俄かに色めき立つ夜
「次郎……、次郎ッ!ちょっと居ないの⁈」
乱暴に玄関のドアが開く音がしたかと思えば、酷く焦った様子の姉の声が響いて、次郎は慌てて玄関へ走った。そして目にした光景に一瞬、声を失う。
「假屋さん⁈」
姉の肩を借りて立つ假屋の姿はずぶ濡れで、血と泥に塗れていた。
「ちょ、どうしたんですか⁉」
「いいから早くタオル‼救急箱もついでに持って来て!」
「わ、分かった!」
姉に一喝されて走っていく次郎の姿を見ながら、假屋は遠慮がちに声を上げた。
「あのさ、俺は大丈夫だから」
「足引き摺って歩くような人が何を言ってるのよ。いいから、ここに座って」
「……ハイ」
やばい、怖い。
有無を言わさぬ声に逆らう事など出来る筈も無くて、促されるまま玄関の上り口に腰を下ろした。ジワリと床に水が広がる様子に、罪悪が芽生える。
「とりあえず、上着脱いで」
「へ?」
「そんな濡れたままの着てたら風邪ひいちゃう」
「いや、平気……」
「見てるこっちが平気じゃないのよ。脱いで、ほら早く」
「分かった!分かったから、引っ張らないでくれ」
ぐいぐいと服を引っ張る彼女を必死で制して、濡れたシャツを脱ぐ。途端に彼女が息を飲んだ。
「……痣が、」
「こんなの怪我の内には入らないって」
「痛くないの?」
「慣れてるから、別に」
「……嘘つき」
そう言って彼女は目を伏せた。
不意に訪れた沈黙を持て余していると、次郎がタオルを手に戻ってきた。
「はいこれ!姉さんも假屋さんも早く体拭いて……って、なんで假屋さん脱いでるんですか⁉」
ぎょっとしたように假屋を見る次郎の目は訝し気で。
「……おまえ、なんか誤解してないか」
疚しい気持ちなんて無いぞ、と目で訴えてみる。このシスコンめ。
「私が脱がせたのよ」
「姉さん⁈」
「濡れた服なんていつまでも着てたら風邪ひくでしょうが!早くタオル寄越しなさい‼」
彼女はそう怒鳴ると、次郎の手からタオルをひったくるように奪って假屋に押し付けた。
「ごめんね、馬鹿で」
「いや、ありがとう」
借りたタオルで体を拭いながら、苦笑する。
「俺はもう大丈夫だから、着替えてきた方が良い」
「え?」
「女の子が身体を冷やしては駄目だろう?」
途端、彼女の顔が赤く染まった。
「……っ、」
「大丈夫か?なんか顔が」
「だ、大丈夫。えーっと、私も着替えてくる!次郎、後はお願いね!」
慌てたようにそう言うと、彼女はタオルを片手にその場を急ぎ足で離れた。その背中を半ば呆然と見送る。
「……俺、なんかしたかな?」
「無自覚ですか」
次郎の視線は相変わらず痛かった。