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商談は、麺が伸びないうちに。

作者: こばみず
掲載日:2026/01/22

「……で、御社の提案はこの金額ですか。話になりませんな」


午前11時50分。

麺通商事の第三会議室。


空調の音がやけに響く無機質な空間で、建設会社社長・権田慶介ごんだ けいすけは、突き返した見積書を指先でトントンと叩いていた。


対面に座る熱海蓮華あつみ れんげは、完璧にプレスされたスーツに身を包み、銀縁メガネの奥で冷静な眼差しを向けている――ように見えた。


だが、彼の内心は冷や汗で溺れそうだった。


(まずい……。雲行きが怪しい上に、時刻はもうすぐ正午。

この界隈のランチ戦争が始まる……!)


蓮華はチラリと腕時計を見る。


彼は極度のせっかちだ。

特に昼食に関しては、「並んでいる間に人生が終わる」と考えている。


このまま平行線の議論を続ければ、美味しいラーメンにありつけないばかりか、商談も決裂だ。


「社長、少し煮詰まってきましたね」


蓮華は意を決して切り出した。


「腹が減ってはなんとやら、です。一度場所を変えて、ランチでもいかがですか?」


「ランチだぁ? そんな気分じゃ……」


「私のとっておきがあります。

そこなら、今の御社に必要な『答え』が見つかるかもしれません」


蓮華の自信に満ちた(本当は早く店に行きたいだけの)表情に、権田は眉をひそめつつも腰を上げた。


「……ほう。そこまで言うなら付き合おうか」


蓮華は内心の焦りを隠しつつ、権田を連れて行きつけのラーメン屋へ向かった。


「ここです」


連れてこられたのは、ビル街の路地裏にひっそりと佇む『中華そば 誠』。

香ばしい醤油と鶏ガラの香りが、換気扇から漂ってくる。


「ラーメンか。嫌いじゃないが……」


二人はカウンター席に並んで座った。

注文を済ませると、権田はすぐにスマホを取り出し、部下へのメールを打ち始めた。


「あー、もしもし。あの件だがな……」


店内に通話の声が響く。


ピキッ。


蓮華の手が膝の上で握りしめられた。


(食事中、しかも着丼待ちの神聖な時間に仕事の電話……!?)


マナーに厳しすぎる蓮華にとって、それは万死に値する行為だった。

しかし、相手はクライアント。注意すれば契約は消える。


蓮華はプルプルと震えながら耐えた。


「おまちどうさま」


ドンッ。


目の前に『特製醤油そば』が置かれる。


透き通るような琥珀色のスープ。

美しく折り畳まれた麺。

まさに芸術品だ。


「……ふん、まあまあ美味そうだな」


権田は通話を続けながら、片手で箸を持った。


「(電話)ああ、聞いてるよ。それで……」


ラーメンを目の前にして、まだ食べようとしない。


(おい……! 早く食え! 麺が! 麺が死んでいく!!)


蓮華の脳内アラートが鳴り響く。


麺の寿命は提供後3分。

それを過ぎればコシは失われ、ただの小麦の塊になる。


だが、自分だけ先に食べるわけにはいかない。


「熱海くん、君も食べたまえよ」


権田はスマホから目を離さずに言った。


「は、はい……いただきます」


蓮華は焦っていた。

一刻も早くこの膠着状態を打破し、麺を救わねばならない。


そのためには、まず自分がスープを飲み、この場の空気を変えるしかない。


(熱いのは分かってる……だが、やるしかない!)


蓮華はレンゲを手に取り、熱々の油膜が張ったスープをすくった。


彼は業界でも有名な重度の猫舌。

唇が近づくだけで肌が粟立つ。


「ふー、ふー、ふー……」


「……君、さっきからうるさいな。早く食えんのか?」


権田が呆れたようにこちらを見た。


「くっ……!」


屈辱と焦燥。そして愛するラーメンへの申し訳なさ。

蓮華の理性が限界を超えた。


(ええい、ままよ!!)


彼は煮えたぎるマグマのようなスープを、一気に口内へと放り込んだ。


「ズズズッ!!!!」


激痛が舌を走る。

だが、それ以上に強烈な湯気が顔面を直撃した。


瞬間、蓮華の銀縁メガネが真っ白に曇り、視界が完全に遮断された。


「(あぐぅぅぅぅぅ――!!!)」


声にならない絶叫と共に、蓮華の意識は彼方へ飛んだ。


ガクンと一度頭を垂れ、次に顔を上げた時――そこにいたのは、気弱な営業マンではなかった。


「……おい」


曇ったメガネの奥から、ドスの利いた声が響く。


麺霊憑依メン・ポゼッション、完了。


権田が驚いてスマホを耳から離した。


「な、なんだ?」


「いつまでピーチクパーチクやってんだ。……麺が泣いてんだよ」


「は?」


「麺の話じゃねぇ。てめぇの仕事の『コシ』の話をしてんだよ!!」


バン!


とカウンターを叩く蓮華。

しかし、メガネが真っ白で何も見えていないため、彼は権田のいない「左斜め前のウォーターピッチャー」に向かって凄んでいた。


「あ、あの、私はこっち……」


「うるせぇ! 黙って聞きな!」


蓮華(ピッチャーに説教中)は止まらない。


「てめぇ、さっきの会議室での顔、見たぞ。

見積もりの数字ばっか気にして、現場の職人の顔を見てねぇだろ!

具材(社員)の良さを引き出せねぇスープ(経営者)に、客がつくと思ってんのか!?」


「なっ……」


権田は言葉を失った。

痛いところを突かれたからではない。

真っ白なメガネで、水の入った容器に向かって本気で説教しているサラリーマンの姿に圧倒されたのだ。


「いいか! ラーメンもビルも同じだ!

基礎スープが熱いうちに、魂込めて作り上げなきゃならねぇんだよ!

余計な不純物ノイズを入れてる暇があったら、目の前の一杯(仕事)に向き合え!!」


その言葉は、奇行に反して妙に熱く、権田の胸に刺さった。


そうだ。

創業当時の自分は、利益よりも現場の熱量を大事にしていたはずだ。

いつから数字ばかり見るようになったのか。


「……ふっ、手厳しいな」


権田は苦笑し、通話を切ってスマホをポケットにしまった。


「分かったよ。まずは目の前の一杯、向き合わせてもらうよ」


権田は箸を取り、冷めかけたスープを一口すする。


……美味い。

雑味のない、真っ直ぐな味だ。


ズズッ、ズズズッ。


権田は無心で麺をすすった。

やがて、丼を両手で持ち上げ、最後の一滴まで飲み干した。


ドン、と空の丼が置かれる。


「……『完まく』だ。熱海くん」


権田は満足げに息をついた。


「君の言う通りだ。見積もり、現場の意見を入れて作り直させてくれ。

少し高くなるかもしれんが、いいものを作る」


その言葉を聞いた瞬間、蓮華の体からフッと力が抜けた。


「……へ?」


我に返った蓮華。

目の前には、空になった丼と、憑き物が落ちたような顔の権田社長。


そして、口の中に広がる大火傷の激痛。


「(え、あれ? いつの間に食べ終わって……?)」


状況が飲み込めないまま、蓮華はまだ曇っているメガネを中指で押し上げた。


「……ごら、ごらっ、ごらっとく(ご納得)いただけましたか?」


「ああ、契約しよう。君のその熱意(と奇行)に免じてな」


権田はニヤリと笑い、席を立った。


蓮華はヒリヒリする舌を押さえながら、心の中でガッツポーズをした。


(よかった……契約取れた……! でも……)


彼は自分の手元を見た。


そこには、まだ手つかずで、完全に伸びきったラーメンが残されていた。


「(……あああああ!! 俺の特製醤油そばがぁぁぁ!!)」


営業エース・熱海蓮華の悲痛な叫び(心の声)は、昼時のラーメン屋の喧騒にかき消されていった。



【完】

最後まで読んでいただきありがとうございました!

もしよろしければ評価・感想よろしくお願いします!


※執筆補助としてAIツールを使用しています。

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