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プロローグ――島の子の夢


また、この夢。


いつのまにか島に立っていて、私はゆっくりまわりを見渡す。


毎日歩いている道も、灯りも、いつも通りそこにある。

観覧車の丸い影も、海沿いに並ぶ街灯も、遠くに見える塔の光も、ちゃんと見える。

いつもと同じ、私の島。


何度も見ている夢だから、ここが夢だってことはすぐ分かる。

景色だって見慣れている。

それなのに、見るたびに胸の奥がざわつく。どこかがおかしいって、夢の中の私にも分かる。


風の音がない。

海の音もない。

人の声も、街の音も、ぜんぶ聞こえてこない。


島が、息をしてない。


そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。

まわりが静かすぎて、自分の息の音だけがやけに大きく聞こえる。

それが、余計にこわかった。


その静けさの中で、ひらり、と青いものが落ちてくる。


青い羽。


空の色で、海の色で、この島みたいな色だと思う。

光がないはずなのに、その羽だけはかすかに青く見えた。


ヒヨリの羽だと思う。

それは、見た瞬間に分かった。でも、ヒヨリはいない。


見回しても、どこにもいない。

羽だけが、そこにある。


羽は地面まで落ちずに、途中で止まって、ゆっくり回りながら宙に浮いている。

まるで、見えない水の中にあるみたいに、ふわふわしていた。


気になって手を伸ばす。


触れられそうな距離なのに、指先が届く前に、羽が少しだけ遠ざかる。


あれ、と思って、もう一歩前に出ようとした。


そのときだった。


羽の向こうに、大きな影が広がっているのが見えた。


島ぜんぶをおおうみたいに、空と海のあいだいっぱいに広がっている。

もやもやしていて、ちゃんとした形は分からない。

雲みたいにも見えるし、煙みたいにも見える。

でも、そんなふわふわしたものじゃないことだけは分かる。


それは、そこにいる。


じっとしているように見えるのに、息をしているみたいに少しずつ揺れている。

吸って、吐いているみたいに、影の濃さが少しずつ変わる。


その揺れる影の中から、たくさんの目がこっちを見ている。


私は怖くて逃げたくて、がんばって手と足を動かそうとする。

でも、地面に足が貼りついたみたいに動けない。


足の裏だけが、変に冷たい。なのに膝は熱くて、うまく力が入らない。


呼吸が早くなる。

吸って、吐いて、吸って、吐いて。

ちゃんと息をしてるはずなのに、少しも足りない。


心臓の音も、どんどん早くなる。


どく、どく、どく、どく。


胸の中で、焦ってるみたいに鳴っている。

体の中まで、怖いって言ってるみたいだった。


それなのに。


影が大きくなるのに合わせて、さっきまで聞こえていた自分の音が、少しずつ遠くなっていく。


呼吸の音が遠くなる。

心臓の音も、さっきまであんなにうるさかったのに、だんだん聞こえなくなる。


どく、どく、どく――

どく――


気づいたときには、自分の音がほとんど何も聞こえなかった。


息をしているはずなのに、息の音がない。

心臓が鳴っているはずなのに、それもない。

私の中まで、止まってしまいそうで、怖い。


影は、さらに大きくなる。


だんだん、形がはっきりしてきて、そこに“いるもの”が分かってしまいそうになる。


私は、それを知ってはいけないと思う。


そう思うほど、目が離せなくなる。

見たくないのに、見てしまう。目を塞ぎたいのに、指ひとつ動かない。


もうだめだ、と思った、そのとき――


青い羽が、強く光る。


ぱっと夜の中に青い光がひらいて、暗かったはずの景色が一瞬だけ見えた。

止まった観覧車。静かな海。誰もいない通り。

そのぜんぶの前に、何人もの影が立っていた。


大人たちだった。


顔までは見えない。

でも、島の大人たちだと分かった。


私を守るみたいに、前に立っている。

風のないはずの夢の中で、その人たちの服の裾だけが少し揺れて見えた。


そのうちのひとりが、ふりかえった。顔が見える。


見たことのある顔だった。

ちゃんと知っているはずなのに、どうしても名前が出てこない。


思い出せそうで、思い出せない。

胸の奥だけが、変にざわつく。


その人は、まっすぐ私を見ていた。

それから、こちらに手を伸ばしてくる。


なにかを渡すみたいに。

私を迎えに来たみたいに。

あるいは、こっちへ来いって言うみたいに。


その瞬間、固まっていたはずの指先が、ほんの少しだけ動いた。


あ、動ける。


そう思ったとたん、息が戻ってくる。

止まりかけていた音が、胸の奥でいっぺんに鳴り出す。


どくん。


ひとつ、大きく鳴って、それからまた、自分の音が帰ってくる。


私もその手を取ろうとして、手を伸ばす。


指先が触れた、その瞬間――


羽の光がさらに強くなって、風が吹き始める。


最初は細い風だった。

でも、すぐに髪を巻き上げるくらい強くなる。

服の裾がばたばた鳴って、夢の中なのに、体が持っていかれそうになる。


島の静けさが、いっぺんにほどける。


どこかでガラスが割れるみたいな音がして、夜が裂けるみたいに白い光が広がって――


その一瞬だけ、見えた。


大きな足だった。

影の中から踏み出してくる、信じられないくらい巨大な足。

友だちと見た映画の、恐竜の足みたいだった。


目の前が何も見えなくなる。


白くなった。

何もかも、白い光の中にのみこまれていく。


それでも、まだ風だけは体にぶつかってきた。

ぐらりと足元が揺れて、落ちるみたいな感じがする。


息ができない。

声も出ない。


そのまま、どこかへ引っぱられるみたいに、体がふっと軽くなって――


目が覚めた。


息が浅くて、自分でもびっくりする。

布団を握っていた指に力が入っている。


窓から入ってくる潮風が肌にあたる。

少しひんやりしていて、ちゃんと朝のにおいがした。


下の階から、お母さんが料理をする音がする。

包丁の音。食器の触れ合う音。鳥の声も聞こえる。

遠くで、開園前のアナウンスが流れている。


島が、ちゃんと息をしている。


いつもの朝だ。

いつも通りの音も、風も、朝の気配も、ちゃんと戻っている。


それなのに、胸の奥に残る感じだけは消えない。


さっきまで夢の中にいたはずなのに、耳の奥にはまだあの静けさが残っていた。

音がある。風もある。みんなちゃんと動いてる。

なのに、どこかでまだ、止まったままの島が見ている気がする。


私は布団の中で小さく丸くなる。


やだな。


ただの夢じゃないってことは、もう知っている。

何度か話したこともある。

でも、そのたびに大人たちは困った顔をして、最後には「考えすぎだよ」って笑った。


本当にそうならよかったのに、と思う。


信じてほしいわけじゃない。

でも、ひとりで抱えているのも、少しこわい。


誰に聞かせるわけでもなく、私は胸の前で指を組んだ。


島の子は、小さいころから変なおまじないを覚える。


波が荒れないようにとか、

風が止まりすぎないようにとか、

誰かが無事に帰ってくるようにとか。


そんなの、本当に効くのか分からない。

でも、やらないよりはましだ。


「この夢が正夢になりませんように」


私は小さくおまじないをして、胸の奥のざわつきを抱えたまま、布団をぎゅっと引き寄せた。



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