第一章 ②異世界へと越えて Ⅱ
俺は今、メイドのシアさんが持って来てくれた昼ごはんをすごい勢いで食べていた。
腹が減っていたのは確かだが、目の前に広がる料理の数々が今まで見たこともないように豪勢な品々だったから、腹の許容量を超えてもまだがっついていた。
「……いやあ、見事な食べっぷりで」
シアさんも一緒に食べているのだが、俺のあまりの勢いに軽く引いてるようだった。
「いや、だってうめーっすもん。こんな……ホラ、この肉だって。俺なんていつもスーパーで百グラム百円の豚肉しか食ってませんでしたし」
別に、金には困ってなかったが。
俺の父さんはもうこの世にいないし、母さんは仕事で海外を飛びまわって全然連絡もよこさないし。
いつ父さんが残した貯金が無くなるか……そう考えると無駄遣いはあまりしたくなかった。
――そういや、俺がここに来たって事は向こうの俺はどうなってるんだろう?
ゲームとかでの展開じゃ、カプセルに入ったまま意識喪失……てのが妥当なところか。
「そういや、デニスさんはまだこないんですか?」
一度部屋に来たことは来たのだが、用意することがあるとかなんとか言って出て行ってしまった。
どうやら昼ごはんは事前に済ませてあったみたいで、別に俺と一緒に食おうとかそういうものではないらしい。
……一緒に食おうとか何とか言っていた気がするのだが。
「確かに、お嬢様遅いですねー。けど、例によって私にも何も聞かされてないので……」
どうやら、シアさんにもわかりかねるらしい。
しかし……こんな個室で、何の用があるのだろうか?
「私、ちょっと見てきますね」
そう言って立ち上がる。
「ああ、いいですよ無理しなくても。別に催促したわけじゃないですから」
部屋を出ようとするシアさんは引きとめようとした瞬間――
「――きゃあ!」
短い悲鳴を上げる。
シアさんを引きとめようとした時、メイド服の裾を踏んでしまい、倒れそうになってしまう。
「だ、大丈夫ですか?」
それを俺は見事にキャッチ。
どうやら身体能力はバーチャル空間の時と同じ様で、普段と比べて格段に反応速度が上がっていた。
「だ、大丈夫です~。すみません……」
幸か不幸か抱き止める格好になってしまってお互いに気まずい空気が流れる。
俺も、早く離れればいいものを、どうすればいいのかどうかばかり考えてしまって、結局動けずにいた。
「――ふう、ごめんなさいお待た、せ……あら、お邪魔だったかしら?」
そして狙ったように入ってくるデニスさん。
勘弁してくれ……。
◆◆
「ごちそうさまでした!」
途中色々あったが、何とか食い終わった。
そして、胃袋が許す限り(許容量は軽く超えていた気がするが)食べまくった俺を見て。
「吃驚するくらい食べましたね……」
「本当に。差し詰め、ブラックホールストマック、略してブラストって辺りかしら」
姉さんさすがにそれは訳わかんないです……。
「……えっと、デニスさん。俺に何か話があるんですよね?」
ダラダラと過ごすだけなのも悪いだろうと思い、こちらから切り出すことにした。
「――そう。そうね、大事な話があるわ」
先ほどまでとは声色が違う。
声が冷蔵庫で冷やした鋭利な刃物へと変貌したかのよう。
そしてデニスさんはおもむろに立ち上がり、赤い髪を靡かせ、右手を腰に当てる。
無駄に壮大で、無駄にカッコイイ。
その“無駄”にあるいみ惚れこんでしまっている俺も俺だが。
「私はね、回りくどいのは好きじゃないの。だから、本題から言わせてもらうわ」
俺は生唾を飲み込む。この先に、何が待っているのか。
この赤い髪の女性からなんという言葉が紡がれるのか。そしてそれは、俺に何を意味するのか。
デニスさんは、間というものを心得ているのか、中々もったいぶって続きを言おうとしない。
そして、俺の緊張が頂点へと差し掛かる直前、彼女の口が開く。
「……和久の唇にソースが付いてるのがすごく気になるのだけど」
「なんだそりゃ!」
緊張して損した気分だ。
――大体、ソースなんて……あ、本当についてる。
ここは恥ずかしがるべきなのか突っ込みを入れるべき場面なのかイマイチ要領がつかないが、間を外された事によって緊張はどこかに飛んでいってしまった。
俺がソースを拭き取ったのを確認してから、デニスさんは話を再開する。……以外に神経質だったりするのだろうか。
「――こほん。えっと、貴方にお兄様の影武者をお願いしたいんです」
(あんなに引っ張っておきながら、間を外した後はさらりと言うんだな……まぁいいんだけど)
ていうか、影武者? 今、影武者って言ったか?
……ここ、日本じゃないよな。なんて質問が無粋なのは理解している。
「オニイサマのカゲムシャ?」
「ええ、オニイサマのカゲムシャです」
別に言い方真似しなくていいですって。
(……!)
そこで俺の頭に一筋の光が通ってしまった。
所謂、閃きというやつだろうか。いや、どちらかといえば妄想というべきか。
(ここに来てからを振り返ってみようか。
今重要な点を挙げると、俺はどうやら誰かに似ているらしい。
そしてそれはあの幼女……少女のお兄ちゃん、なのだろう。
そしてあの少女は三姉妹の三女。そしてデニスさんは二女。つまりデニスさんと少女は姉妹。
ということは少女が言ったおにいちゃんとはデニスさんのいうオニイサマと同じ人物……)
なるほどなるほど、と俺は一瞬で自己解釈をする。
俺が導き出した答え(妄想)は結局のところ、こうだった。
「つ、つまり。病弱なお兄さんに代わって顔の似ている俺に貴方たちのお兄ちゃんを務めて欲しいってこと――ですね」
くいっ――と眼鏡を指で上に押し上げる仕草をしたものの、今の俺は眼鏡をしていなかった。
傍から見れば情けない格好に映っただろう。
(そっか、バーチャルからそのまま来ちゃったから眼鏡はしてないのか)
今更になって気づくのもどうかと思うが。
「えっと、まあそうですね。そう解釈してもらっても差し支えありません」
やっぱりか……。俺の推理は正しかった、ってわけだ。
「ただ、お兄様は病弱ではないです」
「あ、そうなんですか」
「病弱ではないのですが……まぁ、あるいみ病気ではあります」
どういうことだろうか。
まぁ今はそれはどうでもいい。
「それで、具体的な仕事内容ってのは?」
お兄ちゃんの変わりなのだから、添い寝とか、一緒にお風呂に入るとかだろうか。
妹も姉もいない俺にとってそんな待遇はパラダイスに違いないのでもうこの時点で断ろうとは考えていなかった。
「仕事内容は、お兄様に変わって男爵としてのフリをしてほしいのです。あとは、まぁ……貴族としての義務の変わりを」
……添い寝じゃない……だと…。
それに男爵のフリって。平和な日本で一般市民として育った俺にとって、とても難しいんじゃないだろうか。
「あの、でも俺、行儀作法とか、全然」
「そこは心配ありませんよー。私たちメイドがしっかりと叩き込ませてもらいます」
デニスさんの後ろからすすっと出てくるメイドのシアさん。
……さっきまで一緒にこの部屋にいたのを忘れていた。
「……わかりました。今のところは、ここからどうやって元の世界に戻るのかわからないし」
(このまま外に出たところで餓死するだけなのは目に見えてるからな)
密かに、貴族としての義務、の中に妹たちと添い寝することが含まれることも祈っておこう。
俺の承諾を得たことによって、デニスさん達は安堵の表情を見せている。
「ただ、何で影武者が必要なんです?」
「それは……、そうですね、貴方にもしっかりと話しておかねばなりませんね」
「私達アイアランド家は”現在“世襲型の貴族ですが――二十年ほど前までは貴族ではありませんでした」
……世襲型ってのはつまり親が死ねば子が爵位――偉い称号を自動的に受け継ぐって事。他にも一代貴族ってのがあるが、それはそのまま、親が死ねばそれで終わり。
子がそのまま受け継ぐことはないってな具合。
「普通に功績が認められ、成り上がったのなら別に普通の事なのですが、私達の家はちょっと特殊でして……」
特殊……、ということはつまり。
「それを快く思わない人たちがいるってことですか?」
「はい……」
貴族ってのは誇り高い。別の言い方をすると、プライドが高い。保守的な人物が多いのも特徴だろうか。
だからすぐに、出る杭は打とうとする。
「お兄様がご健在ならば、ちょっとした嫌がらせとかはあるものの、目立った事はしてこないんですが……」
「いなけりゃ、派手な事を仕掛けてくる、と?
「はい。元々、貴族になれたのは殆どお兄様の御陰ですから。そのお兄様がいないと知れば、どうにかして貴族から引き摺り下ろそうとするはずです」
……どんな特殊な成り上がり方をしたのだろうか。流石にそこまでやられるのは異常だと思うが。
「……それにしても、異国の方ですのにやけにお詳しいですわね?」
「それは、ははは」
(小説でこういうのはよくあるよなー)
なんて言えないので、愛想笑いを浮かべて誤魔化しておく。
「――取り敢えず、事情はわかりました。俺にできることなら、お受けします。いつまで、かはわかりませんが」
そりゃあ、こんな美人な人に頼まれたんだから断るわけにはいかないだろう。
「ええ、とても助かりますわ。 では、これから貴方には公の場では爵位名を名乗ってもらう事になります。まぁ身形をしっかりとしてもらって作法を叩き込んでから、になりますが」
爵位名ってのは本名の他に名乗る通名のようなものだ。
普通は持っている領地の名前+爵位を名乗るのだが、最近は名字と爵位を名乗るケースが増えているそうな。
「お兄様の爵位名は 『soar spear』 天翔る槍です」
普通じゃねええええ。絶対、領地の名前じゃねーし。名字もアイアランドですよね?
なんだよ、ソアースピアー男爵ってなんだよ。
あれ……かっこ、いい?
「いやいやいや……」
「だ、だめ……かしら?」
さっきまであんなに気高かったデニスさんが、今は少し涙目になりながら俺のことを上目遣いで見上げている。
……胸、全然ないな。
「……仕方ないです、ね。わかりました、お受けしましょう」
これは別に、俺が貧乳好きだったから受けたわけじゃない。一人の紳士として困っている胸を…じゃなくて、か弱い女性を守ろうとしただけだ。
「……やったわシア。作戦成功よっ」
「やりましたね、お嬢様。和久様はもうメロメロですよっ」
……あの、そういうことはもうちょっと小声でやって貰えませんか。
いい様に嵌められてしまった俺は苦笑いしつつ。
何だかんだで貴族という役職に興味があった俺にとって、この先起こることにある種の期待を寄せずにはいられなかったのだった。