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第三話 転生者の師

 長脛彦から農具をもらって数日後。

 私は再び生駒の山を登っていた。今度は一人で。

 

 タジには「畑を見てくる」と言って出てきた。

 嘘ではない。確かに畑は見るつもりだ。長脛彦の畑を。


 山道を登りながら、前回の言葉を思い出していた。

 「お前が本気なら、また来い。その時は、もっと教えてやろう」

 

 本気。

 私は本気だ。この登美を、民を、救いたい。


 畑が見えてきた。

 長脛彦は今日も鍬を振るっていた。

 

 「また来たのか」

 

 振り返りもせずに言う。


 「はい。もっと学びたくて」


 長脛彦はしばらく沈黙し、私をじっと見つめていた。

 やがて、彼はふっと表情を緩め、あばら屋の縁側を顎でしゃくった。


 「……座れ。立ち話もなんだ」


 え? 座っていいの?

 恐る恐る縁側に腰を下ろすと、隣にドスンと座った長脛彦が何かを投げてきた。


 「わっ!」


 慌てて受け止める。干し柿だった。


 「食え。渋いが、腹の足しにはなる」

 

 「あ、ありがとうございます」


 干し柿をかじる。

 

 「しぶっ!」


 思わず顔をしかめた。でも、後から甘みが来る。

 意外とおいしいかも。


 「……残念だが、この国は、死んでいる」


 唐突に、長脛彦が言った。


 「民は生気を失い、子供たちは皆痩せ細っている。なぜだかわかるか?」


 「え? えーっと……」


 急に質問されて慌てた。


 「税が重いから?」


 「それもある。だが、根本は違う」


 彼は遠くの空、葛城山の方角を睨んだ。


 「『活力』がないのだ。民が自ら考え、自ら豊かになろうとする意欲を、古い慣習と規制が奪っている。……前にも言ったが、作れば作るほど奪われるなら、誰も働かん。人は、己の利益になると知った時、初めて真の力を発揮する」


 「あ……」


 なんだか、前世で聞いたことがある話だ。

 経済の授業で習ったような……。


 「それって……きせいかんわ? みんかんかつりょく?」


 思わず口に出してしまった。

 長脛彦がバッと振り返った。

 その顔には、驚愕と、そして隠しきれない歓喜の色が浮かんでいた。


 「なぜ知っている?お前は誰だ。」

 「まあ、良い。お前が何者であっても、私が何者であっても、できることは、殆ど何もない」


 「そう。……規制緩和。民間の活力」


 彼はその言葉を噛み締めるように繰り返した。

 そして、ふと遠い目をした。その視線の先には、ここからは見えないはずの海が映っているようだった。


 「……私はかつて、海の上で地獄を見た。補給の途絶えた軍隊がどうなるか、精神論だけで突っ走った国がどうなるか、嫌というほど味わった」


 彼の声に、悲痛な響きが混じる。

 海軍主計士官。

 前世の彼が、若き日に経験した戦争。それが彼の政治家としての原点だったはずだ。


 「だからこそ、私は誓ったのだ。二度と国を過たせないと。……豊かさこそが、最強の防衛力だと」


 彼は私に向き直った。


 「ニギと言ったな。……貴殿、どこの生まれだ?」


 「え? えーっと……」


 どこって言われても、困る。

 正直に「前世の記憶があって」なんて言ったら、頭がおかしいと思われるよね。


 「その……よくわからないんです。気がついたら、ここにいて……」


 あいまいに答えると、長脛彦がニヤリと笑った。

 なんだか、すごく嬉しそう。

 もしかして、この人も……?


 「……ふん、食えん童だ。だが、悪くない。その言葉、かつて私が目指した『国のかたち』そのものだ」

 「しかし、この道は険しいぞ」

 彼は私の肩をバンと叩いた。


 「いたっ!」


 力が強すぎる! 肩が外れるかと思った。


 「いいだろう。この老いぼれの最期の仕事として……貴殿に、私の『戦後政治』の全てを叩き込んでやる」


 せ、戦後政治!?

 「ダダダ誰ですか?あなたこそ」


 「もう、ずっと昔の話じゃ、あの頃は中曽根康弘と言っていたな」


 元総理大臣の!?

 「ええええ!?」


 思わず大声を出してしまった。


 「な、なんで中曽根さんがここに!?」


 「ほう、やはり知っていたか」


 長脛彦――いや、中曽根さんがニヤリと笑った。


 「いやいやいや、ちょっと待って! 意味わかんない!」

 「お前もそうだろうが、物心ついた頃、わけがわからなくて、周りの大人が、お前の那覇と聞いてくるので、

 ナカソネヤスヒロと言おうとしたが、小さくて口がおまく回らなかったのか、ナガソネゃ...ヒロといったようだ」


 「それで長髄彦になったのですか?」

 「あぁ、私も、これでも長髄彦が饒速日に殺されたことは知っている。

 お前の名前を聞いて、殺しに来たのかと思ったが、流石に状況が違いすぎるから、今ではないだろうと思っている」


 頭がパニックになった。

 でも、なんだか嬉しい。

 私だけじゃなかったんだ、転生者。


 「落ち着け。深呼吸しろ」


 中曽根さんに言われて、大きく息を吸った。


 「私も最初は戸惑った。なぜこんな古代に、しかも敗者の側に転生したのかと」


 彼は遠い目をした。


 「だが、今は理解している。これは天命なのだと。この国を、真の豊かさへ導く使命を与えられたのだと」


 「でも、どうやって……」


 「簡単だ。私が生涯をかけて学んだことを、この時代で実践すればいい」


 彼は立ち上がった。


 「ニギ殿。君も転生者なら、前世について教えてくれ」


 「私は、残念ながらしがない全く無名の大学教員でした。

 このような偉大な人ばかりが転生者なら、なぜ私がと思っています。

 ただ、私は、物理の研究をしておりました。時空のというか、時間がないことを詳しく調べていました。

 結局、考えていた理論は完全に矛盾を孕んでいたため、絶望した最後でしたが、その中で、パラレルワールドについても

 調べていました。ここから先は私見になります。パラレルワールド間では、似たような条件が揃った時、入れ替えが起こっていると考えています。入れ替わっても全く気づかないほど、似たパラレルワールドです、このようなことは起こっても、ほとんどの人は気付きませんし、たまに、記憶違いと思う程度です。これに近い、ただし、私も中曽根さんも、赤子として生まれていますので、状況は違いますが、パラレルワールドと考えて良いと思います。ただし、このパラレルワールドは、ある瞬間似ていてぼ、そのが全く違う歴史になることもあります。というか違います。なので、この世界は我々(我々も同じワールドから来たかは分かりませんが)の世界とは違うと思っておいた方が良いと考えています。」


「なるほど、そうか、私は早く諦めすぎたのかもな。

そうであれば、ここは、私と共に、この国を変えてみないか?」


 私は迷わず頷いた。


 こうして、私はとんでもない師匠を得ることになった。

 

 数日後。

 今日は思い切って父を連れてきた。

 

 ……というか、実は昨日、興奮のあまり父に全部しゃべっちゃったのだ。


 「父上(カソ)! すごい人見つけた! すごい賢者様なの!」

 

 「は? 何を言ってるんだお前は」

 

 「いやその、えっと……とにかくすごい知恵者なの!」


 結局、転生の話はうまく説明できなかったけど、なんとか連れてくることには成功した。


 「……ニギよ。本当にこの老人が、あの『賢者』なのか?」


 父は、目の前で農具の手入れをしている薄汚れた老人を、疑いの目で見ている。

 

 「だ、大丈夫だから! ほら、長脛彦様!」


 「族長殿」


 長脛彦は手を止めて振り返った。


 「国が貧しいのは、民が怠けているからではない。やる気が出ない仕組みだからだ」


 おお、急にちゃんとした!


 「今の登美の耕作は、全て『共同』だ。村全員で耕し、収穫を全て蔵に入れ、そこから分配する。……これでは、誰も本気で働かん」


 父が眉をひそめた。


 「それが我らの習わしです。皆で助け合うのが……」


 「助け合い? 違うな。それは『もたれ合い』だ」


 長脛彦の目が鋭く光る。かつて河内で武人として戦場を駆けた頃の、鋭い眼光だった。


 「サボっても同じ配分なら、誰もがサボる。逆に、死ぬ気で働いても配分が変わらぬなら、馬鹿らしくてやってられん。……人間の本質とは、そういうものだ。私も若い頃、河内の戦で兵糧の配分を巡る混乱を幾度も見てきた」


 父は言葉に詰まった。図星なのだ。

 実際、畑仕事をしている者たちの動きは鈍い。


 「では、どうすれば……」

 

 「土地を分け与えよ」


 長脛彦は断言した。


 「村の共有地を分割し、各家族に『持ち分』として与えるのだ。そして、決められた税(貢納分)さえ納めれば、残りの収穫は全てその家族のものとする」


 「なっ……!? 土地を、私有させるというのですか!?」


 父が驚愕する。

 この時代、土地は「ムラ」のものか、あるいは「カミ」のものだ。個人が所有するなど、ありえない発想だった。


 「事実上の私有でいい。……人間はな、『自分のもの』になった途端、目の色を変える。自分の汗が、そのまま自分の腹を満たすとなれば、放っておいても働くものだ」


 父は長い間沈黙した。

 やがて、重い口を開く。


 「……しかし、それでは共同体の絆が……」


 「絆? 飢えた者同士が、何を分かち合える?」


 長脛彦の言葉は厳しかった。


 「まず豊かになれ。腹が満ちて初めて、人は他者を思いやる余裕を持てる。順序を間違えるな」


 父はうなだれた。

 

 「……わかった。試しに、一部の荒れ地でやってみよう」


 私は心の中でガッツポーズをした。


 最初に挑戦することになったのは、ヤツカだった。


 「えっ、俺が?」


 「うん! ヤツカなら絶対できる!」


 私が推薦すると、父も頷いた。


 「お前は若い者の中で最も勤勉だ。この策に相応しい」


 ヤツカは戸惑った顔をした。


 「で、でも……本当にここで採れた分、税を除いて全部俺のものにしていいんですか?」


 「約束しよう」


 父が厳かに言った。


 「ただし、われわれへの貢納分はきちんと納めること。それが条件だ」


 「は、はい!」


 ヤツカは震える声で答えた。


 翌日から、彼の目の色が変わった。

 まだ星が残る未明から、ヤツカは畑に出た。

 これまでは「どうせ共同の蔵に入るんだ」と思って適当に済ませていた草むしりを、一本たりとも残さず徹底的に行った。

 

 水路の泥さらいも、誰に言われるでもなく一人で黙々と続けた。

 他の農民たちが不思議そうに見ていたが、ヤツカは気にしなかった。


 (これをやればやるほど、実りが増える。増えた分は、税を除いて全部俺と家族の腹に入るんだ)


 その単純明快な事実が、彼の体に無限の活力を与えていた。


 私も時々様子を見に行った。

 

 「ヤツカ、すごいね!」


 「ニギ様……なんだか、働くのが楽しいんです」


 汗だくになりながら、ヤツカは笑った。


 「今まで、こんな気持ちになったことなかった」


 そして、その年の秋。

 

 「ニギ様! 族長様! 見てください!」


 ヤツカが興奮して私たちを呼んだ。

 畑に行ってみると……。


 「これは……」


 父が絶句した。

 

 他の共同田とは明らかに違う。

 稲穂が太く、重そうに垂れ下がっている。

 収穫量は、他の田の倍近くあるように見えた。


 「やった! やったよ、ヤツカ!」


 私が飛び跳ねて喜ぶと、ヤツカは震える手で稲穂を握りしめ、涙を流した。


 「これで……家族みんなで、腹いっぱい食える……」


 その光景を見て、父は呆然と呟いた。


 「信じられん。本当に、これほどの差が出るとは……」


 「人の『活力』とは、こういうものだ」


 いつの間にか、長脛彦が後ろに立っていた。


 「これが第一歩だ。だが、まだ始まりに過ぎん」


 彼は私を見た。


 「ニギ殿。次は何をすべきか、わかるか?」


 私は考えた。

 一人が成功した。でも、それだけでは……。


 「みんなに広める?」


 「その通りだ」


 長脛彦は頷いた。


 「成功例を作る。それを見た者が続く。やがて、それが当たり前になる。変革とは、そうやって進むものだ」


 父は深く頭を下げた。


 「長脛彦殿。私が間違っていた。どうか、これからも我々を導いてください」


 「導くのではない」


 長脛彦は首を振った。


 「私はただ、きっかけを与えるだけだ。変わるのは、あなたたち自身だ」


 その夜、私は興奮して眠れなかった。

 

 始まったんだ。

 小さな一歩だけど、確実に何かが変わり始めている。

 

 窓の外を見ると、満天の星空が広がっていた。

 

 中曽根さんと出会えて本当によかった。

 一人じゃない。

 仲間がいる。

 

 この登美を、きっと豊かな国にしてみせる。

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