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普段は生徒が昇る事を禁じられているこの階段は、踊り場で折り返せば廊下から死角になる。
踊り場の奥側に立った佐倉が、俺に向かい合ってそわそわと視線をさまよわせた。俺も、なんといって切り出そうか、佐倉は何の用事で俺を呼び出したんだろうと考えているうちに、無言の時間が数秒過ぎた。
緊張で全身が冷えた感じがする。
佐倉が思い切ったように口を開いた。
「あ、あの、あのね、急に呼び出してごめん」
「ああ、いや、俺も、話があったって言うか」
「え、そうなんだ? えっと、あの、なんか」
そう言って口籠る佐倉の次の言葉を待った。
「なんか、僕、戸川君に告白するみたいだね」
は?
照れた様に笑う佐倉の言葉の意味が、予想外過ぎてまったく理解できなくてまじまじと顔を見てしまった。
「ああ、あの、告白するわけじゃないよ?
本当は違うんだけれど、なんか、そんな感じだなって思って」
わかっているよ、そんな事。なんで俺がお前から告白とかされるわけがあるんだよ。
思った事をなんでも口から出すな。空気読め。びびんだろ。突っ込んで罵倒したい気もしたが、今日は謝罪をするためにここに来たわけだし、それはぐっと我慢した。
「カラダは、もう、大丈夫なのか?」
「うん、何でもないって。
いろいろ具合悪かった事も調べてもらって、ちゃんとわかって、逆に前より元気になったくらい」
「そっか。で、話、って?」
「戸川君の話は?」
「いや、佐倉から誘ってくれたわけだし、そっちから先に」
そう水を向けると、うん、と頷いて、しばらく床を見て、強い眼で俺を見た。
「あの、戸川君、ごめん!」
「え、待てよ、なんで佐倉が謝るんだよ」
「あの、僕、戸川君に、自分の願望なんだろうって言い返しちゃって、それ、戸川君が同性愛者で、それで僕と伊月も同じなのかなって怪しんで、変な想像しているとか、そういう意味で言ったんじゃないんだ。
僕と伊月がテストの順位が下がって、それで湊が喜んでいるって、そんな、湊の事を卑怯者みたいな言い方、ひどいなって、だって、そんな事、普通思い付かないのに、戸川君だったらきっと、自分で嬉しがっているんだろうって、そう思ったから、そんな意味で言ったつもりで。
だけど、戸川君がホモだとかいじめられているって聞いて。
僕は、同性愛者だって差別とかするわけじゃないけれど、僕のせいでみんなに戸川君が同性愛者だってわかっちゃった事で、戸川君に辛い思いをさせるきっかけを作っちゃったなって、それで」
「待て! まてまてまて、ストップ!」
必死に遮って止めると、佐倉は泣きそうな表情で俺をじっと見た。
ええと。突っ込みどころが多すぎて追いつかないぞ?
「あのな、俺はホモでもなければ、それをネタにいじめられてもいない」
まず、ここは絶対に否定しておかないと。
それと、佐倉、お前、なにさりげなく俺の事を卑怯者と思っていました、みたいにカミングアウトしてんの? 結構深く傷つくんだけど。
ちゃんと理解してもらえたか表情を窺うと、泣きそうなまま、ふわりと微笑みを浮かべた。
「戸川君、僕は。偏見とかないし、大丈夫、安心して」
「いや、だからさ、隠そうとしているわけじゃない。違うって言っているだろ。
今の返事のどこに俺が安心できる要素があるんだよ。一層不安しか湧いてこねえよ」
ええっ? と、驚きを隠せないと言った風に目を見開いた佐倉に、くらりと眩暈を覚えた。なんだろう、意思の疎通ができない。佐倉は困ったように眉を寄せ、再び、ごめんと言った。
「だからさ、お前が謝るなって」
「でも、僕のせいで」
「いや、それはいいんだ。
クラスのヤツラに何か言われたとしても、俺は別に」
「だめだよ、そんなの!」
「誰かいるのか?」
佐倉があげた叫び声は、階段に反響した。
人の声がまばらになった廊下にも届いたのだろう、階下から掛けられた声は大人の男性のものだった。
誰かがこちらに向かって階段を上がってくる、サンダルの、ペタリペタリという足音がする。不審そうにのぞきこんだのは、担任の椎野先生だった。
「何やってんだ、お前ら。この階段は昇っちゃダメだって言っているだろ」
「すみません……」
「とにかく、告白だったら他でやれ」
「違うんです、先生、僕は。
戸川君が同性愛者でも偏見はないけれど、告白したりとかは」
「ちょ、お前待てよ、違うって言っているだろ」
「いいからもう、とにかく帰れ。わかったな?」
呆れたようにため息を吐きながら腕を組んで、俺たちが動くのを待つ椎野先生の、有無を言わせない視線に、抵抗する事は諦めた。
先生、さようなら、と、ぺこりと頭を下げる佐倉と共に、おずおずと階段を降りた。廊下の先で、俺たちが注意を受けているのに気付いたらしい生徒が数人、ちらりと視線を投げてくる。
もう、取り返しがつかないくらいぐだぐだだし、俺の謝罪を受け入れてもらうにも、とにかく佐倉の誤解を解いてからだ。
佐倉は、同情のこもった、自分だけは理解者で味方だよ、というような、不必要なほどに優しさあふれる視線で俺に別れを告げて下校していった。