しずつ気付けてきて、なんつーか、恥ずかしいヤツだよ。

 千尋は、そういう周りのヤツに、昔からちゃんと感謝できて、俺も、言葉にしないとって、思って。

 謝ろうって。千尋にも」


 ああ、なんかもう、格好悪いな。

 言葉はちゃんと出て来ないし、自分が何を言っているのか、よくわからなくなってきたし、千尋は、なんだか俺をほめたりするし。

 急に居たたまれなくなって、ばっと立ち上がった。


「あ、あのさ、まあ、あれだ、そういうわけだから。そろそろ、帰るわ」


「え、もう?」


「風呂掃除、途中にしてきたし。えっと、また、来る。じゃ」


 言いながら開けたドアの向こう、目の前に立っていた千春さんとぶつかりそうになって、めちゃくちゃ焦った。

 千春さんが手にしていたトレイの上のカップがカチャリと派手な音を立てた。


「ご、ごめん、大丈夫?」


「うん、お茶淹れてきたんだけど。って、たっくん、帰るの?」


「ああ、はい、お邪魔しました」


 ぺこりと頭だけ下げて、千春さんの脇をすり抜け、階段を駆け下りて千尋の家をでた。

 足早に数歩進んでふと思い当たり、自分のバカさ加減に心底ウンザリして踵を返し、再び千尋の家の玄関を開けると、ちょうど階段を降り切った千春さんが目の前に立っていた。

 さっきぶつかりそうになった時のまま、お茶の入ったトレイを手にしていたので、ほっとした。


「あれ、たっくん、どうしたの? 忘れ物?」


「いや、あの。せっかくお茶淹れてくれたのに、って。

 いただいていって、いいっすか?」


 千春さんは俺の言葉にぽかんとして、それからおかしそうに笑って、どうぞ、と玄関先に運んできてくれた。

 ティカップの淵に軽く口をつけると、思っていたよりも少しぬるくなっていたから、そのまま一気に飲み干して、


「慌ただしくてすんません、ごちそうさまでした」


 と、カップをトレイに戻しながら頭を下げて再び外に出た。

 ああ、まったく俺は何をやっているんだろう。

 けれど、せっかく淹れてもらったお茶を飲まずに、厚意を無駄にするような事は避けられたわけだし。

 妙なプライドを守るために格好をつけて、後からウジウジするのはやめるって決めたんだ。とりあえず、その一歩を踏み出せたことは、自分を評価してもいいだろう。

 やり方が合っていたかは、まだ自信がないけれど。

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