第十二話 東への旅立ち
火御子は撤退していった。
完全な勝利ではないが、邪馬台国は守られた。
兵たちは高揚感に包まれている。
この高揚感の中心にいるは台与であった。
戦いの後、私は思い出していた。
日御子の最期の言葉。
「民を頼む」
前世の私なら、理解できなかったかもしれない。
民のためである。そのためには、天下を取ることしか考えていなかった。
天下をとって、、民を統べることが民のためだと思っていた。
だが今はどうだろうか。
民あっての国。国あっての民ではない。
それを、あの老女が教えてくれた。
戦いから数日後、邪馬台国の情勢は落ち着きを取り戻していた。
台与の巫女としての力は本物だった。
民も指導者層も、彼女の霊力を認め始めていた。
私は台与に謁見を申し入れた。
「五瀬、何用か」
玉座に座る少女は、もはや単なる十三歳の少女ではなかった。
その瞳には、確かに何か神聖なものが宿っていた。
「台与様、私は東へ向かおうと考えています」
「えっ?」
少女の目が驚きに見開かれた。
一瞬、年相応の表情が戻った。
「なぜ? 五瀬がいてくれなければ……」
「台与様はもう一人前です。それに、私には使命があります」
東への道。
大和への道。
そこで私を待つ運命がある。
「でも、狗奴国がまた……」
「台与様の霊力があれば大丈夫です。それに、有力者たちも今は台与様を支えています」
台与は少し考えた後、静かに言った。
「五瀬の中に、何か大きな運命を感じる。止めはしない」
「ありがとうございます」
「ただし」
台与の目が鋭くなった。
「東で何があろうと、邪馬台国は五瀬の味方であり故郷と考えて欲しい。必ず戻ってきて欲しい」
その言葉に、私は深く頭を下げた。
「心に刻んでおきます」
こうして私は東への旅の支度を始めた。
まず、ようやく落ち着いてきた津守一族の長である。私が出立するまでに、皆に納得の族長を決めなければならない。
私が、狗奴国との戦いの間、一緒に戦った勇敢な若者も多数いたが、邪馬台国の一員として、津守の里と、台与にいる邪馬台国の
宇佐との間を行き来して、食物や武具が足らなくならないように、また、残された人々が不安に陥らないように、
こまめに情報を送っていた若者がいた。
彼は前の族長の遠縁にあたる津守若日子というが、あまり戦いが得ではないようで、族長になる気はないようであった。
しかし、私はあえてこの津守若日子を長にすることとした。
これに戦いに参加したものたちが異を称えるかと思っていたが、皆、それは良いと賛成してくれた。
よくよく聞くと、戦いに参加した若者の多くは、これからの東征に行きたがっていた。統制に参加するには
族長になってはいけない、そんな判断もあったようだ。
皆から慕われ、すでに邪馬台国の有力者とも顔馴染みになっていた彼は、誰からも、揉んだ気なく族長として認められた。
こちらで津守の邪馬台国内での地位も定まり、これからは津守若日子が一族の代表として、やっていけるだろう。
台与も無下にはすまい。
「本当に行くのですか」
私の側近が心配そうに尋ねてきた。
「まだ、この地も狗奴国との戦いもあり、出雲や吉備とも今は戦っていませんが、
油断すればいつ攻めてくるかは分かりません」
「まずはこの地をまとめることが、大事ではありませんか」
言うことは分かる。
「だからこそである。この地に留まれば、この状況を大きく変えることはできない。」
「東のヤマトは、まだ統一されていない混沌とした地。
ここをまとめて邪馬台国と連携すれば、間にある吉備や出雲は全く動けなくなる。
そうなれば、一気に狗奴国との関係に決着をつけることができるのではないか」
「だからこそ行くのだ」
私は遠くを見つめた。
「混沌の中にこそ、新しい秩序を作る機会がある」
さらに、私は、津守を守るものと私と共に東に行くものを、慎重に決めていった
若いものの多くは、私と共に行くことを望んだが、連れて行く人が多くなると、
これからの津守を守る人材がいなくなる。有望な若者を、あえて残すことにした。
そのかわり、歳をとったもので、東征に参加を希望したものは、積極的に連れて行くこととし、
年齢に歪みが出ないように気をつけて編成していった。
出立の朝、意外な人物が見送りに来た。
日御子を批判していた保守派の神官長だった。
「五瀬殿」
彼は深々と頭を下げた。
「かつては反対ばかりしていた。だが、女王様を守ってくれたことに感謝する」
「それだけではない」
神官長は懐から何かを取り出した。
古い勾玉だった。翡翠でできており、不思議な光沢を放っている。
「これは?」
「日御子様が、生前あなたに渡すようにと」
私は驚いた。あの時、日御子は既に死期を悟っていたのか。
「日御子様は申されていた。『五瀬はいずれ東へ向かう。その時、これが役に立つだろう』と」
「これは一体……」
「邪馬台国の印。これを持つ者は、邪馬台国の使者として認められる」
神官長は続けた。
「東の地にも、我々と縁のある者たちがいる。この印を見せれば、必ず力になってくれるはずだ」
「東で何をなさるおつもりか」
私は少し考えてから答えた。
「より良い国を作りたい。恐怖ではなく、信頼で結ばれた国を」
神官長は複雑な表情を浮かべた。
「それは……理想論では」
「理想なくして、何のための政か」
私の言葉に、神官長は大きく頷き、
「我々も大きな理想を持とう。
この地でも変革を行うことはできることを見せてやろうと」
と笑って言った。
いよいよ出発の時が来た。
門の前には、予想以上の人々が集まっていた。
民衆たちが道の両側に立ち並び、別れを惜しんでいる。
「五瀬様!」
一人の農夫が前に出た。
「あなたが教えてくれた農法のおかげで、今年は豊作でした」
次々と民が声をかけてくる。
「鉄の農具、本当に便利です」
「灌漑のおかげで、日照りでも作物が育ちました」
私の胸が熱くなった。
前世では、民は私を恐れていた。
だが今は、感謝の言葉をかけてくれる。
「皆の者」
私は語りかけた。
「私は東へ向かうが、皆との絆は切れることはない。いずれ必ず、より大きな繁栄をもたらして戻ってくる」
歓声が上がった。
津守から二百に加えて、他の一族からの志願者を併せて三百の兵と共に、我々は東への道を歩み始めた。
振り返ると、邪馬台国の都が朝日に輝いていた。
城壁の上には、台与の姿が見えた。
小さく手を振っているようだった。
日御子との日々が、私を変えた。
もう、恐怖で支配する覇王ではない。
民を想い、国を想う。
そんな指導者になりたい。
前世では、天下布武を掲げ、力で国を統一しようとした。
そして最後は、家臣の裏切りで炎の中で死んだ。
今世では違う道を行く。
人の心を大切にし、信頼で結ばれた国を作る。
それが、二度目の生を与えられた私の使命なのだから。
出立前夜、私は一人で日御子の墓所を訪れた。
大きな塚の前で、膝をついた。
「日御子様、私は東へ向かいます」
夜風が吹き、松明の炎が揺れた。
「あなたから学んだことを、必ず活かしてみせます」
民を想い、国を想う。
それが真の指導者だと、あなたが教えてくれた。
「もし、東で同じような志を持つ者と出会えたなら……」
私は空を見上げた。
星々が輝いている。
「前世の私なら、排除していたでしょう。でも今は違う。手を取り合える道を探します」
墓前で、しばし黙祷を捧げた。
館に戻ると、側近たちが最後の準備に追われていた。
「五瀬様、どうしても東征に参加したいと言う者が、ここにきてさらに多く集まっています。」
若い武将が困惑した顔で報告した。
「皆、五瀬様と共に新天地を切り開きたいと」
「全員を連れて行くわけにはいかぬ」
私は冷静に判断を下した。
「津守の未来を担う若者は残す。東征には、経験豊富な者と、新天地での生活を真に望む者を選ぶ」
夜遅くまで、最後の人選は続いた。
誰を連れて行き、誰を残すか。
それは、津守一族の未来を左右する重要な決断だった。
「五瀬様」
津守若日子が訪ねてきた。
「本当に、私で良いのでしょうか。一族を率いるなど」
「お前なら大丈夫だ」
私は若き族長の肩に手を置いた。
「焦らず、着実に。台与様も必ず力になってくださる」
「はい……」
若日子の目に、決意の光が宿った。
翌朝、ついに出立の時が来た。




