ろくでもない記憶
俺には記憶が二つある。
一つは物心ついた頃から現在に至るまでの“現代”の記憶。もう一つは現代に生まれる前、遥か数百年前を生きた男の記憶だ。おそらく、俗に前世の記憶とか呼ばれるもの。
生まれ変わってまでこの身に残る過去の記憶は、現代を生きる俺にとって酷く疎ましいものであった。
けれど、
「假屋くん、ちょっといいかな?」
「……ああ。何か用?」
「弟からこれ、渡しておいてくれって。ごめんね、何だかいつもお世話になってるみたいで」
「いや、別に。……わざわざありがとな」
「ううん、こっちこそ。じゃあ、また」
手渡されたスポーツ雑誌を手に笑顔を作る。
会話の受け答えはぎこちなくなかっただろうか。ちゃんと笑えていただろうか。
そんな事をぐるぐると思いながら、廊下の向こうへと消えていく少女の背中を見送る。そうして内心でそっと溜息を吐いた。
疎ましくも捨てることの出来ない前世の記憶に一つ感謝をするならば、彼女と再び出逢えたことを思う。
もう一度、逢えるなんて思ってもみなかったから。
だから、もうそれだけで良いんだと自分の心に嘘を吐いた。
「どうしてですか」
「……何がだよ」
「何がってもちろん、姉さんの事ですよ」
放課後、次郎により引き摺られるようにして訪れたファストフード店の片隅で、俺は淡々と尋問をされていた。
「人がせっかく作った機会を次から次へと無駄にして……実はヘタレですか、あなた」
「おい、」
「いい加減、もう少しくらいなんとかならないんですか。確かに姉さんには俺達のような過去の記憶は無いですけど、それはそれでどうとでもなるでしょう?」
「あのなぁ、お前も俺の話を少しは聞けよ」
疲れたように呟いた俺を次郎が静かに睨みつける。
「何を聞けと言うのですか」
ざわざわと煩かった周囲の喧騒がふと遠くなる。
ああ、この瞳は昔と変わらないな。
「そういうところ、あなたは昔と全く変わらないのですね。あの頃も、そうやって逃げていた」
ねえ、そうでしょう?
そう問いかける次郎のその瞳の奥に映るものが、俺にも見える。
あの懐かしくも遠い、愛しい日々。
そして、
「……假屋さん、」
「あ、……」
心配気な次郎の声に、はっと我にかえる。ヒヤリとした汗が頬を伝った。
「大丈夫ですか?」
「……おう」
知らず詰めていた息を吐いて、額を押さえる。耳に心臓の音が響いてうるさい。
何か言いたそうな次郎を無言で制して、いつの間にか乱れていた呼吸を意識して整える。呼吸の乱れは精神の乱れに繋がるというのに、全くなんてザマだと自嘲した。それほどに、今の俺は不安定なのだと改めて思い知る。
大切なものがあれば、人はその分だけ強くなるのだと思っていた。けれどもそれは、諸刃の剣でもあるのだ。きっと。
「悪い、今日はもう帰るわ」
目の前に座る次郎の顔を見る事が出来ないまま、席を立つ。
いま、こいつはどんな顔をしているのだろう。
頭の片隅でぼんやりとそんな事を思いながら、夕暮れの街中へと足を向けた。