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片付けは、一組のほとんどのヤツラが残って手伝っていたから、高城の言うように、思っていたより早く済んだ。片付けの途中、佐倉の様子を盗み見ると、疲れ切ったように足を引きずりながら、なんとかパイプ椅子を運んでいるような状態で、体育館に残っている一組の連中に気付くと、観覧席の奥、高い位置の窓を見上げて、うれしそうな、というより、幸せをかみしめるような顔をして微笑んだ。
俺は。
誰かが具合が悪かったとして、それに、気付いたとして、一体、何ができるだろう。よほど親しければ、救護室に行った方がいいんじゃないか、と、声を掛けるくらいはするかもしれない。当然心配もするが、正直、本心では、関わるのが面倒だと思う事が多い。少なくとも高城のように、クラスのヤツラに、手伝いに残ろうなんて、言い出したりはしない。つまりは、あんな風に、佐倉が感動と幸せをかみしめるような、そんな思いを、誰かにさせることはない、という事だ。高城はきっと、クラスをまとめようとか、誰かを導こうとか、そんな大それた事を考えていたわけではないだろう。ただ、手伝っていった方がいい、と考え、それを口に出しただけの事。逆にもし、俺が高城と同じように、佐倉が具合悪そうだから手伝っていこうと声を掛けたら? あんなに大勢、クラスのほとんどのヤツが残ってくれただろうか。数人は手伝ってくれるかもしれない。けれど。同じ年で、似たような学力で、一体、この差はなんなんだ。いや、年齢じゃない。学力じゃない。俺は、すっかり大人になったってこのままだろうし、高城は中学、いや、小学生の頃だって、きっと自然に、今日のように。サッカーの上手い二年生のドリブルが過る。あんな風に、完璧にボールをコントロールし、自在に動けたら、さぞや気持ちいい事だろう。けれど、自分はどんなに練習しても、あんな風になれるとは思えない。中学の時のサッカー部に、三年間リフティングすらまともにできなかった奴もいた。向き不向き、というものはある。俺は努力をしたところで、高城のようには動けない。輝けるヤツは、最初から決まっている。
バスが不意に大きくカーブして、吊革を握る手に力を込める。総合体育館から自宅へ向かうのには、本数のあまりない、この路線のバスに乗るのが一番手っ取り早い。いつもは電車通学だから、バスのベクトルに慣れていない。一本前のバスだったら、閉会式直後に帰ろうとする生徒たちとかぶって、大混雑だっただろう。今以上に、苦痛の中、帰らなければならなかったはずだ。いきなり目を刺す茜色の光にまぶたをぎゅっと閉じて顔を背け、ゆっくりと再び顔を上げた。初夏の太陽が沈んでいく。今日が終わる。一日一日が、なんだか、重い。
クラスマッチが終わり、平穏な日々を数日過ごせば、あっという間に一学期最後の実力テスト。中間、期末テストは、順位が発表されるのは上位者だけだが、実力テストは、全学年、全生徒の名前と成績が貼り出される。さらに、二学期を過ごす席順にまで成績が現れるのであれば、緊張と気合は否応なしに高まる。一組の授業の雰囲気は、めちゃくちゃいい。なんとなく認めるのは面白くない気がしてしまうが、その空気を作っているのは、佐倉と神崎だ。なるほどと思えるタイミングで手を挙げて的確な質問をし、貪欲に知識を得ようとする。入学したばかりの頃は戸惑っていたが、最近ではクラスの誰もが手を挙げやすくなってきている。なんとしても、一組に残りたい。さらに、順位を上げたい。いいモチベーションをキープして勉強を続ける事ができた。
実力テスト中は、かなりいい手応えを感じていたが、実際の順位は、ほぼ横這いだった。佐倉が一位、神崎が二位をキープ。さすが、と言うべきだろう。悔しさより、感嘆のため息が漏れる。あれだけやっても、この程度か。いや、あれだけやったからこその結果、なんだろうな。とりあえず、来学期も一組に残れるが、自習の方法は見直した方がいいかもしれない。廊下に貼り出された成績表の前で、複雑な感情のまま立ち尽くしていると、ふっと右側が影になった。成績を見に来た生徒、を想定して、その予想をわずかに越す質量に、見上げると、香田。
「戸川君、順位上がっているね」
「まあ、一個だけな。あ、っと、香田はどうだった?」
「三十五位」
え。
一組の席数は、現在三十四人分。今回、二組以降のクラスから香田の前に入ったヤツが、一組行きを希望したら、香田は一組を出なければならない。香田は、とあるクラスメイトの名を上げた。
「今回、五十四位まで順位を落としちゃったんだよ。二組行き、一人は確定、ってところかな。あともう一人、一組に来たいって人がいたら、僕は二学期、二組だね」
穏やかそうに笑っているが、わずかに表情が硬い。ただ順位を一つ落としたというだけじゃなく、クラスの移動となるとその意味は大きい。香田がいなくなったら。香田のおかげで、居場所を得る事ができた。教科係も、二学期に決め直しになるが、めちゃくちゃ香田に助けられていた。競う、敵対心のようなものが強く、ピリピリしがちだった一組の雰囲気を、和らげてくれていたのは、おおらかな香田のキャラクターだったはずだ。
急いで上位からの名前を確認していった。一人は、二組の上位にいた女子。一組に仲の良い女子生徒がいて、しょっちゅう遊びに来ては、来期は同じクラスになろう、頑張って、絶対一組に来るね、と話していたのを聞いている。こいつは、間違いなく一組行きを希望する。もう一人。今まで一組にいなかった名前を探して視線を動かす。あった、こいつだ。早瀬浩人。おとなしそうで、飄々と、人当たりはいいが群れもせず、何を考えているのかよくわからないタイプのヤツ。なんとなく、面倒を嫌いそうな、無気力な印象を受ける。もしかしたら、クラスが変わるのは面倒だから二組に残る、と言い出すかもしれない。クラスマッチも二組でやったんだし、チームワークとか、そういうのだって育んだわけだろ? 少なくとも俺の記憶では、早瀬が一組のヤツと親しげに話しているところも、うちのクラスでその姿を見た事もない。一組の最後列の席より、二組の最前列角席の方が居心地いい、というヤツもいるだろう。二組行きが、香田以外だったのなら、きっとここまで不安になったりはしなかった。香田がいなくなるという事は、自分で思っていた以上にショックだったらしい。直接本人には言えないが、思わず強く願ってしまう。早瀬、いまさら、こっちに来なくてもいいだろう。どうか、そのまま二組に残留してくれ。