第七話 決戦の予兆
時は流れ、私は十二歳(数え年)になった。
登美の農地改革は着実に進み、民の暮らしも少しずつ向上していた。
山辺氏との同盟も強固になり、東側の小豪族たちとの連携も始まっていた。
しかし、長脛彦は最近、不安げな表情を見せることが多くなった。
「嫌な予感がする」
館を訪れた長脛彦が、父との会談でそう漏らした。
そんな時のこと、
「緊急の報せです!」
使者が血相を変えて飛び込んできた。
「筑紫の大軍が難波の津に上陸! その数、三千!」
「三千だと!?」
父の顔が青ざめた。
我が登美の兵力は、せいぜい三百。十倍の差だ。
「敵の大将は?」
「五瀬命、またの名をオワリノタケルと名乗っているとのこと」
私の背筋が凍った。
ついに来た。織田信長が。
しかも五瀬命として。
それは神武天皇の長兄の名だ。歴史では孔舎衙坂で戦死することになっている人物。
「奴は正面からヤマトへ攻め入るつもりだ」
長脛彦が地図を広げた。
「生駒山を越え、この登美の地へ、大和盆地へ雪崩れ込む。それが最短ルートだ」
長脛彦は難波に拠点を持つ凡氏の元族長。おそらく先頭に立って戦うことになるだろう。
しかし、そこを突破されれば、ヤマトへは一直線である。共同して戦う必要がある。
「戦うしかないのか」
父の声は震えていた。
「逃げることもできます」
家臣の一人が進言した。
「いや」
長脛彦が首を振った。
「逃げる?どこへ逃げるつもりですか?彼らはこのあたり一体を邪馬台国の領地にしにきたのです。いっとき凌げれば良いという話ではありません。
ここで食い止めねば、東側同盟はもちろん、ほとんどの大和の氏族は崩壊することになるのではありませんか?」
重い沈黙が広間を支配した。
「勝機はあるのか」
父の問いに、長脛彦は頷いた。
「平地で戦えば必敗だ。だが、地の利を活かせば……」
彼は地図の一点を指した。
「孔舎衙坂。生駒山を越える峠道だ。狭くて急峻、大軍には不向きな地形」
「そこで迎撃すると」
「敵の数の優位を封じることができる」
長脛彦の目に、冷徹な光が宿った。
かつて海軍主計士官として戦争を経験し、後に一国の宰相となった男の目だ。
平和な時代の宰相と思われている。その通りだ。しかし、平和を守るため、風見鶏と揶揄されても、
必死に見えないところで、さまざまな策謀をめぐらしていたのだ。
「専守防衛。それが我々の戦い方だ」
父は腹を固めた。
父もこれまで多くの苦難を乗り越えてきたが、一族での戦いの経験はない。
まさに苦渋の決断であった。
決断をすると父の行動は早かった。すぐに凡氏の現在の族長に連絡をとり長脛彦と共に戦いに参加することを表明。
周りの山辺をはじめとする同盟部族への協調要請、そして何より大豪族、葛城への参戦要請を行った。
決戦の準備が始まった。
農民たちも武器を取った。
自分たちの土地を守るため、家族を守るため。
周りの同盟小豪族は、直接闘いに参加せず、この地を固め、回り込んでくる敵からこの地を守る。
そして、万が一、我々が負けて、敵が攻め込んできた時には、残っている一族の者たちを逃がしてもらう、役割となった。
問題は葛城である。彼らは、五瀬命軍、邪馬台国軍をあまり重視しておらず、海賊程度にしか、認識していない。
簡単に、凡氏一族が彼らを退けるか、さらに、共倒れになれば、難波の津まで自分たちの領地にできるとすら考えていた。
したがって、参戦要請には全く取り合おうとしない。使者には直接は、会ってもくれず、そして、「自分たちのことは自分たちで守るのが当然である。
もし、自領を守れぬのならそれまでであろうと」と言い切ってきた。
ここにきて、完全に彼らとは道を違えるしか無くなってしまった。
「これまで、あれほど協力してきたのは、何のためだったのか」
父は悔しそうに一言嘆いただけだった。
いよいよ戦いの準備である。
私も、若年とはいえ一族の長の家族として、戦いに出る必要がある。
一族の命運がかかっている。
「若様」
そんな時、ヤツカが私の前に現れた。
横にはミツキもいる。
「俺たちも戦います」
「ありがとう、でも、危険だよ」
「わかってます。でも、この土地は俺たちの土地です。若様がくれた」
ヤツカの目は決意に満ちていた。
「それに、ミツキも」
「私も戦います」
ミツキが頭を下げた。
「この村が、私に新しい人生をくれました。今度は私が恩返しする番です」
胸が熱くなった。
でも同時に、恐怖も湧き上がる。
みんな、死んでしまうかもしれない。
「怖いか」
長脛彦が私の肩に手を置いた。
「は、はい」
正直に答えた。
「それでいい。恐怖を知らぬ者は、真の勇者にはなれん」
彼は遠くを見つめた。
「私も怖い。だが、それ以上に守りたいものがある」
夜、私は眠れなかった。
明日、本当の戦争が始まる。
人が死ぬ。血が流れる。
でも、逃げるわけにはいかない。
みんなが、私を信じてついてきてくれたのだから。
窓の外では、松明の灯りがゆらめいていた。
兵たちが夜通し、防衛の準備をしている。
神武東征の歴史では、長脛彦は最後まで抵抗して滅ぼされる。
でも、今は違う。
織田信長も転生者。
中曽根康弘も転生者。
そして、私も。
歴史は変えられるはずだ。
でも、どう変わるのか。
誰が生き、誰が死ぬのか。
不安と恐怖が、胸を締め付けた。
明日には戦いが始まるかも知れない。
この戦いが終わった後、みんなで太陽を見ることができるだろうか。朝は来るのだろうか?




