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第八話 孔舎衙坂の戦い

  決戦の朝が来た。

 好きな朝のはずなのだが、今朝ばかりは、どうにもならない。

 そもそも、周りのみんな夜が明ける前から、ばたばたしていて、

 気がついたら、太陽も高く登っていた。


 私もよく眠れなかったが、夜からずっとは震えが止まらなかった。

 今も、武具を身に着ける手が、恐怖で震える。


 「若様」


 タジが私を支えてくれた。


 「大丈夫です。必ず、お守りします」


 でも、タジの手も震えていた。


 孔舎衙坂に布陣した我が軍は、総勢三百。難波の津から孔舎衙坂の間には

 凡氏の兵が要所要所に配置され、敵を縦長に分断するように攻撃を繰り返す手筈である。

 

 しかし、敵の数は三千人。峠道の上から見下ろすと、黒い人の波が見えた。

 整然と隊列を組み、凡氏の兵をものともせず、ゆっくりと近づいてくる。


 「来たな」


 長脛彦が呟いた。

 彼は最前線に立ち、冷静に敵を観察している。


 敵の軍には赤い旗が翻っている。

 『天下布日』

 日ノ本に陽の光を布く、という意味だ。


 「全軍、配置につけ!」


 長脛彦の号令で、兵たちが茂みに身を隠す。

 私も物陰に隠れた。


 敵の先頭が、坂道にさしかかった。

 狭い道を、縦列で登ってくる。


 「まだだ……まだ……」


 長脛彦が小声で呟く。


 敵の半数が坂道に入った時。


 「今だ! 放て!」


 一斉に矢と石が降り注いだ。

 

 悲鳴が上がる。

 人が倒れる。

 血が流れる。


 私も石を投げたが、手が震えてうまく狙えなかった。

 

 でも、敵はすぐに体勢を立て直した。

 盾を頭上に掲げ、亀のように身を守りながら前進を続ける。


 「さすがだ」


 長脛彦が舌打ちした。


 「訓練が行き届いている」


 そして、敵陣から声が響いた。


 「皆の者! 無理に前進するな! 負傷者を後ろに下げろ!」


 その声は、若く、そして優しかった。


 「負傷した者は敵味方問わず手当てしろ! 無駄な血を流すな!」


 私は驚いた。

 戦いの最中に、敵の負傷者まで気遣うなんて。


 「あれが五瀬命……織田信長か」


 長脛彦が複雑な表情で呟いた。


 戦いは膠着状態に陥った。

 狭い坂道では、敵も容易に前進できない。

 しかし、我々の矢も尽き始めていた。


 その時、敵陣から一人の武将が前に出た。

 

 立派な鎧を身に着けた、若い男だった。

 兜を脱ぎ、素顔を晒している。


 「登美の諸君! 私は五瀬命! 聞いてくれ!」


 その声は、戦場に響き渡った。


 「私は戦いを望まない! 話し合おう! 共に、より良い国を作ろう!」


 私の心が揺れた。

 本当に、話し合いで解決できるのだろうか。


 「罠だ」


 長脛彦が弓を構えた。


 「戦場で甘い言葉を信じるな」


 「でも……」


 私が言いかけた時、長脛彦はすでに矢を放っていた。


 矢は風を切り、五瀬命へと向かう。

 

 直撃、と思われた瞬間。

 五瀬命がわずかに身をよじった。


 矢は心臓を逸れ、左腕に深々と突き刺さった。


 「うっ!」


 五瀬命が膝をついた。

 鮮血が、腕から流れ落ちる。


 「大将!」


 部下たちが駆け寄った。


 「大丈夫だ……」


 五瀬命は苦痛に顔を歪めながらも、声を上げた。


 「残念だがこれまでか、撤退! 負傷者を優先して運べ!」


 「しかし、大将!」


 「いいから行け! これ以上、無駄な血を流す必要はない!」


 敵軍が撤退を始めた。

 整然と、しかし迅速に。

 負傷者を抱えながら、坂を下っていく。


 「勝った……勝ったぞ!」


 我が軍から歓声が上がった。


 でも、私は複雑な気持ちだった。

 あの人は、本当に話し合いを望んでいたのではないか。


 「どうした」


 長脛彦が私を見た。


 「私たちは、間違ったことをしたんじゃ……」


 「戦に正しいも間違いもない」


 長脛彦の声は冷たかった。


 「生き残るか死ぬか。それだけだ」


 でも、その目には、何か別の感情が宿っているように見えた。


 「仕留め損なったな」


 彼は撤退する敵を見つめて呟いた。


 

 「これは勝利などではない。奴は必ず戻ってくる。次は、別の形で」

 「何故引いたのか。お互い消耗戦になるしかなかった。

 消耗戦になれば、兵力に勝る敵の勝利は間違いない。」

 「しかし、あいつは次を見ていたのだ。後ろにいる、葛城を」

 「あいつには、いっときの勝利などどうでもよいことなのだ。

 永続的支配。そのための手を確実に打ってくる。やはり怖い男だ」


 我々も当然、勝利の宴など開く余裕はなかった。

 負傷者の手当てと、次の攻撃への備えで、皆が忙しく動き回った。


 私は、戦場に残された血痕を見つめていた。

 「死んだものはいるか?何人死んだ!誰が死んだ!」

 

 これが戦争なのだ。

 人が傷つき、血を流し、時には命を失う。


 たとえ勝っても、心には虚しさと悲しみしか残らない。


 「若様」


 ミツキが水を持ってきてくれた。


 「ありがとう」


 水を飲みながら、私は思った。

 

 これで終わりではない。

 むしろ、始まりなのだ。

 しかし、私の心はもう耐えきれない。

 所詮平和な現代をぬくぬく生きてきた私に、目の前の過酷な事実を受け止めることはできずにいた。

 長脛彦がやってきた。


 「やっぱり随分落ちこんでいるようだな」

 「私にも、その気持ちは理解できる」

 「しかし、お前が生きていた時代に、戦争が無かったとでも思っているのか」

 「確かに日本では無かったかも知れない」

 「しかし、世界を見てみろ。こんなものではない、まさに虐殺が行われていたのではないか」

 「強者が弱者を踏み躙る戦争。それは虐殺だ。」

 「お前は知っていて見てこなかっただけではないのか」

 

 何も言い返せない。

 その通りだ。でも、だからと言ってこの現実も受け止めることはできない。


 「苦しめ!目を背けるな!そして、この現実を、お前の力で変えてみろ」

 「それができても、できなくとも、お前も俺も、苦しみ続ける」

 「今日はもう寝ろ」


 救いはなかった。しかし、この歩みを止めるわけにはいかない。

 心の中で、中曽根さんに感謝して、寝ることにした。

 眠ることはできないけれど、より大きな、そして困難な戦いを前にして、

 歩み続ける決意のもとに横になるしかできることはなかった。

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