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 仕方がない、なんていう言葉は大嫌いだ。選びたくもないのに、他に選択肢がないから嫌々それを選ぶしかない、なんて、負け犬もいいところ。誰だって、真っ先に、一番気に入った物を選びたいはずだ。二番目、三番目、と、打算の割合が大きくなる程、人は卑屈に慣れていく。それが人生の分岐点なら、なおの事。ここ数日、これから先の俺の人生で聞くはずの、ほぼ一生分の「仕方がない」を聞く羽目になった。イライラし過ぎて、世界中の言葉をシャットアウトしたいところだ。


「だって、仕方ないでしょう?」


 イラ。

 自室のベッドに仰向けに寝転がり、天井を見ていると、階下から母親の声が聞こえて来た。誰かと、多分、叔母か友人辺りと電話で話しているのだろう。母が「仕方なく」事前に用意していた滑り止めの私立高校の入学金を、「仕方なく」早急に振り込みを済ませてきた、と告げている。


「ちゃんと、予防接種だってしたわよう。けど、気管支炎じゃねえ、熱だって、三十九度近く出ていたのよ? 県立の試験、受けられただけでも。そうね、成績的には大丈夫だろうって言われていたし」


 思わず、両掌で顔を覆う。啓徳大学付属高校。県内一の偏差値を誇る、公立の進学校。国公立の大学を、もちろん、啓徳大を目指すには、ベストな高校だった。入試当日に、あんなひどい熱さえ出さなければ、母校になるはずだった。

 何のために。何のために、中学に入ってからずっと、勉強漬けの毎日を過ごして来たっていうんだ。年が明けてからは体調管理にかなり気を使っていた。極力人混みには出かけなかったし、勉強も、少し早めに切り上げて睡眠をとるようにしていたし、うがいや手洗いだって。なのに。

 もう何度も繰り返してきた思考を、玄関のチャイム音が遮った。母親の、はあいと答える声の後、階段を上ってくる足音に、さらにイライラが募っていく。


「拓実。あら、寝ていたの? 千尋君が来たわよ」


 母の告げた名に、一瞬体が強張った。ベッドの上に寝転んだまま、二人のやり取りを聞いた。


 せっかく来てくれたのに、もうこの子ったら。

 いいんです、僕も急に来ちゃって。

 何か飲み物持ってくるわね、ゆっくりしていって。


 トントンと階段を降りていく母親の足音が遠ざかると、自室のドアが静かに閉ざされた。その内側に、人の気配がある。


「たくちゃん、まだ具合悪い?」


「や、まあ、別に」


 おずおずと掛けられた言葉に、我ながらワザトラシイ大きなため息を吐いてからそういって、のろのろと起き上がった。ちらりと表情を窺うと、悪い事をして職員室に呼び出されたみたいなカオをしている。元々白い肌が、さらに色を失くして蒼ざめて見える。


 イライライライラ。


 停滞中の鬱屈は、間もなく大荒れになるでしょう。ああ、なんでこんなバカげたセリフが浮かんでくるんだ。


「千尋、啓徳受かったんだってな。おめでと」


「ごめん」


「別に、嫌味で言ったわけじゃねえけど」


「うん、ごめん」


 肩が重い。肩だけじゃない。全身が。爆発すれば、余計惨めになるだけだ。


「なんで、謝ってんの?」


「だって、僕のせいで」


 僕のせい。思い上がるなよ、立花千尋。もはや、苛立ちも限界に近い。細い黒い髪と、小さく尖った顎を持つ、華奢な幼馴染から視線を逸らした。

 家が近所で、幼稚園から一緒で、体が弱く臆病で、いつもオドオドと俺の後をついて歩いていた。名前とその容姿のせいで、小、中学でつけられたあだ名が、何のひねりもなく「オカマ」。いつも一緒にいる俺も、オカマの仲間と囃し立てられていたけれど、そんな事は俺にとってたいした問題じゃなかった。バカに構っていられない、啓徳の高校から、大学にいくんだ、という目標があったから。

 そこまで記憶を辿って、急速に、二年の冬休み頃の事が蘇った。


「僕も、たくちゃんと同じ学校に行きたい」


 ちょうど今から一年くらい前、そう言い出した千尋の成績は、学年で中の上程度だった。元々のんびり屋でマイペース。勉強は最低限の予習復習と宿題くらい、趣味に使う時間の方が多い、という割には、まあまあの成績をとっていた方だろう。それが、啓徳に? 目指すのは勝手だから、へえ、まあ、頑張れば? と応えた。それから千尋と一緒に勉強する事が増えた。俺と同じ塾に通い、同じコマをとって一緒に行こうと誘ってくる。お互いの家で参考書を広げたりもした。そんなこんなで、俺は高め安定、千尋の成績も、夏休み明けにはぐんと伸びた。


「高校でも、たくちゃんと一緒になれるかも」


 千尋がほっとしたように、うれしそうにそう告げたのは、二学期も終わりに近くなった頃に行われた模試の結果が出た時だった。年が明け、お互い滑り止めの私立高校に合格した。その結果が発表された数日後の夕方だった。夜半には雪になるかもしれないという、冷たい雨が降っていた。ふいに俺の家を訪れた千尋は、小さく咳をしていた。


「風邪、ひいたのか?」


「え? ああ、ちょっと。でも、いつもの咳だよ」


 気にしないで、と、弱々しく笑っていた。確かに、千尋は、しょっちゅう咳をして微熱を出していた。けれど、今は人生の岐路と言っていいくらい大事な時期だ。


「あんまり、無理すんなよ」


 そういうと、ありがとうと礼を言って、少し赤い頬で弱々しく笑って、また、小さく咳き込んだ。その日の夜、千尋は高熱を出した。後は、ご察しの通り。俺も奴から数日遅れで小さく咳が出始め、県立高校受験の前日、高熱でダウン。ギリギリセーフで復調し、万全といえないまでもちゃんと試験を受ける事ができた千尋は合格、高熱で目がかすみ、当然、まったく集中できないどころか、時折意識が飛んでいた俺は不合格。受験は運次第ってわけだ。


「僕が、たくちゃんに風邪、うつしたから。それに」


 それが言いたくて来たのか。言葉の主をちらりと見る。


「それにもし、僕が啓徳を受けていなかったら、もしかしたら」


 その言葉に、かあっと、一気に血液が逆流したような感覚を覚えた。


「合格者の枠が、一人分空いて、俺が受かったかもしれない、って?」


「ごめん」


 きゅっと唇を噛んで俯く千尋に、感情を抑えていたタガが飛んだ。


「何をしにここへ来た? 可哀想だって同情しにか? 自分の罪悪感を、消すためか? 許されて楽になりたいからか? お前が謝って、それで、俺はどうすればいいんだよ。怒ってない、お前のせいじゃないと笑って許せばいいのか?」


「違う、たくちゃん、僕は」


「風邪は、どこでだって流行っている。たまたまタイミングが近かっただけで、お前からうつされたとは限らないから気にするなって、前に言ったよな? それだけじゃ、まだ不満なのか?」


「そうじゃない、ただ」


「お前のせいだって言って欲しいのか? 俺が熱を出したのも、受験で力を出せなかったのも、啓徳、落ちたのも、お前が、俺が入るはずだった枠を奪ったって、全部お前のせいだっていえば満足か!」


「拓実!」


 いきなりドアが開いて、ガラスのコップを乗せたトレイとペットボトルを持った母が入ってきた。眉をしかめ、キツイ目で睨んでくる。


「なんてことを言うの。千尋君に謝りなさい。千尋君のせいにして、どうなるっていうの? 情けないと思わないの? 過ぎちゃった事は、仕方ないじゃないの」


 いまさら蒸し返しても仕方ない。そうだよ、わかっている。アンタに言われるまでもない。これは八つ当たりだ。情けなくないのかって? 情けないよ。情けなくないわけないだろ。千尋は、怒りまくっている俺の母親に、違うんです、とかなんとか言おうとしていたが、勢いに押されて、半分涙目のまま帰っていった。


 中学最後の春休みは、長いけれどあっという間に終わる。千尋とは話さないまま、俺は仕方なく、滑り止めで合格していた蓬泉学園に入学した。

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