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教室に入ると、どこか腫れ物に触れるような、落ち着かない空気にみんながソワソワしていた。席に着くと、よく話す近い席の男子生徒、松井が小走りに近づいて来て早口で話し始めた。
「ひどいことになったな」
「うん、松井、順位どうだった?」
「二十八位。戸川は二十六位だったよな」
「そっか、じゃ、お前は一組残留で大丈夫なんだ?」
「うん、けど、冬木が五十位代まで落とした。あいつはやばいかも」
思わず目を見開いて顔を見直すと、眉を寄せて悔しそうに唇を噛む。
冬木の成績はだいたい十位代半ばくらい、一組の真ん中より少し前あたりをうろうろしていた。
お調子者でノリの軽い、けれど内面、繊細で打たれ弱いようなところもあり、それを隠すためにわざとふざけているようなところが見え隠れするヤツだった。誰かが困っているのにいち早く気付き、ふざけた調子のまま、ちょいちょいと手を貸してやるような優しいヤツだ。雰囲気の悪いクラスに身を置くストレスは、大きく圧し掛かっていた事だろう。
自分の席に座る冬木の背中が、小さく丸まって見えた。俺たちの視線の気配に気付いたのか、ふいに冬木が振り向き、一瞬、痛みを堪えるような表情を浮かべて、自嘲気味に席を立ち、俺たちのところに近づいて来た。
「いやあ、やらかしちゃったよ。
テスト前、ぜんっぜん勉強しなかったからさー。新しく買ったゲームにはまっちゃったのがまずかったよね。冬休みまで我慢すればよかったけど、後悔、後で立つ、だよ」
へらっと笑いながらそんな風に言うのは、俺たちが同情したり、冬木に気を使ったりしないようにという、ヤツなりの気配りなのだろう。
「それを言うなら、後悔先に立たず、だろ」
「ああ、まあ、そうとも言うな」
「そうとしか言わねえよ」
薄く、乾いた笑いを交えつつ、そんな会話をした。ふいに、冬木が泣きそうな表情になり、またすぐにくしゃりと笑って、
「年が明けたら、クラスが分かれるだろうけれど、俺の事、忘れんなよ?」
と言った。
「ばあっか、離れたとしても、隣のクラスじゃないか」
「そうだよ、だいたい、冬木は理系志望だろ?
僕と戸川もそうだし、二年になったらまた同じクラスだし」
「まあ、な、まだ、二組になるって、決まったわけじゃない、し」
「そうだよ、神崎は」
慰めようとしていた松井が、神崎の名をだしてから、一呼吸分、ぐっと言葉を切った。
「神崎は、一組を出るの、確定だろうけど」
言葉の響きに、暗に、「神崎のせいだ」というニュアンスが含まれているように感じられた。冬木は、松井のわずかに怒りのこもった言葉に、穏やかに笑って見せた。
「自分をコントロールできなかったせいだから。もう済んだことだし、仕方ないよ」
仕方ない。本当に、そうか?
確かに、精神面の強さも大事だろう。けれど、神崎がしていたのは、ある意味授業妨害だ。実際、あの佐倉でさえ大幅に成績を落としている。逆に、高城と早瀬が我関せずと勉強に集中する気力があるのなら、神崎をもっと諌めればよかったじゃないか。
一体、この一組から何人が消えるのだろう。
短い三学期、バラバラになって終わるのか? 文化祭、あれだけ盛り上がって、協力して頑張って来たのに。
すっかり気落ちしているのを、相変わらずおちゃらけた様子で誤魔化そうとしている風の冬木と、それを察して必死に空気を読みながら調子を合わせようとしている松井の様子に、胸がぎゅっとして湧き上がるイライラが抑えられなくなっていく。