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第6話 祈り


 夢を見た。

 孤児院の夢だ。

 わたしは、小さな女の子の手を握っていた。熱に浮かされた、か細い手。

「フィーネおねえちゃん……」

「大丈夫よ。わたしが、治してあげるから」

 わたしは、回復魔法を唱えた。

 淡い光が、女の子を包む。でも、熱は下がらない。咳は止まらない。

 何度も、何度も、魔法をかけた。

 でも——

「フィーネおねえちゃん……いたい……」

「ごめんね、ごめんね——」

 女の子の手が、力を失っていく。

 握っていた手が、冷たくなっていく。

「いやだ、いやだ——」

 わたしは、泣きながら魔法を唱え続けた。

 でも、女の子は——もう、目を開けなかった。

   *

 目が覚めた。

 頬が、濡れていた。泣いていたらしい。

 拭おうとして——腕がないことを、思い出した。

 毎朝、同じことを繰り返している。目が覚めて、腕を動かそうとして、何もないことに気づく。

 もう、三週間以上になるのに。慣れない。慣れることなんて、できない。

 窓から、朝日が差し込んでいた。

 今日も、一日が始まる。

 何もできない、一日が。

   *

 足音が聞こえた。

 階段を上がってくる、聞き慣れた足音。

 レイドさんだ。

 毎朝、同じ時間に来てくださる。どんなに疲れていても、どんなに遅くまで働いていても。

 わたしは、それが——嬉しくて、苦しかった。

 扉を叩く音。

「フィーネ、起きてるか」

「……はい」

 扉が開いて、レイドさんが入ってきた。

 手には、湯気の立つ器。今日は、何だろう。

「今日は粥だ。消化にいいからな」

「ありがとうございます」

 レイドさんは、いつものように椅子をわたしの傍に寄せた。

 匙で粥を掬い、わたしの口元に運ぶ。

 わたしは、口を開けた。

 温かい。優しい味がする。

 レイドさんの料理は、いつも優しい味がする。

「……美味しいです」

「そうか。よかった」

 レイドさんは、少しだけ笑った。

 その笑顔を見ると、胸が締め付けられる。

 こんなに優しくしてもらっているのに、わたしは何もお返しできない。

 回復役なのに。

 皆を癒すのが、わたしの役目なのに。

「どうした。口が止まってるぞ」

「あ、すみません」

 レイドさんが、また匙を差し出す。

 わたしは、機械的に口を開けた。

   *

 食事が終わると、レイドさんはいつものように言った。

「俺は依頼に行ってくる。何かあったら、カイナを呼べ」

「はい」

「夕方には戻る」

「……気をつけて」

 レイドさんは、頷いて部屋を出ていった。

 足音が遠ざかっていく。

 静寂が、部屋を満たす。

 わたしは、また一人になった。

   *

 一人になると、考えてしまう。

 あの日のことを。

 最深部で、あの魔物と遭遇した時のことを。

 セレナさんの腕が切り落とされた瞬間、わたしは駆け寄ろうとした。

 回復魔法を——

 でも、間に合わなかった。

 リゼットさんが、セレナさんを庇おうとして——目を——

 わたしは、叫んだ。

 二人を救わなければ。回復魔法を——

 その瞬間、魔物の爪がわたしに向かってきた。

 避けられなかった。両腕で顔を庇った。

 激痛。

 腕が——なくなっていた。

 それでも、わたしは魔法を唱えた。

 腕がなくても、詠唱だけで発動できる術式がある。孤児院で、独学で編み出した方法だ。

 止血の魔法。痛みを和らげる魔法。最低限の——命を繋ぐだけの魔法。

 それだけで、精一杯だった。

 傷を完全に治すことはできなかった。失った腕を取り戻すことは、もっとできなかった。

 カイナさんが、わたしたちを引きずって逃げてくれた。

 ダンジョンを抜けるまで、わたしは魔法を唱え続けた。

 三人の命を繋ぐために。

 自分の腕から血が流れ続けていることも、忘れて。

   *

 でも——結果はこれだ。

 セレナさんは、右腕を失った。剣士にとって、致命的な喪失。

 リゼットさんは、両目を失った。魔法使いにとって、致命的な喪失。

 わたしは、両腕を失った。回復役にとって、致命的な喪失。

 誰も、救えなかった。

 わたしがもっと強ければ。もっと早く動けていれば。もっと——

 考えても、仕方がない。分かっている。

 でも、考えてしまう。

 あの時、わたしに何ができたのか。

 もっと違う方法があったんじゃないか。

 わたしが——もっと、ちゃんとしていれば——

   *

 午後、リゼットさんが部屋に来た。

 壁を伝いながら、ゆっくりと歩いてくる足音。

「フィーネ、いる?」

「はい、います」

 リゼットさんは、手探りで椅子を見つけ、腰を下ろした。

 白く濁った目が、わたしの方を向く。見えていないはずなのに、不思議と視線を感じる。

「……今日は、調子どう?」

「いつもと、同じです」

「そう」

 沈黙が流れた。

 リゼットさんは、以前より穏やかになった気がする。あの傲慢だった人が、今はこうして——わたしのところに、来てくれる。

「ねえ、フィーネ」

「はい」

「あんた、魔法——使おうとしてる?」

 わたしは、息を呑んだ。

「……分かりますか」

「何となくね。魔力の揺らぎを感じる。あんた、夜中に練習してるでしょう」

 見透かされていた。

 わたしは、毎晩——皆が寝静まった後に、回復魔法を唱えようとしていた。

「でも、上手くいかない」

 リゼットさんの言葉に、わたしは頷いた。

 頷いても、見えないのに。

「……はい。詠唱しても、魔法が安定しないんです。途中で霧散してしまって」

「原因は分かってるの?」

「……多分、心の問題だと思います」

 わたしは、俯いた。

「腕がなくても、詠唱だけで魔法は発動できます。孤児院の頃から、そういう術式を使っていましたから」

「じゃあ、なぜ——」

「怖いんです」

 言葉が、口をついて出た。

「また、失敗するんじゃないかって。また、誰も救えないんじゃないかって。そう思うと——体が震えて、集中できなくて——」

 声が、震えた。

「わたし、あの日——皆を救えなかった。腕を失っても魔法を使い続けたのに、結局——」

「フィーネ」

 リゼットさんの声が、わたしを遮った。

「あんたが魔法を使い続けてくれたから、私たちは生きてる」

「でも——」

「でも、じゃないわ。事実よ」

 リゼットさんの声は、静かだが、強かった。

「あんたが止血してくれなかったら、私たちはあの場で死んでいた。あんたが痛みを和らげてくれなかったら、ダンジョンを抜ける前にショックで死んでいた。あんたが——」

 リゼットさんは、言葉を切った。

「あんたが、命を繋いでくれたのよ」

 わたしは、何も言えなかった。

「私ね、目が見えなくなって——最初は、死にたいって思った」

 リゼットさんの告白に、わたしは顔を上げた。

「でも、生きてる。こうして、あんたと話してる。それは、あんたのおかげよ」

「リゼットさん——」

「だから、自分を責めないで」

 リゼットさんの手が、探るように伸びてきた。

 わたしの肩に触れる。腕のない、包帯に覆われた肩に。

「私たちは、同じよ。目を失った私と、腕を失ったあんた。どっちも、自分の役割を失ったと思ってる」

「……はい」

「でも、レイドが言ってたわ。私たちには、まだ価値があるって。諦めるなって」

 レイドさん。

 その名前を聞くだけで、胸が温かくなる。

「だから——一緒に、頑張りましょう。私も、魔力だけで周囲を感知する方法を練習してる。目が見えなくても、魔法を使えるように」

「リゼットさんも——」

「ええ。レイドがあんなに頑張ってるのに、私たちだけ腐ってるわけにはいかないでしょう」

 リゼットさんは、少しだけ笑った。

 以前の傲慢な笑みではなく、穏やかな——優しい笑みだった。

「一人じゃ辛いことも、二人なら——少しはマシでしょう」

 わたしは、涙が溢れてくるのを感じた。

「……はい」

「泣いてるの?」

「はい……すみません」

「謝らなくていいわよ。私も、よく泣いてるから」

 リゼットさんの手が、わたしの肩を撫でた。

 ぎこちない動きだったけれど——それが、嬉しかった。

   *

 その夜、わたしはまた魔法を唱えてみた。

 目を閉じて、集中する。

 孤児院で、子どもたちを癒していた頃のことを思い出す。

 あの頃、わたしは——何を思って、魔法を使っていただろう。

 救いたい。

 ただ、それだけだった。

 目の前で苦しんでいる子を、救いたい。

 その想いだけで、魔法を使っていた。

 今は——どうだろう。

 また失敗するんじゃないか。また誰も救えないんじゃないか。

 そんな恐怖ばかりが、頭を占めている。

 だから、魔法が安定しないんだ。

 分かっている。分かっているけれど——

 怖い。

 また、誰かを失うのが。

 また、救えないまま——大切な人が、いなくなってしまうのが。

「……レイドさん」

 わたしは、小さく呟いた。

 レイドさんは、今日も依頼をこなしている。

 わたしたちのために、危険な仕事を引き受けている。

 ボロボロになりながら、わたしたちを支え続けている。

 わたしは——何もできていない。

 支えられているだけ。守られているだけ。

 回復役なのに。

 皆を癒すのが、わたしの役目なのに。

「……もう一度」

 わたしは、目を閉じた。

 詠唱を始める。

 救いたい。

 レイドさんを。リゼットさんを。セレナさんを。

 また、皆と一緒に——笑いたい。

 その想いを、魔法に込める。

 淡い光が、手のない腕の先に——

 揺らいだ。

 霧散しかける。

 でも——消えなかった。

 小さな光が、ふわりと浮かんでいる。

 回復魔法の、最も基礎的な光。

 傷を癒すには、全く足りない。

 でも——

「……できた」

 わたしは、泣いていた。

 小さな光を見つめながら、泣いていた。

 まだ、終わりじゃない。

 わたしには、まだ——できることがある。

   *

 翌朝、レイドさんが来た時——わたしは、初めて自分から笑顔を向けた。

「おはようございます、レイドさん」

 レイドさんは、少し驚いたような顔をした。

「……ああ、おはよう。今日は、調子が良さそうだな」

「はい。少しだけ——前に、進めた気がします」

「そうか」

 レイドさんは、柔らかく笑った。

「それは、よかった」

 その笑顔を見て、わたしは思った。

 この人を——守りたい。

 回復役として。仲間として。

 もう一度、この人の力になりたい。

 だから——諦めない。

 絶対に。

(第6話 了)


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