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夏休みが明けて、新学期。新しい席につき、新しい係を決める。それ以外は、ほとんどがそれまでと同じ日々。
ただ、香田がいない。香田の、体の質量だけでなく、その存在自体が、この一組で、とりわけ俺の中で、大きかったと改めて思う。教室がどこか、がらんと広く感じた。
責めるのは筋違いだとわかってはいたが、早瀬浩人には、どうしても反感を持ってしまう。お前さえ、一組に来ると言い出さなければ、と。そんな俺の気持ちには気付かないのだろう、飄々と、なぜか夏休み中からだったが、神崎にやたらと絡まれて、佐倉と高城と一緒につるむようになっていた。あいつらと行動を共にしているという事実も、俺を苛立たせた。
学期初めのバタバタが落ち着く間もなく、文化祭の準備が始まった。
こういった、準備が面倒なイベントは、どうせリア充系はサボって真面目なヤツラに押し付け、そのくせ本番当日はドヤ顔で騒ぎまくるんだろう。コツコツと毎日作業するのは、俺たちで――なんて思っていたのだが、予想外に、佐倉、神崎、高城、あと、女子の数名が中心となってかなり気合の入った構想を提案してきた。一目置かれているような存在のヤツラが声を掛けた事で、当然のように、クラス全体がまとまって動き出した。
気勢がそがれる思いはしたが、まあ、いい事だ。それだけじゃなく、多少のごたごたはあったものの、佐倉、神崎、早瀬の三人は、クラス発表だけでなく、一年生にしては珍しく、講堂での発表にも参加するという。他のクラスからの、さすが一組、という声を聞けば、悪い気はしない。
準備時間はカツカツで、作業しなければならない事はいくらでもあるはずだが、どこか楽で、帰宅時間や勉強時間に負担になっている感じがしないのは、なんでも佐倉が引き受けているから……と、それを高城が上手く全体に割り振っているからだろう。こういった点は、評価するべきだな。
文化祭が数日後に迫った日の夕食のあと、外の空気を吸おうと庭に出た。リビングのサッシをカラリと開けて、薄暗がりにサンダルを探していると、前の道路から犬の鳴き声がした。顔を上げると、塀代わりのアルミの柵の向こうに千尋が立っていた。その膝辺りには茶色と白のキャバリアが、柵に手をかけてこちらを見ている。
「散歩? よう、エリー、久しぶり」
しゃがんで柵越しに手を伸ばし、頭を撫でてやると、キャバリア特有のまん丸の目を細めて満面の笑みを浮かべてくれた。絹糸のようなしっとりとした感触が懐かしい。
「うん、だいたい、毎日今頃の時間に」
「そっか」
久しぶりにエリーに触れたせいか、妙にテンションが上がって両手でわしゃわしゃと頭を撫でると、エリーも喜んで俺の手にじゃれてきた。ふと見上げると、少し泣きそうな笑みで千尋がそんな俺たちを見下ろしていた。
「ん、どした?」
「え、ううん。たくちゃん、もうすぐ学園祭なんだよね」
「おう」
「遊びに、いってもいい?」
「別に俺に許可、とらなくても。あ、そうだ、学祭入るのに招待券がいるんだよ。ちと待っていて」
名残惜しくはあったが、エリーから離れて立ち上がりながらそういうと、戸惑うような表情のまま、うん、と頷いた。なんなんだ? 気にしながらも自室に取って返し、チケットを二枚持って来て千尋に渡した。ありがとう、と受け取りながらも、どこか複雑そうな表情は変わらない。
「千尋?」
「あっ、あのさ、この前も、たくちゃん、見たよ」
は? いきなり、なんだ?
「この前? どこで、だ? 気付いたのなら声かけろよ」
「えっと、ここで。エリーの散歩の帰りで。たくちゃん、その、頭にセミがぶつかって。びっくりしていたら、すぐにたくちゃん、家に入っちゃったから」
思い出した。あの時か。咄嗟にむっとした表情をしてしまうと、千尋はやっと、おかしそうに笑った。
「チケット、ありがとう」
「いや、どうせ余っていたし。気が向いたら俺の所にも遊びに来いよ、一組な」
うん、と、今度こそはっきり頷いて、手を振って、エリーを伴って自宅の方へ歩いて行った。
手を振り返して見送って、家へ戻りかけて、ふと我に返った。あれ、俺、すげえ自然に千尋と話していなかったか? そういえば、千尋とは駅のホームで車窓越しに別れた日以降会ってすらいなかったし、あの時もすごく気まずい感じで。
そこまで思い至って、さっきまで千尋が俺に対して何か言いたげな、遠慮がちな態度だったことに合点がいった。ついエリーに気をとられて、そんな記憶はすっかり抜けていた。一応、ちゃんと謝った方がいいだろうか、なんて、悩んだりしていたのに、こうなった後に今更謝ったりするのは不自然だ。自分の間抜けっぷりに軽く落ち込んだが、まあ、結果オーライってやつだろう。と、自分で自分を慰めて、エリーに感謝しつつ、とりあえず今日はもう寝よう。はあ。