本音が零れたなら
結局、彼女と次郎の好意を無碍にする事は出来ずに風呂と着替えを借りる事になった。
熱いシャワーで体中にまとわりついた汚れを洗い流す。傷に染みてピリピリと痛んだが、心は弛んだ。土砂降りの雨は体だけでは無く、心までもを冷やしてしまっていたらしい。
「あ。もう上がったの?よく温まった?」
居間では彼女が待っていた。
先程までとは違う服を着た彼女は、湯気の上がるマグカップを片手にふわりと笑う。
「先に使わせて貰ってごめんな」
「そんな気にしないでいいのに。私はそんなに濡れてなかったし、全然平気。それよりほら、腕出して」
「え?」
「怪我、してたでしょ?」
驚く假屋の腕をとり、袖を捲る。血こそ流れてはいないが、そこには確かに裂傷があった。
自分自身でさえ気付かなかった傷に、よく彼女が気付いたものだと思う。驚き、感心している間に彼女は手際良く消毒をしてガーゼ付絆創膏を貼り付けてしまった。
「じゃあ、次は足ね。どっち?」
「右だけど……凄い手際いいな。もしかして、こういうの慣れてる?」
「まあね」
苦笑する彼女は、假屋の腫れた足首に湿布を貼って器用に包帯で固定していきながら話してくれた。
「次郎がね、昔はよくこんな怪我ばかりしてたもんだから。うちって昔から両親が共働きなの。だから手当てするのはいつも私でね、いつの間にか慣れちゃった」
「へえ、アイツそんなにやんちゃだったんだ?」
「びっくりするでしょ?」
今でこそ優等生キャラな次郎にもそんな過去があったとは思わなかった。お互い、再会するまでは似たようなものだったのかも知れない。知っているようで、まだまだ知らない事はたくさんある。よく考えてみれば次郎とは長い付き合いのようであるが、そうではない。時間に換算してみれば、現代の自分達よりも記憶の中の彼等の方が長く過ごしているのだ。
「それにしても、假屋くんって喧嘩強いのね」
「……なんで?」
「思ったより怪我が少ないから」
はい、終わり。
そう告げて彼女は笑顔を見せた。
「ありがとう」
それ以外になんと言えば良いのか分からなくて、曖昧な表情を浮かべる。その時、頭の中にふとした疑問が浮かんだ。
「……なあ、何で俺なんかを助けてくれたんだ?」
假屋は彼女の事をあまり知らない。次郎という接点のみで繋がる、友人とすら呼べないような関係だ。言うなればただの同級生。
記憶の事もあり、敢えて積極的に彼女に関わろうとは考えていなかったし、むしろ近付くべきではないと假屋は考えていたから、その結果としては当然である。それでも彼女が気になって。次郎を使ってその無事を確かめてはいたが、一歩間違えばそれはストーカーと同じだと次郎に指摘されて密かに凹んでいたのは、假屋だけの秘密である。
そんな薄い関係性の彼女が假屋を助けてくれたのだから、その疑問が浮かんだのは必然と言えるだろう。
そんな假屋の疑問に対して、彼女の返答はかなりあっさりとしたものだった。
「假屋くんだったから」
「え、?」
「假屋くんだったから、助けたのよ。他の人だったらきっと何もしなかった」
「なんで、俺?」
「……いつも、次郎がお世話になってるから」
そうして彼女はほんのりと笑った。なんだかちょっぴり誤魔化されたような気がするのは気のせいだろうか。
「とにかく、助かったよ。ありがとう」
「どういたしまして。そんな改まってお礼言われる程の事はしてないんだけどな」
「いや、充分過ぎるほど世話になってるから。もし良ければ……今度、何か礼をさせて欲しいんだが」
おずおずとそう切り出せば、彼女は驚いて首を横に振った。
え、なんでだ。
「いやいや、そんなの良いって!私が好きでしたわけだし。ね?」
「そんな訳いくか。俺の気が済まないっての」
「だって、いや本当になんか悪い気がするから。ね?」
「くどい。もう決めた。うん、決定。さ、何が良い?」
にっこりと笑って話題の退路を塞ぐ。この事に関しては、俺の方に決定権があるだろう。助けられて、はい終わりなんてそんなの俺が許せない。
「何がって……?」
「分からないふりすんなよ。礼として貰うなら何が良いんだ?」
「だって悪いよ……」
「悪くない。これこそ俺の勝手だし」
だからって退く気は無いんだが。
ここまで世話になっておいて何も返せないなんて状況は本当に御免だ。礼は倍返し、っていうのが一応は信条だったりする。
そんな假屋を前に心底困ったような顔をしていた彼女は、ひとしきり唸ってから何かを決めたように顔を上げた。
「決めた」
ふと視線が重なって、彼女のその目に映る光に一瞬引き込まれる。ああ、やっぱりこういうところは変わらないな。次郎と同じで、強い目をしている。
そんな事を思っていたら突然、きゅっ、と手を握られた。予想外の行動に心拍数が跳ね上がる。
そして、
「私と友達になって下さい!」
「……へ?」
彼女の言葉も予想外過ぎた。
「私、ずっと假屋君と仲良くなりたかったの。次郎ばっかり仲良くしちゃってズルい」
「や、ズルいってそんな」
「それに、なんか私の事避けてたような感じだったし……」
ずい、と詰め寄られて思わず仰け反る。
「そんな事無いって、」
実際にはかなり図星だけども。そんな事を本人を目の前にして言える筈も無く、
「じゃあ、友達になってくれるよね……?」
彼女の言葉に頷くしか、假屋には出来なかった。