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第3話 傲慢


 事故から二週間が経った。

 俺は、彼女たちの住む建物に通い続けていた。毎朝、日が昇る前に起きて食事を作り、彼女たちの部屋に届ける。昼は依頼をこなし、夜は再び戻って夕食を作り、必要な世話をする。

 そんな日々が、続いていた。

 セレナは、相変わらず部屋から出てこない。食事は扉の前に置いておくと、俺がいなくなってから取りに来るようだった。少なくとも、食べてはいるらしい。

 フィーネは、少しずつ言葉を交わすようになった。まだ目に光は戻っていないが、俺が訪ねると小さく頷いてくれるようになった。

 そして、リゼット。

   *

「……また来たの」

 リゼットの部屋の扉を開けると、彼女はベッドの上に座っていた。白く濁った目が、俺の方を向く。見えていないはずなのに、足音で分かるのだろう。

「朝食を持ってきた。今日は粥にしてある」

「別に、頼んでないけど」

「食べないと体力が落ちる。食え」

 俺は、盆をリゼットの前に置いた。

 彼女は、しばらく動かなかった。

「……あんた、毎日毎日、飽きないの」

「飽きるとか飽きないとかの問題じゃない」

「私たちのために、そこまでする義理はないでしょう。もう、パーティの仲間でもないのに」

「仲間じゃなくても、友人だろう」

 リゼットは、口を閉ざした。

 俺は、彼女の手を取り、匙を握らせた。

「自分で食べられるか」

「……馬鹿にしないで。目が見えないだけよ」

 リゼットは、ぎこちない動きで匙を粥に沈めた。手探りで口に運ぶ。何度か匙が空を切ったが、やがて粥を掬うことができた。

 俺は、それを黙って見守った。

「……不味い」

「そうか。明日は味付けを変える」

「そういう意味じゃ——」

 リゼットは、言葉を切った。

 匙を持つ手が、小さく震えていた。

「……どうして」

 彼女の声が、掠れた。

「どうして、あんたはそんなに優しいの。私は、あんたに酷いことを言ったのに」

 俺は、答えなかった。

 代わりに、昔のことを思い出していた。

   *

 リゼットと初めて会ったのは、三年前のことだった。

 『蒼穹の剣』がBランクからAランクに昇格した直後。パーティの強化のため、セレナが新しい魔法使いを探していた時期だ。

 リゼットは、当時から有名だった。「百年に一人の天才」と呼ばれ、若くして宮廷魔法使いの候補にも名前が挙がっていた。しかし、その傲慢な性格が災いして、どのパーティとも長続きしなかった。

 セレナが声をかけた時、リゼットはこう言った。

「いいわ、入ってあげる。でも、足手まといは置いていくから、そのつもりで」

 そして、俺を見た。

 冷たい、見下すような目だった。

「特に、あなた。斥候? 器用貧乏の間違いでしょう。私の魔法があれば、索敵なんて必要ないわ」

 俺は、何も言い返さなかった。

 事実だったからだ。リゼットの魔力感知能力は、俺の索敵よりも遥かに優れていた。広範囲の敵を一瞬で把握し、魔法で殲滅する。俺が時間をかけてやることを、彼女は一瞬でやってのけた。

 最初の頃、リゼットは俺のことを完全に無視していた。

 作戦会議でも、俺の意見には耳を貸さない。ダンジョンでも、俺の索敵結果を確認せずに自分の魔力感知だけで進もうとする。

「あんたの出る幕はないのよ。大人しく後ろで見てなさい」

 何度、そう言われたか分からない。

 セレナは、リゼットを諫めようとしてくれた。でも、リゼットは聞く耳を持たなかった。

「結果を出しているのは私でしょう? 文句があるなら、私以上の成果を出してみなさい」

 反論できなかった。

 実際、リゼットが加入してから、パーティの攻略速度は格段に上がった。俺の存在意義は、ますます薄くなっていった。

   *

 転機が訪れたのは、加入から三ヶ月後のことだった。

 その日、俺たちはあるダンジョンの中層を攻略していた。

 順調だった。リゼットの魔法が、次々と敵を薙ぎ払っていく。俺は、ほとんど何もすることがなかった。

 だが、俺は妙な違和感を覚えていた。

 空気が、おかしい。何かが、潜んでいる気がする。

 俺は、セレナに進言した。

「セレナ、少し待ってくれ。何か——」

「何よ、また足を引っ張るつもり?」

 リゼットが、苛立たしげに言った。

「私の魔力感知に引っかからないものが、あるわけないでしょう。さっさと進みましょう」

「でも——」

「いい加減にして。あんたの勘なんて、当てにならないのよ」

 リゼットは、俺の言葉を遮って先に進んだ。

 その瞬間だった。

 床が、抜けた。

 いや、正確には——床に擬態していた魔物が、口を開いたのだ。

「きゃあっ!」

 リゼットの悲鳴が響いた。

 彼女の足が、魔物の口の中に沈んでいく。巨大な顎が、彼女を飲み込もうとしていた。

 俺は、考えるより先に動いていた。

 短剣を抜き、魔物の口に飛び込んだ。

 牙が、腕を掠める。激痛が走った。構わず、喉の奥に刃を突き立てる。

 魔物が、苦悶の声を上げた。顎の力が緩む。

「リゼット、今だ!」

 俺は、彼女の腕を掴み、引きずり出した。

 二人で転がるようにして、魔物から離れる。

 セレナの剣が、魔物を両断した。フィーネの回復魔法が、俺の腕の傷を塞いでいく。

 全てが終わった後、俺は地面に座り込んでいた。

 腕の傷は塞がったが、出血の影響で頭がくらくらしていた。

「……なんで」

 リゼットの声が聞こえた。

 顔を上げると、彼女が俺を見下ろしていた。その表情には、怒りとも困惑ともつかない感情が浮かんでいた。

「なんで、助けたのよ。私は、あんたに酷いことを——」

「仲間だからだ」

 俺は、それだけを答えた。

「仲間が危険な目に遭っていたら、助けるのは当然だろう」

 リゼットは、目を見開いた。

「でも、私は——」

「お前が俺をどう思っていようが、関係ない。俺は、お前を仲間だと思っている。それだけだ」

 リゼットは、何も言わなかった。

 ただ、その目に、今まで見たことのない色が浮かんでいた。

   *

 それから、リゼットの態度は少しずつ変わっていった。

 相変わらず口は悪かったが、俺の意見を頭ごなしに否定することはなくなった。俺が違和感を報告すれば、立ち止まって確認するようになった。

 ある日、ダンジョンからの帰り道で、リゼットが俺に話しかけてきた。

「……ねえ」

「何だ」

「あの時のこと。お礼、言ってなかったわね」

 俺は、少し驚いた。リゼットが素直に礼を言うなど、想像もしていなかった。

「別に、礼を言われるようなことじゃない」

「そういう問題じゃないの」

 リゼットは、俯いた。

「私、ずっと一人だった」

 唐突な言葉に、俺は黙って続きを待った。

「才能があるって言われて、周りからは持て囃された。でも、誰も私を見てなかった。私の魔法を、私の才能を見てただけ。私自身を見てくれる人なんて、いなかった」

 リゼットの声が、小さくなった。

「だから、私も誰も見なかった。才能のない人間なんて、見る価値がないと思ってた。でも——」

 彼女は、顔を上げた。

「あんたは、違った」

「俺?」

「あんたは、才能なんて関係なく、私を仲間だって言った。命を懸けて助けてくれた。そんな人、初めてだった」

 俺は、何と言えばいいか分からなかった。

「だから——」

 リゼットは、照れくさそうに目を逸らした。

「これからは、あんたの意見も聞くことにするわ。あんたの勘は、私の魔力感知より鋭いこともあるみたいだし」

「……そうか」

「何よ、その反応。もっと喜びなさいよ」

「いや、素直に嬉しいよ」

 俺がそう言うと、リゼットは顔を赤くした。

「べ、別に嬉しくなんてないわよ。ただ、パーティの効率を考えたら、そうした方がいいってだけで——」

「分かった分かった」

 俺は、笑った。

 リゼットは、ますます顔を赤くして、足早に先へ進んでいった。

 その背中を見ながら、俺は思った。

 この人も、本当は寂しかったのかもしれない。才能という壁に囲まれて、誰とも本当の意味で繋がれなかった。

 だから、俺にできることがあるなら——俺は、彼女の仲間でいよう。

 そう、心に決めた。

   *

 回想から戻ると、リゼットは粥を半分ほど食べ終えていた。

 相変わらず、ぎこちない手つきだった。でも、最初よりは上手くなっている。

「……何、見てるのよ」

「いや、上手くなったなと思って」

「……」

 リゼットは、手を止めた。

「……あんたって、本当に——」

「本当に?」

「何でもないわよ」

 リゼットは、残りの粥を食べ終えた。

 俺は、盆を下げようとして——リゼットの手が、俺の腕を掴んだ。

「待って」

「どうした」

「……少し、話を聞いて」

 リゼットの声が、震えていた。

 俺は、動きを止めた。

「私ね、目が見えなくなって——最初は、死にたいと思った」

 その言葉に、俺は息を呑んだ。

「魔法使いにとって、目は全てよ。魔力の流れを見て、敵の位置を把握して、術式を組み上げる。全部、目がなければできない」

 リゼットの手が、俺の腕を強く握った。

「でも、あんたが来てくれて——毎日、馬鹿みたいに世話を焼いてくれて——」

 彼女の目から、涙がこぼれ落ちた。

「少しだけ、生きてもいいかなって、思えるようになった」

「リゼット——」

「だから、お願い」

 リゼットは、俺の手を両手で握りしめた。

「見捨てないで。私を、一人にしないで」

 その声は、あの傲慢だったリゼットとは思えないほど、弱々しかった。

 俺は、彼女の手を握り返した。

「見捨てるわけないだろう」

「本当に……?」

「ああ。俺は、お前の仲間だ。三年前も、今も、これからも」

 リゼットは、声を上げて泣いた。

 俺は、その手を握り続けた。

 彼女が泣き止むまで、ずっと。

   *

 その日の夜、俺はギルドで依頼をこなした後、宿に戻った。

 ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。

 リゼットの言葉が、頭の中で繰り返されていた。

 「見捨てないで」

 「一人にしないで」

 あの傲慢だったリゼットが、あんな弱音を吐くなんて。それだけ、追い詰められているのだろう。

 俺は、拳を握りしめた。

 絶対に、彼女たちを救う。

 義眼を手に入れて、リゼットの目を取り戻す。

 義手を手に入れて、セレナとフィーネの腕を取り戻す。

 そして、また一緒に冒険に出るんだ。

 その時まで、俺は——

 倒れるわけには、いかない。

(第3話 了)


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