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第四話 西からの報せ

 ヤツカの成功から二年が過ぎた。

 私はとおの歳になっていた。


 農地改革は着実に進んでいた。

 最初は一人だったが、今では村の半数以上が自分の持ち分で耕作するようになった。

 収穫は目に見えて増え、民の顔にも活気が戻ってきた。


 「ニギ様! 今年も豊作です!」


 農民たちが嬉しそうに報告に来る。

 私も嬉しかった。でも、手放しで喜べない理由があった。


 葛城からの要求が、さらに厳しくなっていたのだ。


 「収穫が増えた分、貢納も増やせというのか」

 「これを取り上げれば、せっかくの成果が台無しになるのが分からないのか」


 父の声は苦い。

 せっかく豊かになったのに、その分を吸い上げられては意味がない。


 そんなある日、館に一人の商人が訪れた。


 「巨勢コセ氏の勢力圏から参りました」


 タジが案内してきたのは、小太りの男だった。

 巨勢氏は紀伊へ抜けるルートの要衝を押さえる豪族だ。


 「貴重な塩や海産物を持参しました。それと……」


 商人は声を潜めた。


 「西の方で、不穏な動きがございます」


 その時、ちょうど長脛彦が館を訪れていた。

 最近は時折顔を出し、父と話しをしている。

 彼が帰るといつも、父はうれしいような困ったような顔をして、その後、数日、悩んでいることが多い。

 今日は、機嫌が良さそうだ。


 「詳しく聞かせろ」


 長脛彦が鋭い目で商人を見た。


 「西の大国、邪馬台国の卑弥呼様が亡くなられました」


 私は息を呑んだ。

 卑弥呼。あの卑弥呼がいたのか?会ってみたかった。……いや、やはり怖そうだな。


 「その後を継いだのは、男王でした」


 「男王?」


 父が驚く。


 「はい。オワリノタケルと名乗る武人です。最初は皆が支持したのですが……」


 商人は首を振った。


 「統治があまりに急進的で、国中が大混乱に。古い慣習を次々と変え、身分に関係なく能力で人を登用し、神事より民の生活を優先する……」


 「それの何が悪い?」


 私は思わず口を挟んだ。

 聞く限り、良いことばかりじゃないか。


 「若様、変化が早すぎたのです。千年続いた慣習を一夜にして変えようとすれば、人々はついていけません」


 商人の説明に、長脛彦が頷いた。


 「それで?」


 「結局、若い巫女・台与を立てて、表向きは女王としました。オワリノタケルは将軍の位置に。しかし実権は……」


 「なるほど」


 長脛彦の顔が険しくなった。


 「傀儡を立てて、裏から支配か」


 商人は続けた。


 「彼の戦い方は常軌を逸しています。まず徹底的に話し合いを求める。『無駄な血を流すな』と。しかし交渉が決裂すれば、信じられないほど効率的に敵を制圧します」


 「効率的とは?」


 「夜襲、奇襲、調略。あらゆる手を使います。そして勝利の後は、敵の有能な者を登用し、民には寛大に接する」


 私は複雑な気持ちで聞いていた。

 悪い人じゃなさそうだ。むしろ、理想的な指導者のような……。


 「掲げる旗印は『天下布日てんかふじつ』。日ノ本に陽の光を布く、という意味だそうです」


 その瞬間、長脛彦が立ち上がった。


 「天下……だと?」


 彼の顔は蒼白だった。


 「間違いない。織田信長だ」


 「えっ?」


 私は驚いた。

 織田信長? まさか、あの……。


 「オワリノタケル。尾張氏の名を冠し、天下という概念を持ち、急進的な改革を行う。……転生者だ」


 商人が去った後、長脛彦は深刻な顔で言った。


 「信長が九州を統一すれば、必ず東へ来る。それも近いうちに」


 「で、でも、話し合えば……」


 「甘い」


 長脛彦は首を振った。


 「奴は話し合いを好む。だが、自分の理想に従わない者は容赦なく排除する。我々のような旧勢力は……」


 不安が胸を締め付けた。

 

 そんな時だった。

 葛城から招待状が届いたのは。


 「葛城の新年の宴に、登美氏も参加せよとのことです」


 タジが知らせてきた。

 

 私は嫌な予感がした。


 数日後、私たちは葛城の本拠地へ向かった。

 

 「すごい……」


 思わず息を呑んだ。

 見渡す限りの水田。巨大な建物群。そして立派な前方後円墳。

 

 人々の服装も豪華で、誰もが栄養状態が良さそうだった。

 登美とは比べ物にならない富がここにはあった。


 広間に通されると、すでに多くの豪族が集まっていた。

 皆、小さくなって座っている。


 「よく来たな」


 上座から声をかけてきたのは、私と同じ年頃の少年だった。

 絹の衣に身を包み、首には立派な勾玉。


 「我が名はツブラ。葛城の次期当主である」


 傲慢な態度が鼻についた。

 でも、その威圧感は本物だった。


 「登美の噂は聞いている。妙な農法で収穫を上げているとか」


 ツブラがにやりと笑う。


 「は、はい……皆で工夫を……」


 私の声は震えていた。


 「ふん。小細工など無意味だ。我らは一言主神の血を引く者。この地を統べる定めにある」


 そして彼は立ち上がった。


 「今日は特別に、我が一族の力を見せてやろう」


 ツブラは水の入った土器を取り出し、床に撒いた。

 そして呪文を唱え始める。


 急に、広間の空気が重くなった。

 松明の炎が不自然に揺れる。


 「一言主大神よ、降臨し給え」


 ツブラの声が変わった。

 低く、地の底から響くような声。


 「葛城に従う者には豊穣を。逆らう者には飢餓を」

 ツブラはフッと顔を緩め、冷酷な笑みを浮かべた。

 「我が一族に仇なすものに、罰を与えよ」


 少し後ろにいた、一人が急に苦しみ出し、泡を吹いて倒れた。


 「そのものを連れ出せ。牢に入れておけ。あとで、話を聞かねばならぬ」


 いや、流石に茶番だろうと思う。

 でも、その場の雰囲気に、私は恐怖で震えていた。

 本当に神が降りたのか? まさかな……。


 かすかに香の匂いがした。

 声も、よく聞けば作っているような。

 

 (演技……?)


 でも、それでも怖かった。

 この圧倒的な力の差。

 

 宴が終わり、帰路についた時、父がぽつりと言った。


 「あれが、我々の現実だ」


 「でも、いつか……」


 私は拳を握った。


 「いつか必ず、自分たちの力でたたねばならぬ。

 それまでは、まだ、我慢だ」


 父は何も言わなかった。

 じっと私の目を見て、私の頭をそっと撫でただけだった。


 西からは信長が、そして目の前には葛城が。

 登美の前途は、限りなく険しかった。

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